悪夢を誘う訪問者【4】



「ファト殿、悪夢の原因は、きっとあの夜の民の野郎ですよ!」

「そうです、ファト、奴を捕まえて締め上げるべきだ!」


 男が姿を消したことを伝えに、遺跡から駆け戻ったカイは、孤児院の玄関先で繰り広げられるやり取りに目を丸くした。そして物陰から様子を窺うラオを見付け、問い掛ける。


「ラオ、お前が村人に話したのか?」


 あの場に居たのは、村人達の話に出ている旅人の男を除けば、自分とファトとラオだけだった。

 自分はもちろん彼の正体を明かすようなことはしていない。そしてあれだけ念を押していた以上、ファトも違うだろう。となれば、村人に話したのは、ラオしか考えられない。


「話したよ。それに、俺も村人達とは同意見だ」

「何で、そんな……」

「だってあいつ、初めて会った時から怪しかったじゃないか」


 カイは口を閉じるしかない。

 怪しい、ということは否定できない。

 けれど。

 悪夢の件に関して、カイにはあの旅人を疑うことは出来なかった。

 それは、ちょっとした感なのだけれど、確信。

 だって、そんなことをするつもりの人が、助けてなどはくれないだろうから……。


「皆、落ち着きなさい。まだ、あの旅人が原因だと決まった訳ではないのだから」


 ファトが一人で、詰め寄る村人を落ち着かせようとしていたが、あまり効果はない。

 悪夢のせいであまり眠れず、村人達の溜まっていた疲れが、ここにきて爆発したのだろう。押さえの利かない村人達に、ファトは溜め息を吐く。


「仕方ありませんね。村の皆に伝令を。但し、手荒なことはしないで下さいね。本人からお話を窺えば、皆さん納得してくださるでしょうから」


 ファトは念を押すように口調を強めたが、ファトの許しがおりたことに気を良くした村人達に、後半の忠告は聞こえなかったらしい。


「ファト殿のお許しが出たぞ! あの男をひっ捕らえるんだ!」


 と、誰ともともなく声をあげれば、それが大きな合唱となって、村人達は揃って大通りを歩き出した。

 カイはその様を見て唇を噛む。

 男の身が案じられた。

 そしてその不安は、日が沈んでも拭いきれなかった。

 カイは眠れずにいた。

 昨夜のような恐怖のせいではない。他ならぬあの男の身が心配で。

 目を瞑り、浮かんでくるのは今日一日の出来事。

 皆が見たという悪夢。夜の民だという旅人。

 綺麗な発掘品。

 そして、男の言葉。


「…太陽……の……瞳……は」


 男の声が思い起こされる。

 と、その時。


「―――!」


 鼻をついた薬草の香りに回想は途切れた。

 カイは閉じていた目を開け、香りの正体を確かめようと身を起こし掛かけた。

 が。

 伸びてきた手に、その体はベットに戻さる。

 カイは驚きに目を瞬かせた。

 侵入者は―――

 件の旅人だった。

 昼間フードで隠されていた顔は、日が沈んだからか惜しげもなく晒されている。輪郭は漆黒の髪に縁取られ、黒曜石を思わせる丸い瞳には、強い光が宿っていて、

 ああ、無事だったんだ。

 と、カイは思った。


「太陽の瞳は……お前が昼間手にした箱はどこへやった?」


 男が、押さえ込んだカイの耳元で問う。カイは抵抗などする気もなく、体の力を抜くと静かに腕を持ち上げた。

 そして、まっすぐに指したのは東。


「神殿か……」


 男がその意味を察して呟く。カイは、肯定するようにこくりと頷く。それを見て、納得したのか、男はゆっくりと体を離す。だが、離れていった男の手を、


「待って!」


 カイは思わず掴んでいた。


「何のつもりだ」


 目尻を吊り上げ、低い声で男は唸った。カイはビクンッと肩を震わせたが、どうにか言葉を搾り出す。


「ホルス神の神殿にセトの加護を受けた夜の民は入れないよ」

「私は、セトの加護を受けた覚えはない!」


 カイの言葉に男は眉間に皺を寄せた。明らかな嫌悪―――男は、心底セトを嫌っているようだ。

 どうしてなのだろう?

 それはわからない。

 けれどこの人は、やはり悪い人ではないのだ。

 と、カイは思った。

 男の言葉がカイを安心させた。

 だからだったのかもしれない。まあ、そうとしかいいようがないのだが―――次に口をついて出た言葉は、用意していたものとは違っていた。


「でも、夜の民であることに変わりはないでしょ?  どうしてもって言うなら俺も行く!  神殿内は宝物庫まで仕掛けも多いし……」


 自分の口をついて出た言葉に、カイ自身驚くしかない。だけれど、その言葉を口にしたことに、不思議と後悔はなかった。


「お前が……、か」


 カイの言葉に男は驚きを隠そうともしない。男は、自分に手を貸すというカイの言葉を信じていいものか図りかねているのだ。


「お前は、自分の言った言葉の意味がわかっているのか?」

「わかっています」

「では、なぜ」


 昨日、今日、あなたを見てきた。

 だから、俺は―――


「大人たちのように夜の民だからといって敵視するつもりはない! 何より、あなたは俺を何度も助けてくれた。そんなあなたが、これほどまでしてあの箱を手に入れようとするのは何か理由があるんでしょ?俺は、その理由は知らないけど、今まで助けてくれたお礼ぐらいはしたいんだ」


 男の表情が―――和らいだ。


「お前は……やはり、あいつに似ているな」

「え?」


 思わず疑問符を口にする。似ているって、誰に?


「いや、何でもない。それより、本当にいいんだな」


 男は慌てて取り繕うと、カイに向き直った。カイの提案を認めてくれたのだ。カイは、男に力強く頷いてみせると、


「さあ、行こう」


 ジャケットを羽織り、男に手を差し出した。男は素直にその手をとる。

 男の無事とこれから始まる小さな冒険に、カイは胸を弾ませた。

 だが。

 ヴォオオオーン。

 突然響いた鐘の音に、男の動きがぴたりと止まる。

 村の中には時計台も鐘楼もないのに、とカイも首を傾げた。すると、男の手に力が込められたのをカイは感じ取った。


「ねぇ、どうしたの?」

「しっ!  黙っていろ」


 ヴォオオオーン。

 もう一度。

 鐘の音は遠いようで近く、近いようで遠い。

 不思議な印象。

 不可思議な錯綜。

 カイは、何が起こったのか把握出来ず、ただ言われるまま口を閉じた。

 すると。

 がちゃりっ―――と鐘の音だけが響く中、その音は一種異様な響きを持っていた。それはラオの部屋から聞こえ、ついで、ギイッとドアが開く音が聞こえる。

 カイは指示を仰ごうと、黙って男を見上げる。

 しかし。

 当然その音に気付いていると思っていた男の視線は、窓の外へと向いていた。


「悪夢が生み出す負の感情が、顕現されてしまったのか……」


 男は憎たらしげに呟き、唇を噛む。

 カイは男の視線を追った。

 そこには真夜中だというのに、大通りに集まりつつある村人達の姿があった。




◇◇◇




 一方―――

 セトの配下の襲撃からうまく難を逃れたセフィアは、《女神の涙》の町の南に位置するホルスを祀る神殿へと逃げ込んでいた。

 セトの加護を受けるセトの配下達は、ホルスの加護下にある神殿内部までは入り込むことは出来ない。よって、神殿は態勢を立て直すには最適な場所なのである。

 なにより、中央―――ウジャト神殿の神官長の紹介状を持った者を足蹴にする者などいるはずもない。


 ありがとう、おじさん。恩にきる!

 

 セフィアは現金なことに、こういう時だけ、心の中で神官長に礼を述べた。


「ところで、セフィア殿、《始まりの誓い》の村までどのようなルートをお考えか」


 今夜はこの神殿に世話になることを決めたセフィアは、夕食の席、この神殿の責任者たる男の言葉に、料理から視線を上げる。そして、優雅に果実酒を口に運ぶ男を視界に納めた。

 《女神の涙》の町は大きな町だ。東西南北にのびる街道の交差点に位置し、物資の行き来の拠点として発達してきたのである。純粋に規模だけでいうと、ウジャト神殿を有する―――中央、についで勝るとも劣らない。まして、商会については、いうまでもない。町の名と同じ名を冠する《女神の涙》商会は、歴史格式とも国一番と言って良い。そんな町の神殿の長たる目の前の男―――ロイはこの町の出身なのだろう。商人のように計算高く、先の先まで読もうとする態度がちらほらと窺えた。

 喰えない男だ―――セフィアはそう思っている。


「《恵みの雨》街道から水晶谷の方に抜けて行こうと思っています」


 本来、急ぐ旅故、最短ルート―――《恵みの雨》街道をまっすぐ北に進んで行くつもりだったが、《恵みの雨》街道は人の行き来が激しすぎる。

 セトの配下にいつ襲撃されるとも知れない今、無関係な民を巻き込みたくはなかった。そうはいったものの、セフィアの言葉を聞きロイが浮かべた表情は、困り顔だった。


「揚げ足を取るようで申し訳ないのだが、水晶谷の方で、ほんの二日前に土砂崩れがあってね。今、現在、全力で復旧作業中ですが、少なくともあともう一ヶ月は通行止めですよ」

「なっ―――!」


 先手を打たれていたのか……。

 となると、こちらの取るべき道は……。

 考えれば、

 考えるほど、

 眉間に皺が寄る。


「ふふふ、美しい顔をそんなに歪めるものではありませんよ」


 一人、その表情の変化を見ていたロイは、笑う。

 面白がっている?

 自分がこれだけ苦労しているというのに―――。

 けれど、ロイが笑った理由は違う。

 違っていたのだ。

 その笑いは―――自分だけが知っている秘密を明かす時の、それ。

 バサリッ。

 一枚の紙がテーブルの上に広げられた。自然と視線がその紙に吸い寄せられる。日に焼け黄ばんだその紙は―――地図だった。




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