答え

 少女達にとって、この世界は最初から地獄だった。怪塵、怪塵狂いの獣、怪物。衰退した文明と荒んだ人心。ニャーンの生まれ故郷は戦争で疲れた兵士達に蹂躙され、スワレの村はたった一度の怪物の侵入を許しただけで大勢の犠牲を出した。

 七つの大陸。そのいずれに生まれようと逃れようと絶対的な安全圏など無い。誰もが常に怪塵の脅威に怯え、時として自分の生存のために他者を踏みにじることを正当化する。ゆえに隣人を疑い、同じ人間同士でさえ醜い争いを繰り返す。

 幸いにも人の心は次第に慣れる。怪塵が星を汚染してから千年の間に少しずつ人々はそれに対処する術を学び、安定した生活を取り戻していった。きっと彼女達の祖先はもっとずっと過酷な日々を生き抜いて来たのだろう。

 だから感謝しなければならない、懸命に血脈を繋いでくれた先人に。そしてアイムに。彼がいなければとっくの昔に人類は滅んでいる。

 オクノケセラもそうだ。彼女はアイムの命を助けた。彼を助け、そして人類のために自身の力の一部を精霊達に与えた。その対価として人類に協力するよう呼びかけて。彼女がここにいなかった場合も、やはり母星は滅んでいたはず。

 自ら人類に力を与えなかったのは、直接的な介入を禁じる神々のルールを回避するため。彼女が自身の眷属として選んだのはあくまでも精霊達であって、その精霊が人類に加護を与えてもルールには抵触しない。

 これが彼女の限界だった。すでにアイムの命を助けるという直接介入をしてしまった以上、さらなるルール違反が許されるはずはない。ここまでが彼女にしてやれる最大限の支援。


 けれど、それもおしまい。この問答が終われば、ついにその時。

 幼子達を導いて来た手を、離さなければならない。


「勇気をもって立ち向かうか、死を受け入れて待つか……ということですか?」

 問い返すスワレ。星の命運がかかっている以上、間違った答えを返すわけにはいかない。そんな理由での慎重な発言だった。

 ところが次の瞬間、彼女の左肩に羽が突き刺さる。

「うあっ!?」

「スワレさん!」

「だ、大丈夫……です」

 深々と突き刺さっているものの急所は外れた。いや、外された。彼女の視線の先でオクノケセラが小さく嘆息する。

『言い忘れていたが質問に質問で返すことは許さぬ。そしてお主等の出した答えがワシを納得させられなかった場合には即座に殺す。今のはこちらの不備を認めて加減してやったが次は無い』

 攻撃してきたのはイカロスだが、そうさせたのはオクノケセラらしい。声は冷淡で、また彼女の期待を裏切るような言葉を発したら本当に二人を処分するだろう。

 彼女はさらに少女達を追い込む。

『長考は許すが、状況は考慮すべきだ。見よ』

「!」

 空中に無数の映像が投影された。宇宙空間で戦うアイムとグレンの姿。今はまだ優勢だが徐々に相手に押され始めている――


『グレン、向こうの敵を頼む! 母星へ行かせるな!』

【任せろ!】

 取り逃した敵を追ってグレンが離れた途端、無数の光線がアイムの体に突き刺さった。

『ぐうっ!? 障壁の隙間を的確に狙って来よる……!』

 敵の学習は進んでいる。アイムも次から次に並行世界の同位体から技を借りて様々な防御手段で対抗しているものの、全てが『自分』である以上やはり出来ることには限りがある。そろそろ身を守るための手札が尽きてしまいそうだ。

 そうなれば後は消耗戦。数多の『自分』を束ねた彼の膨大な生命力が尽きるが先か、それとも敵の全滅が先か。


 ――地上でも戦いが始まっていた。祝福されし者達と各国の軍隊が連携し、キュートが配備した防衛機構の支援も受けながらどうにか怪物や怪塵狂いの群れと拮抗している。

 でも疲れを知らない怪物と違って人類は疲弊する。傷付き、倒れる。この状況が長引けばやはり形成は不利になっていくだろう。


『ドルカ様! 東からも怪物が!』

『チッ! やはり絶壁のせいで溜まったか。予定通り三番隊と四番隊で迎撃!』

『しかし想像以上に被害が大きく、ここで戦力を分断してはさらに――』

『短時間耐えられればそれでいい! 必ずニャーン殿が決着を付けてくれる! それを信じろ!』

『は、はい!』

「ドルカさん……ワンガニに、もうあんなに怪物が……」

 そう、事態は一刻を争う。怪塵を消滅させる手段が無い以上、無力化し味方に引き入れることのできるニャーンがいなければやはり人類の勝利はありえない。だから彼女はオクノケセラの質問に対して早急に答えなければならないのだ。

 だとしてもスワレは言う。

「ニャーンさん、焦らないで……」

 この一答で全てが決まってしまう。神の力は圧倒的だ、言葉を間違えれば自分達は死に、人類と母星の命運も尽きる。

 なのに苦痛に顔を歪めながら見上げた彼女の視線の先で、椅子から立ち上がったニャーンの方は正反対の表情をしていた。傷付けられたスワレを心配こそしているが、焦りと迷いはすでに完全に消えている。

「ニャーン、さん……?」

「大丈夫です。もう、絶対に傷付けさせません」


 そう言われた瞬間に察した。彼女はもう答えを決めているのだと。

 不安気なスワレの前で叫ぶ。


「キュート!」

【はい】

 傍らで控えていた白い怪物が背中に取りつき、いつものように大きな翼と化す。オクノケセラの発する光が一瞬明滅した。驚いたか、あるいは訝るように。

『なんだそれは? 抗戦の意志を示しているのか?』

「違います!」

『だったらなんだと言うのだ』

「話し合うためです!」

『話し合い?』


 しばし考え込むオクノケセラ。

 十秒ほども沈黙していただろうか、やがてイカロスに指示を出した。


『殺せ』

「はい」

 躊躇せず羽を発射するイカロス。ところがニャーンの眉間に突き刺さるはずだったそれは同じくキュートの翼によって弾かれる。

『ほう、なるほど。そうやって防ぎ続けていればワシと対話する時間が稼げると』

「そうです」

『甘く見られたものだ』

 オクノケセラはまとわりつく羽虫でも払うように、ふっと手の平を軽く振った。それだけで想像を絶する不可視の衝撃がニャーンを襲い、背後の椅子を粉砕しながら吹き飛ばされる。後方の壁もぶち抜き、あっという間にその向こう側へ消えた。

「あ、あ……」

 ニャーンが死んだと、スワレはそう思った。彼女は肉体的には生身の人間。あんな攻撃を受けて無事なはずがないと。

 しかし、その予想を覆して瓦礫を翼でどけ、姿を見せる彼女。たしかに無傷ではなかったものの、額から血を流している程度。致命傷には到っていない。

「話し……合い、ましょう……」

『しぶといな。流石に普通の人間よりは深化が進んでいるか』


 深度という概念がある。より大きな力、大きな宿命を持つ者ほど存在の核である魂が万物の根源に近い領域へ沈んでいくという考えだ。そうして根源に近付くことを神々は『深化』と呼ぶ。

 肉体的にただの人間だとしても深化が進んだ存在であればダメージを受けにくくなる。海の底へ沈んでいけば徐々に水圧が強くなるだろう。それと同じで深化が進めば巨大な圧力に耐えなければならなくなる。耐えられなければ死に、死ななかった者はそれだけ強靭になれる。

 だから同じ攻撃を受けても深度の浅い領域に位置する者より根源に近付いた者の方が死ににくい。ニャーンは人の身に余る強大な能力に目覚めて運命の分岐点に立ち、それを左右する宿命を負った特異点。やはり常人とは深度が全く異なる。より神に近い存在となっており、ゆえにそう簡単には死なせてもらえない。


『だとしても、神たるワシに殺せぬほどではない』

「だとしても……!」

 同じ言葉を繰り返し、真っ向からオクノケセラを見据えるニャーン。同時にまたイカロスの羽が襲いかかって来た。翼で弾いたところへ間髪入れず不可視の衝撃波。今度は散布した怪塵でそれを察知して合掌するような形で合わせた両翼を盾に、左右に断ち割り受け流す。

「ニャーンさん!」

 スワレも駆け寄って来て加勢してくれた。冷気を放出して空気中の水分を凍らせ、両翼の隙間を狙って飛び込んで来たイカロスの羽を氷の盾で弾く。さっきニャーンに弾かれたものが視界外から戻って来た。どうやら射出後も自在に操れるらしい。

「羽は私が防ぎます!」

「お願いします!」

『やれやれ、そういう試練ではないのだがな』

 攻撃を続行するイカロスとオクノケセラ。少女達も連携して身を守り続ける。どちらも自身の力の扱いに熟達しており特に防御能力が高い。出会ってまだ日が浅い割に息も合っている。このまま単調な攻撃が続くなら何時間でも粘れるだろう。

 けれど当然、そんな悠長なことをしていたら味方が危うい。いったいニャーンにはどんな考えがあるのか? この状況に陥ってはもう、それに期待するしかない。スワレはそう判断した。そしてできれば、なるべく早く答えて欲しい。

 焦れているのは彼女だけではない。オクノケセラもまた回答を急かす。

『さっさと先の質問に答えよ。お主は絶望的な未来に果敢に立ち向かって羽ばたく蝶か、それとも悲嘆して諦める者か』

 彼女とて青い星を滅ぼしたいわけではない。あれは創造主が愛した地球の生まれ変わり。そしてこの手で育てた我が子の星。情など移り切っている。無くなってしまうのは悲しい。

 だとしても使命を果たす。試練を課し、それを乗り越えさせる。他に彼女の愛するあの星を生き残らせる方法は無い。これだけが唯一の道。だから――


『答えられぬなら死ね。この先、大切なものの滅ぶ様を見るよりは良かろう』


 せめてもの慈悲。殺すなら一撃で葬ってやる。今度こそ確実に仕留められるようオクノケセラは不可視の衝撃波を放つのをやめ、胸の前で両の手の平を合わせた。そして少しずつ引き離した両手の間に眩く輝く光球が生まれる。

 これは太陽。かつて地球を滅ぼした人工太陽をも上回る熱量の塊。解き放たれれば確実に眼前の少女達を死に至らしめる。それどころかこの施設の外側にある本物の太陽までも大きく膨張させて寿命を数億年縮めてしまうに違いない。

 だとしても放つ。納得のいく答えが得られないなら。

『防いでも避けても無駄だ。人の力では絶対に抗えぬ。これが最後の問いかけだ、答えよ』

「はい!」

 オクノケセラの期待に応え、再びニャーンが口を開いた。正確に言えば彼女はもう答えを決めていたのだが、不可視の衝撃波による攻撃が止んだことでようやく言う機会を得た。

「わかりません!」

『さあ、早く――って、え?』

 あまりに予想外の言葉をまっすぐな眼差しで返され、今にも最後の一撃を解き放とうとしていた彼女は椅子の上で前につんのめった。


 なんと言った? わからない? 回答拒否?

 まさかこの期に及んで、それが答え?

 星の命運が決まるのに?


「ニャーン……さん?」

 スワレもやはり目と口を大きく開いてニャーンの顔を見上げている。イカロスですら主の指示を忘れて攻撃の手を止め、呆気に取られた。

「なにを……」

「だから、わかりません」


 嵐の中、飛び立とうとする蝶か否か。その質問に対して同じ答えを繰り返すニャーン。

 何度考えてもそれしかない。彼女にはそうとしか言えない。


「そんなの、その時になってみないとわかりません!」

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