歯車は請い願う

由希

歯車は請い願う

 澄み渡る晴天を、陽の光を受けた白雲が流れていく。

 今夜もよく星が見えそうだ。歩を進めながら、そんな事を思った。


「グレイ」


 ふと袖を引かれて振り向けば、眼帯を身に付けた幼い黒髪の少女がこちらを見上げていた。私は笑みを浮かべ、それに応える。


「どうした、ミーシャ?」

「グレイ、あの花、何?」


 少女――ミーシャが指したのは、道端で風に揺れる赤い花。記憶を探れば、答えはすぐに見つかった。


「あれは、アルストロメリアだな」

「アルストロメリア……」


 噛み締めるように、ミーシャは私の告げた名前を反芻する。そしてその顔に、小さな笑みを浮かべた。


「キレイ。ミーシャはあの花、好き」

「そうか。私も好きだ」


 それに釣られるように、私の口にも笑みが浮かんだ。



 私はグレイ。生まれ落ちた時から、「灰色」である事を定められた者。

 この世界に生まれ落ちる以前、私は、覇王と呼ばれていた。願ったものは恒久なる平和だったが、その為に多くの命を手にかけ、世界を血に染めた。


 それが神の怒りに触れた。


 私は神罰により命を落とし、前世の記憶を持ったまま、一生を奪った命の償いの為に生きる事になった。何物にも染まらず、されど純白にもなれず、中途半端な灰色な存在として。

 誰かの望みを叶え続けない限り、私は命を保てない。食事を摂ろうと睡眠を摂ろうと体は衰弱していき、やがて、死に至る。

 あるいはもう、死ぬべきなのかもしれない。人の願いを叶える歯車としての生を、私は十分に生きた。

 時間にして八十年。普通の人間なら、死んでもおかしくない歳だ。

 なのに、私は、死ぬ勇気が持てずにいる。生きていても、自由などないにもかかわらず。

 この思いも罰ならば、これは確かに、最高の罰なのだろう。生きたいと願う限り、私は償いを続けなければならないのだから。


 ミーシャと出会ったのは、今から一ヶ月前の事だ。

 彼女は幼年奴隷として売られており、その時にはもう左目は潰れていた。奴隷商によるものか、それとも買われた時からそうだったのか、それは解らない。

 私が彼女を買ったのは、哀れみからではない。哀れみで奴隷を買おうと思うなら、それこそ、この世の総ての奴隷を買わねばならない。

 願われたから、私は彼女を買った。か細い声の、たった一言の願い。


『おうちへかえりたい』


 ……もっとも誤算だったのは、彼女が奴隷となる前の記憶を失っていた事で。その為に二人、宛のない旅をする事になった事だが。



「グレイ、おうた、歌って」


 夜になり、手持ちの携帯食で夕食を済ませ。二人焚き火を囲んでいると、不意にミーシャが言った。


「歌?」

「この間歌ってた。ミーシャが寝てる時」


 そういえば、そんな事もあった気がする。あれは珍しく、前世の事を思い出して歌ったのだったか。

 まだ私が覇王となる前、仲間達と共に歌った歌。やがて道を別ち、そして、この手にかける事となった彼ら。

 彼らの訴えを聞き、歩みを止めていたならば。もっと違う未来が、待っていたのだろうか。

 もうそれを知る機会は、永遠に失われたのだが。


「ミーシャ、おうた、聞きたい。歌って」

「……ああ、いいとも。私の歌で良ければ」


 望まれるまま、私は歌う。かつては希望の、今は悔恨の歌を。

 不意に思い出した。この歌の名前は、「アルストロメリア」と言うのだ。

 アルストロメリアは未来への希望の花。そして、そう、昼間見たあの赤いアルストロメリアの示す言葉は――。


(……『幸い』。そう、幸い、だった)


 歌う。これはミーシャに捧げる、ミーシャに幸いあれと捧げる歌。

 こんな事は初めて願う。他人の願いを叶える為だけに生まれた私が、今初めて誰かに願う。

 どうか、この子の未来に幸いあれと――。


「ミーシャ、グレイのおうた、好き」


 そう言って微笑むミーシャを見ながら、私はひとしずく、涙を流した。

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歯車は請い願う 由希 @yukikairi

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