積み重なる幸せ

 アルバルの娘クアルナンが買い物へ出かけると、いくつもの露店が立ち並ぶ通りで予想外の人物と出くわした。黒髪碧眼でボロボロの服を着た裸足の少年が前方から歩いてくる。向こうもこちらに気付いた様子なので先に頭を下げた。

「アイム様、お久しぶりです」

「おう、クアルナン。元気じゃったか」

「はい。父も壮健です」

「そりゃなにより」

 嬉しそうに破顔したこの少年の名はアイム・ユニティ。女神ニャーン・アクラタカの守護者であり、彼女が神となる以前からこの星を守ってきた星獣だ。不老だから子供のように見えるだけで、実際には千年以上生きていると聞く。

 ニャーンはよく遊びに来るが、アイムの来訪は少ない。彼は普段、各地を巡って後進の育成に当たっている。その多くは三十年前の大戦後に祝福されし者になった能力者たちだ。

 あの戦いでは多くの人間が死んだ。世界の人口は五千人以下になり、長年各大陸を守ってきた祝福されし者も大半が戦死。生き残ったのはグレン・ハイエンドや大地の化身ズウラとその妹スワレのような飛び抜けた戦力のみ。

 もちろん、精霊たちはすぐに新たな契約者を選んだ。だから今も祝福されし者は四十九人いる。けれどその大半は実戦経験に乏しい未熟な能力者たち。なのでアイムやグレンが稽古をつけて鍛えてやっている、という次第。

 なんでも、彼とニャーンは近々また宇宙へと飛び立ち、しばらく留守にするのだそうだ。だから十分な戦力を確保しておいて安心して旅立ちたいらしい。

 アイムは片手でリンゴを弄びつつ訊ねる。

「ちょうどお主らのところへ行こうと思っておった。平気か?」

「あ、はい。でも私は、これから買い物をしようかと。家には父がおりますので、よろしければ先に行っててください」

「荷物は持たんでもいいか? 重かろう、ワシが持ってやるぞ」

「もう子供ではありません。平気です」

「そうか。やはり、人間の子は育つのが早いな」

 千年生きたアイムからすると、二十八の自分もまだ幼く見えてしまうものらしい。軽く嘆息してから頭を下げる。

「私はもう立派な大人です」

「わかったわかった。そうむくれるな、悪かった」

 アイムは苦笑と共に両手を上げた。

 お手上げと言いたいらしい。



「やれやれ、人間の娘は気難しい」

 アイムはどうも人間の女子と接するのが苦手である。男どもと違って意思の疎通が難しい。ちょっとしたことで怒らせたり誤解を招いてしまう。

 ニャーンもあれで意外と胸中には複雑なものを抱えているらしく、時折理解しがたい言動が飛び出す。世の男親共も似たような気持ちなのだろうか? 千年生きた今もなお、そのあたりはいまいち掴み損ねたままだ。

「まあ良い。言われた通り、先に行くとするか」

 ぼやいて、頭の後ろをかきながら歩き出す。ここは第四大陸にあるナントラという街だ。意味は『ニャーンの寝床』で、その名から察することができる通りまだ新しい都市である。

 そもそも、現在のズワルタに存在する集落は全て年若い。ユニの大暴れと自分とニャーンが不在だった二年の間に受けた攻撃でここ第四大陸の一部を除く全ての地域が完全に壊滅してしまったからだ。今ある都市や村々は全てその後の三十年の間に築かれたものなのである。

 人も大幅に減り、それゆえアイムたちは帰還後、全ての人間と顔見知りになった。復興作業のため毎日顔を合わせていたのだから当然そうなる。

 今はもう、彼やニャーンはそちらには手を貸していない。彼らがいなくともなんとかなると思った段階で切り上げた。ニャーンはもっと手伝いたいと申し出たのだが、民の方から断ったのだ。彼らは働き者の女神に対し、いいかげん王と幸せに暮らしてくださいと乞うた。

 そんなわけで、ここ二十年ほどニャーンはこの地に新しくできた国の王妃として夫のズウラや義妹のスワレと一緒に暮らしている。

 王宮――と言っても他の家々より少し大きい程度の質素な建物だが、そんな住み家は街の中心部にあり、昨日まではアイムもそっちの世話になっていた。

 が、今日は旧友の顔でも見てやろうかと思い立ち、街の西側にあるアルバルの家まで向かっているというわけである。

 道すがら多くの者たちに挨拶された。

「おお、アイム様。お久しぶりです」

「うむ。久しいな」

「相変わらずちっこいな、ダンナ」

「やかましいわい。狼の姿を見て言ってみろ」

「あいむさま、これ、うちのはたけでとれたおやさい。おかあさんがもってけって」

「おお、こりゃ美味そうじゃ。ありがとうなミルパ。メェピンは元気か?」

「うん。いっつもおとうさんとケンカしてる」

「はっ、変わらんのうまったく」

 幼子なら男女関係無く話せるなと思いつつアルバルの家に着いた。

 一応呼びかけてみたものの返事は無い。気配はあるから死んではなかろうと、そう判断して勝手に中へ入る。街全体が家族のようなものなので、どこの家も滅多に鍵はかけない。

 案の定アルバルは奥の部屋で机にかじりつき、夢中で執筆していた。

「おい、少しは休まんと身がもたんぞ」

「アイム様!?」

 ようやく気付いたアルバルは数秒の間を置いてから勢い良く振り返った。元衛兵のくせに相変わらず気配に鈍感らしい。

「ほれ、休憩して話し相手になれ。それとも客をほっぽっとくつもりか?」

「ハハ、敵いませんなアイム様には」

 素直に従って机から離れるアルバル。そうして二人でリビングのテーブルにつき、アイムが持ってきた酒で乾杯する。

「ぷはーっ。これは美味い。どこの酒です?」

「第一大陸だ。何年か前にぶどうが豊作だったろう。あの年に仕込んだらしい」

「ああ、そんなことも仰ってましたな。ううむ、これは良い。旧時代の故郷の酒よりずっと美味い」

「第六はずっと雨が降っとったからな。正直メシは全体的にまずかった」

「たしかに。まあ、それでもやはり、時々懐かしくなりますが……」

 第六大陸の人間にとって故郷はそれほど良いところではなかった。第四に移住したことで改めてそう思ったという人間は多い。しかし、アルバルのように昔を懐かしむ者もやはり少なくない。

「ニャーンも同じことを言っとったな。たまに故郷の料理を食べたくなると。それで再現しようとしとったが、自分では上手くいかんようだ。見かねたプラスタがキュートの体を借りて手伝っとったわい。

「鳥の姿のままで?」

「生前の姿になるとニャーンがべったりくっついて離れなくなるからな。料理の腕といい、あの甘えたがりといい、もう五十近いくせに外見同様中身もちっとも変わっとらん」

「フフ、それがニャーンちゃんの良いところでしょう」

「まあな……」

 あの娘は良い意味でも悪い意味でも変わらなかった。だからこそ神々の課した試練に合格し、守界七柱の仲間入りを果たしたわけである。そうでなければ今頃このズワルタという星は跡形も無い。

「これからもきっと、あの可愛らしい彼女のままで世界を守っていってくれるのでしょう」

 美酒に酔いながらしみじみと呟くアルバル。アイムも「そうじゃな……」とまた追従した。

 が、直後にアルバルの悪い酒癖が出た。

「それに引き換えうちの娘は! 小さい頃は、あんなに素直で可愛かったのに! いつからか私を厄介者のように扱う娘にっ!」

「おいおい、そんなことは思っとりゃせんじゃろ」

「いいや、あの目が雄弁に語っています! 自分が旦那と上手くいってないのも、きっと父親のせいだと思っているのですよ! だからいつも責めるような眼差しで私を睨むのです!」

「そりゃ被害妄想じゃ。あやつの目付きが鋭いのは生まれつきじゃい。嫁さんに似たんじゃろ」

「ううっ、そういえば妻もああいう目で私を見ていた。でも、あいつはけっして私を責めたりはしなかった。優しい女でしたよ……ううう」

 激昂したかと思うと今度は泣き崩れるアルバル。この男、酒が入ると感情の浮き沈みが激しくなる。

 こうなったらめんどくさくなる一方だ。早々に酔い潰してしまった方がいいとさらに相手の盃に酒を注ぐアイム。ちなみに彼は全く酔わない。

「良かろう、とことん付き合ってやる。愚痴でも美しい思い出話でもなんでもワシに語るが良い。そうやって溜まったものを吐き出してしまえば筆も進むじゃろ」

「ううう、ありがとうアイム様。いつもいつもお世話になります」

「気にするな」

 実際こちらも気にしていない。アルバルとはあの戦いの直前に知り合ったが、今や親友の一人だと思っている。

 いや、むしろあの苦しい日々を乗り越え、共に復興の道を歩んできた者たちは全員が家族だ。家族の世話を焼くのは当然のことだろう。今のアイムはそう思っている。

 育て親の気持ちが、ここ三十年で深く理解できた。ずっとあの場所から地上を見守ってきた彼女にとっても、ズワルタの民はけっして放っておけない存在だったのだ。

 中でも子供たちのことは、特に。

「あっ、また昼間から飲ませてる。せめて日が落ちてからにしてくださいよ、もう」

 帰って来たクアルナンが酔っ払った父親を見て苦言を呈す。さっき通りで話しかけてきたメェピンの娘ミルパもそうだが、赤子の頃から成長を見守ってきた存在は家族の中でも特に愛しい。

 ニャーンとズウラの間に生まれた王子と王女たちも彼にとっては孫のようなものだ。アイムはニコニコと柔和な笑みでクアルナンを手招きする。

「お主もここに来て飲むが良い。大人になったと言うなら酒の一杯くらい付き合えるじゃろ」

「嫌ですよ。これから晩ごはんを作るんです。せめて邪魔せず、大人しくそこで飲んでてくださいね。アイム様の好物を作りますから」

 クアルナンはつっけんどんに言い放ち、台所へ逃げ込む。でも、その言葉の優しさにアイムはよりいっそう相好を崩すのだった。

「あやつめ」

「くっそう、いいなあ。父さんにも優しくしてくれ、クアルナ〜ン」

「うっさい! 酔っ払い!」




 その夜、アルバルの家に泊まったアイムは床に寝転びながら夢を見た。遥かに遠い未来の夢だ。

 ひょっとしたらただの夢ではなかったのかもしれない。なにせ彼は並行世界の自分と繋がることができる。ならば未来の自分と意識が接続されてもおかしくない。

 そんな未来の自分が今の彼に問うのだ。不安は無いかと。

『この先もお主には大切な者たちが増えていく。そして、そやつらとの別れが繰り返されることになる。恐ろしくはならんか?』

 今の彼はしばらく考え、こう答えた。

「今さらじゃろ。千年前から出会いと別れを繰り返してきた。今後も同じことが続くだけじゃ」

 無論わかっている。全く同じではないと。もう会えぬ者たちへの想いは、未来永劫積み重なり続ける。いつかは、その重みに押し潰されることがあるかもしれない。

 しかし今の彼には、そうなる可能性は低い気がするのだ。

「あやつらとの思い出は、ワシを押し潰す重みではない。これからのワシを支える柱じゃ。最近そう思えるようになった」

『そうか』

 未来の自分は満足げに頷く。その姿を見て、今度はこちらから問いかけたくなった。

「ニャーンはどうだ? あやつは平気か? 人の心のまま神になってしまったあやつこそ、苦しんではおらぬか?」

『あれを見ろ』

 未来の自分が指差した方向へ顔を向ける。

 そこには、何百年後、何千年後かわからぬが発展して栄えているズワルタの姿があった。そして、そこに生きる人々の笑顔が。

『あれが答えだ』

「……そうか」

 ニャーンならきっとあの未来へ辿り着ける。それはきっと彼女が負けなかった結果。今のアイムはそう解釈した。

 結局はただの夢なのかもしれない。だとしても信じたい。信じるべきだ。

 自分たちは、あと何年かしたらまた宇宙に旅立つ。ニャーンは新たな神として使命を果たさねばならないからだ。彼はそんな彼女を守護する。

 それが結果としてズワルタの未来を守ることにも繋がる。

「ワシは、それを見たい。見続けたい。いつかお主のいるその場所へ、さらにその先まで辿り着いてみせる。だから怯えている暇なんぞ無いわい」

『ならばそうせい。お主が来るのを待っておるぞ』

「ああ」


 ――直後、目を覚ました。結局一緒に飲んで酔い潰れたクアルナンがソファからずり落ちかけている。


「やれやれ」

 やはりまだ子供だと苦笑しつつ押し戻し、毛布をかけ直してやるアイム。アルバルの方も世話を焼いてから自分は改めて床に寝転がった。酒臭い息で大アクビをして、今しばらくはこの星でのんびり過ごそうと改めて決意する。

 何者にも余暇は必要だ。しっかり休んできちんと働く。それが長続きするコツ。

 アイムは二度寝した。アルバルはイビキをかき、クアルナンは別居中の旦那の名前をうわごとで呼んで、静かに夜は更けていった。

 こんな日々が続けばいいのに。彼らは皆、そう思っている。

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ワールド・スイーパー 秋谷イル @akitani_il

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