一人じゃない

 ――その時、彼女の脳裏に気の強い少女の姿が浮かび上がった。彼女は焦った表情で必死に助言を行う。


【頭を使いなさい! 馬鹿正直に受け止める必要なんて無いのよ!】


 そうか! 目を見開いたニャーンは頭上を守っていた翼を操り、続く攻撃をまともに受けず受け流させた。いなして力の流れる方向だけを変えたのだ。いきなり軌道を逸らされた触手はブレーキをかける間もなく床にぶつかって石材にめり込む。

 さらに亀裂が広がり、足下が崩れ、足に絡みついた触手もたわんだ。その隙に今度は羽ばたいて数歩分の距離を後退する彼女。締め跡のついた足で立って姿勢を正す。

「へえ、やるね」

 驚きながらも即座に追撃をかけるユニ。今度は太い触手を無数の細いそれに変えて手数を増やす。速度も人間の動体視力の限界以上に引き上げて攻撃。

(この数、速度、防げるかな?)

 脳内で問いかけた時には、すでに数本の触手全てが明後日の方向へ軌道を逸らされていた。壁を粉砕して破片を降り注がせる触手達。

 ユニは目を見開いて喜ぶ。

「面白い! 流石に賢いな!」

「ヒッ!?」

 隙を見て彼を拘束しようと思っていたニャーンだったが、やはりそう簡単な話ではない。ユニは隙を見せるどころかさらに触手の数を増やし、自ら前に出て間合いを詰めつつ息つく間も無い連続攻撃を繰り出して来る。反撃のチャンスを与えないつもりだ。

 けれど防げてはいる。ニャーンは防御の方法を変えた。これまでのように受け止めるのではなく受け流す。しかも翼を構成する羽の一枚一枚を己が腕のように動かし、滑らかに敵の攻撃の軌道を変える。つまり手数でも負けていない。

「いいぞいいぞ! まるで武術の達人と戦っているようだ!」

「死んじゃう! こんなの死んじゃう!」

【大丈夫です、お任せください】

 ユニの言葉通り実際に防御を担当しているのは白い怪物。ニャーンは新たな対処法を発案したに過ぎない。翼全体でなく羽の一枚一枚を有機的に動かし、受け止めず受け流す。その際には羽自体の表面も極限まで滑らかにして滑りを良くする。

「ハハッ、まるで被弾経始ひだんけいしだね!」

 感心するユニ。彼が第四大陸に供与した兵器の中に『戦車』というものがある。これは異世界で見た同様の兵器を参考に開発したもので、簡潔に説明するなら自走する鋼鉄の馬車。火薬を使って砲弾を飛ばす機能もあり、この世界でも全く同じ機能を持たせた。

 そして、そんな砲弾に対する防御機能も備わっている。対怪物を想定して開発した砲弾の威力は分厚い鋼鉄の装甲すら撃ち抜くものだが、場合によっては怪物の触手や同じ戦車砲で攻撃されたとしても弾くことができる。

 その理由が被弾経始、すなわち装甲につけた傾斜。傾斜のおかげで被弾しても角度さえ良ければ受け流すことができる。

 素晴らしい発想。だからといって彼女の反射神経で超高速で繰り出される連続攻撃を捌き切れるはずもない。怪物が補助しているからこその芸当。

「思ったより優秀な従者のようだね、その白い怪物は! でも、それで守れるのは君だけ! 君も結局は我が身が一番可愛いようだ! 彼等のことはほったらかしかい?」

 ユニは『家畜』への攻撃も緩めない。触手が怪塵の壁を強引にこじ開けて前に進もうとしている。二者択一、自分か他人かどちらかを選ばなければならない。そういった状況に追い込んでニャーンの反応を窺う。彼にはこの戦いすらも実験の一環。


 彼女の答えは当然、両方を守る。


「掴んで!」

【はい】

 彼女はまた防御方法を変えた。受け流すのではなく絡みつく。さっきユニが彼女の足に細い触手を絡ませたように羽の一枚一枚を触手に絡ませて掴み取る。わざとらしく驚くユニ。

「おおっ、僕と力比べをする気なのか?」

「か、かそく! 十分な『かそく』が得られなければ、貴方の触手だって怖くない! です!」

 まるで他人から教えられた言葉をそのまま言っているような口調のニャーン。ユニはその理由を即座に察した。

(良い助言者も付いてるな)

 彼女の操る怪塵、つまりフェイク・マナにはかつて『生物の記憶を保存し再現する』という機能が備わっていた。現在その機能の大部分は封印され周囲の生物の思考を読み取り『怪物』としての形態に反映するのみに留まっている。

 だが彼女には『破壊』の力がある。封印を解いて本来の機能を発揮させることもありうるだろう。実際に以前に観測した戦闘でそのような事象が起きていた。

(あの時の少女、プラスタ・ローワンクリスか!)

【そうよニャーン! 掴んでしまえばこっちのもの! さっき攻撃を受け止めていた時の状況から見て単純な力比べに持ち込んでしまえば互角に戦えるはずだわ! 絶対に逃がしちゃ駄目!】

「うん! ありがとうプラスタちゃん!」

 フェイク・マナが保存した記憶を、少女の人格と知性を再現して助言を行う。ニャーンはそれに従って膨大な量の触手を掴み取り、真っ向から組み合う形に持ち込んだ。

「だが、ここからどうする? 君は僕を攻撃できない! 永遠にこのまま睨み合うつもりか?」

「いいえ! 信じています! 私はもう一人じゃないって!」

 きっと来ている。必ず近くにいる。そう信じて放つ。

 これは狼煙、彼に位置を報せるための一撃。

「アイム! 私はここです!」

 組み合いながら特大の赤い雷を上に向けて放った。それが障害物を全て貫通し、第七大陸を覆う鉛色の雲に風穴を開けた直後――


「ようやった!」


 壁を蹴り砕き、小柄な影が飛び込んで来た。間髪入れずユニ・オーリの顔にも回し蹴りを入れて吹き飛ばす。

 彼はまだあの男の本名を知らない。だから拳を握り、倒れた相手を睨みつけながら偽りの名の方を呼んだ。

「今度こそ片付けてやる、アリアリ・スラマッパギ! この星に巣食う最大のゴミをな!」




 ゆっくり起き上がり、血の混じった唾を吐き捨てるユニ。とはいえ痛手ではないだろう。すぐに回復する。この男はグレン以上の再生能力まで備えているのだ。

「ハハ……久しぶりだねアイム。元気にしてたかい?」

「貴様を殺すまでは死んでも死に切れん」

 ニャーンを背後に庇い、半身となって両腕を内側に巻き込む独特の構えを取るアイム。アリアリが相手では一瞬たりとて油断ならない。ようやくの再会だが長く話す時間は無かった。

「アイム!」

 嬉しそうな声を背中に受けて、むずがゆいものを感じながらも振り返らずに答える。

「ここまで、よう頑張った。後はワシらに任せよ、お主は救える者を救え」

 たった一人でアリアリ相手に抵抗を続けていたのだ、やはりニャーンは一人前の戦力とみなせる。だから頼んだ、この第七大陸の人々を。まだ取り返しのつく者達を彼女に守ってもらいたい。

 ここからは『殺す』ための戦いだ。彼女には手を出させたくない。

「ズウラ! お主はニャーンの護衛だ!」

「えっ、ズウラさん!?」

『待ってくださいアイム様!』

 少し遅れて甲冑姿のズウラも姿を現す。アイムが開けた大穴を潜り、言われた通りにニャーンの傍で立ち止まった。しかしその口からは抗議の言葉。

『オレもその男と戦います! 妹の仇だ!』

「えっ……」

『あ、大丈夫、生きてます! でも大怪我しました、あの男が犯人です!』

 青ざめたニャーンを見て慌てて訂正するズウラ。アリアリ・スラマッパギは妹に深手を負わせた相手。兄の自分が仇を取ってやらなくてどうするのか。

 だがアイムは許さなかった。

「ならん! 言われた通りニャーンと他の者達を守れ! 己の力を過信し、両方などとは欲張るな。テアドラスの民は人類の最後の砦を守るが役割。ならばそれを全うせい!」

『!』

 アイムに叱られた瞬間、頭の中で妹の声も響く。その通りだぞ兄、と。スワレも間違いなくそう言うだろう。自分の仇討ちなんかよりニャーンの身の安全を優先しろと。

 だからズウラは悔しさを噛み殺し、指示を受け入れた。

『わかりました、こちらはお任せを!』

「それでええ」

「話は終わったかな? なら、そろそろ始めよう。久しぶりに稽古を付けてあげるよ」

「ほざけ、腐れ外道!」

 アイムは瞬時にアリアリの懐に飛び込んだ。凄まじい踏み込みの速さだが、相手はあえて攻撃を受けようとしている。わかっている、コイツはそういう男だと。今もしっかり目でこちらの動きを追っているのだから。ニヤけた面で。

「蛇絞か!」

 その通り。左腕を蛇の如くしならせて伸ばし、防御のために動いた触手の隙間をかい潜って敵の拘束具に食らいつくアイム。こんな胸糞悪いものは引っぺがしてやりたいところだが今はそれよりすべきことがある。

「表へ出ろ!」

 この場を戦場にしたくない。食らいつくと同時に体を捻り、右足を重牙で巨狼に変えた。爆風でアリアリもろとも加速し、回転しながらまたも壁を突き破る。

 窓が無いためニャーンは気付かなかったが、壁一枚隔てた向こうは外だった。しかも建物の五階だったので二人は空中に躍り出る。

「何をする気だい?」

 アリアリはアイムに狙いがあると気付いていた。だが気付いていてもこれは防げまい。彼は怨敵を逃がさないよう掴んだまま叫ぶ。

「今じゃ!」

 合図を聞くまでもなく伏兵は動き出していた。アリアリを引きずり出したら即攻撃とあらかじめ打ち合わせてあったのである。

 閃光が駆ける。ニャーンの囚われている建物を一望できる位置で待機していたグレンが光の精霊と同化し、雷光より速いと称される速度で二人に迫ると光の剣を一閃した。

「ッ!」

 目を見開いたまま宙を舞うアリアリの生首。胴体から完全に切り離されたそれはクルクルと回転しながら落下を始めた。

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