水の蜂
寺音
第一章
第1話 砂漠の町
遥か遠くまで、目の覚めるような蒼天が広がっている。かぶったフードを少しだけ持ち上げると、鋭い日の光が差し込んで頬に焼けるような痛みを走らせた。揺らぐ視界を何度か瞬きをすることで落ち着かせ、その人物は明るい声を上げて後ろを振り替える。
「二人とも、町が見えたよ!」
「はぁ、やっとかよ!? 長かった……ようやく着いた」
小柄な少年が項垂れながらため息を漏らす。目深にかぶったフードのせいで表情は見えないが、その声からかなり疲弊していることが分かる。
「前の町からここまで長かったからね。お疲れ様」
「本当だよ! いい加減、まともな飯が食いたい……で、アンタはそんなトコで何やってんの?」
少年が振り返って視線を下げると、その後ろにいる青年が、何故か背を向けて膝を折っていた。
彼は背筋を伸ばしたままスッと立ち上がり、手のひらに乗った存在をこちらに見せてくる。
「水を、この子に」
手のひらには、一羽の鷹が乗っていた。きっと弱って飛べなくなってでもいたのだろう。
「あー……いつものヤツね」
少年が呆れたような声を上げた途端、不意に青年の手元から鷹が飛び立っていく。三人はその姿を追って、視線を上げた。
力強く両翼を広げ乾いた風を切り、頭上の濃青目がけて飛んでいく。見上げるこちらも、その空に吸い込まれていきそうだ。
「さて」
肩の力を抜いて、その人は再び地平へと視線を遣った。緩やかな砂山に埋もれるようにして、砂塵と同じ色をした町がぼんやりとその輪郭を浮かび上がらせている。
吹きすさぶ風が、身につけたマントを大きく煽った。視界を砂で覆われそうになり、慌てて顔を両腕で覆う。その人は翡翠にも似た瞳を緩やかに細め、期待を込めて呟いた。
「何か水の蜂に関する手がかりが、見つかると良いんだけどね」
熱風が砂を巻き上げ、マントの上からパチパチと体を叩いた。フードや厚い布で体を隙間なく覆っていなければ、この灼熱の日の下では数歩と歩けないだろう。
少女はその細い腕に抱えた壺をもう一度抱え直した。中の透明な水が大きく揺れ、慌てて足の動きを止める。水面の揺らぎが限りなく少なくなったのを確認し、彼女は再び歩き出した。
白い砂が敷き詰められた通りを慎重に進んで行く。
彼女が行く道の両隣には、周囲の砂と同じ色をした建物が立ち並んでいる。岩や固めた砂で作られたその壁は、風によって少しずつその身を削り取られている様にも見えた。
その中で、彼女は一つの建物を見つけて足を止める。入り口には色彩豊かな糸で縫い上げられた一枚布が掛っていた。
彼女は正面からは入らず、建物の裏口に回る。
「ただいま、戻りました!」
「お帰り、お使いごくろうさん」
熱気が立ち込める厨房からおじさんが顔を出して笑う。鼻の下の立派な髭からは、少し黒ずんだ歯が覗いている。少女はそれに応えて微笑んだ。
「お帰りティナちゃん。それそこに置いておいておくれ」
お客に料理を運んでいたおばさんも、彼女に気がついて声をかけた。その両腕には、料理が盛り付けられた皿を何枚も乗せている。
今はお昼時だ。きっといつものように、お客がいっぱい入っているのだろう。ティナが働いているここは小さな料理店だった。
「私も手伝いますね」
彼女は水の入った壺をおじさんの後ろへ置くと、動きやすいように服を何枚か脱ぎ、頭のフードも取った。長く艶やかな黒髪が露わになる。
彼女は料理が盛り付けられた皿を両手に持ち、お客の下へ運んで行く。
「ティナちゃん、今日も元気かい?」
「今日のおすすめは何かな?」
客は常連が多い。料理を運んでいると、何人もの客から声をかけられる。小さくて渇いた砂と石の町だが人々は陽気で温かい。
ティナが忙しく店内を動き回っていると、入り口の扉が軋んだ音を立てた。
いつも通り声を掛けようとして、彼女はそのまま動きを止める。
見たことのない背格好の人物が、迷いなく店内に入ってきた。フードを目深に被り、着ているマントは所々破けたのを直した跡がある。珍しいが、旅人だろうか。
性別すら分からないその人は、少し周囲を見回すと空いていた席に腰かけた。
「いらっしゃいませ」
ティナは気を取り直し、笑顔でその人に近寄った。他の客も彼だか彼女だかに注目しているようで、店内は一瞬静寂に包まれる。
その人物が、口を開いた。
「あの、すみません。ちょっとお尋ねしたいことが」
フードの下から艶やかな声が奏でられる。マントの中から白い腕を出し、その人は頭のフードを取った。
ティナは思わず絶句した。
柔らかく波状にうねり、肩にかかったその髪は上質な絹の色。切れ長の瞳は澄んだ水のように涼やかで、瞬きをする度に波紋の様に揺らめいた。
周囲の空気さえ輝いて見える。
綺麗な
「あの、すみません。いいですか?」
すっかり黙ってしまったティナに、彼女が不思議そうに声をかけてきた。
「はい。何でしょう?」
ティナは少し赤くなりながら慌てて笑顔を作る。
「水の蜂について、何かご存じじゃありませんか?」
「……教会の方々の一部を、そうお呼びすることはありますけど?」
すると、彼女は即座に首を横に振る。
「ああ、違います。そっちではなくて、『水の蜂』と呼ばれた種族のことです。『かつて砂漠には蜂がいた』と、未だに語り継がれている彼女たちのことを、何かご存知ありませんか?」
「え、数百年前に滅びたっていう、あの?」
ティナは目を丸くした。水を生み出し、人々に分け与えていたとされる神秘の種族、水の蜂。最早おとぎ話のような存在である。
しかし、ティナの反応を見たその人は、溜息をつき不満そうに顔を顰めた。
「あのですね、簡単に『滅びた』なんて言っちゃいけませんよ」
そしてティナに顔をぐっと近づけ、口を開いた。
「僕はですね、水の蜂の謎を追って旅をしているんです。彼女らの最大の謎、それは滅びたとされているものの、その根拠が全くないことなんです。数が減っていたことは確かなんですが、ある頃から姿が全く見えなくなったから、滅びたんだろうと、だろうですよ!? そんな曖昧な理由で一種族が滅びたとされて良いわけがありません!」
驚くほど饒舌になって語り続ける。あまりの勢いと変化に、ティナも店の人々も呆然と聞き入ってしまった。
「ところで、貴女は水の蜂についてどこまでご存知ですか?」
話を切ってその人はティナに話を振ってきた。ティナはほんの少しだけ我に返る。
「あ、はあ……その、人と同じような姿をしていて、水を司っていたと、いうことぐらいしか」
「そこまで知っていれば、十分ですよ。彼女らは人に似ていながら、水を自由に生み出して操る『魔術』を使っていたのは有名な話ですよね。非常に温厚な種族だったので、争い事は好まなかったそうですが。そうそう、知っていますか? 名前の由来、『蜂』というのは、彼女らが女王中心の社会を構成していたこともありますが、一人一人が『針』を持ってたことからも名付けられたんですよ。これは自身の象徴と自衛の意味もありますが、治療道具という側面も持ち合わせていて――」
彼女の話は止まらない。
どうしよう。仕事もまだあるし、とティナは視線を泳がせる。
その時彼女たちの間に割り込むように、何かが目の前を横切った。
「うわっ!?」
「きゃっ!?」
二人は驚いて声を上げ、しゃべり続けていたその人に至っては椅子から転げ落ちてしまう。
余りの痛みに悶絶する彼女も気になったが、ティナは突如乱入して来た何かに視線を向ける。
それは、“毛玉”に見えた。
「…………」
「にょ」
奇音が聞こえた。どうやらその毛玉が発した声らしい。店内に沈黙が満ちた。
静寂の中それは再びティナたちに背を向け、
「にょにょにょにょーっ!!」
けたたましい奇声を発すると、全身を地面にぶつけて飛び跳ねながら何処かへ去って行った。
「生き物……よね?」
ティナは呆然と呟く。あれは鳴いていたし、動いていた。しかし、あのような変な生物には今まで遭ったことがない。
「いたた」
彼女の横で、椅子から落ちたその人が腰を擦りながら起き上がった。近くにいた客の一人が心配そうに声をかける。
「オイ大丈夫か、ねーちゃん」
「『ねーちゃん』?」
その人は秀麗な顔を思いっきり歪めた。
「あの……僕は男ですよ」
「え、本当に!?」
ティナは思わず大声で叫んでしまった。その人、彼に注目していた他の客たちも、声を上げて思わずしげしげとその顔を眺めている。
彼は、またか、と呟いて溜息をついた。
ティナも横目でこっそりと彼を観察する。言われてみれば確かに、女性にしては声が少々低めであるし、身長も高いのだが。
纏う雰囲気や表情は女性にしか思えなかった。
「ほ、本当ですか? すみません。その、あまりにも綺麗で、つい勘違いをしてしまって」
「ふふ、褒めてくれてありがとうございます。ああ、僕はチャッタと申します。よろしく」
彼は優雅な仕草で、そっとティナに片手を差し出す。
「あ、私はティナです。よろしくお願いします」
彼女は彼の手を軽く握った。
チャッタは、さっきの水の蜂の話ですけど、と話を戻して言う。
「やっぱり後で確認したいことがあるので、教会の場所を教えていただいてもいいですか?」
「……良かったらご案内しますよ」
彼女がそう提案すると、チャッタは表情をパッと明るくした。
「わあ助かります。何せこの町に辿り着いたばかりなので」
まるで子どものような表情に、ティナは思わず笑みを浮かべた。
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