地獄を生む者

「もう、やめて……」

 拘束具を装着され、その上で椅子に縛られたニャーンは目の前の光景を直視できず、必死に瞼を閉ざしている。それでも両手が使えないこの状況では耳まで塞ぐことはできない。


『あああああ! ああああああああああああっ!!』

『うぎいいいいいいいいいっ!?』

『あ……ああ……』


 鼓膜を震わす悲痛な絶叫。どういう仕組みなのか別の部屋で行われている実験の様子が目の前に並ぶ硝子板に映し出されている。声もその透明な板から発せられていた。

 板の数は七枚。上下二段になっていて上段に四枚、下段に三枚。その全てに自分と同じ顔の少女が映し出されていて、そして凄惨な状況に陥っている。異形の獣に襲われ、追い立てられ、やがて肉を食い千切られて死ぬか、それ以上に悲惨な目に遭って涙を流しながら助けを求める。


『あああああああああああああああっ! あああああああああああっ!』

『うああああああああああああああああああっ!!』


 彼女達は言葉を知らない。さっき生まれたばかりだから。まだ何も知らない赤子と同じ。なのに無残に殺されていく。

 悪夢のような光景を七つも目の当たりにしながら、それを作り出した男は楽しそうに横から彼女に語りかけてきた。

「あーあー、やっぱり複製じゃ駄目だね。君の能力が遺伝してくれたらと期待したのになあ。結局オリジナルを使うしかないか」

 軽く肩を叩かれ、恐怖のあまり全身を震わすニャーン。男の説明によると、あれら自分と同じ顔の少女は意識を失っている間に採血して、その血から複製した彼女と寸分違わぬ『遺伝子』を持つ者達だと言われた。本当にそんなことが可能かは知らない。知りたくもない。

 でも実際に自分と同じ顔の少女達は存在していて、眼前に並んだ硝子板の向こう側で惨たらしく殺されていく。オリジナルの彼女の目の前で。


『ああっ! あああああああああああああああああっ!』


 まだ息のある一人が硝子板に縋りついた。堪え切れなくなりニャーンは彼女を見つめる。自分と同じ顔の少女を。向こうにもこちらの姿が見えているのかはわからないが、目が合ったような気がした。


「待ってて! 今、助けてあげるから!」


 そう言って暴れ出すのだが非力な彼女の力では拘束を解くことができない。この部屋には怪塵も全く存在しないのだ。いや、この部屋どころか感知できる範囲内のどこにも怪塵の気配を感じ取れない。能力を封じられたか、なんらかの手段で除去してあるのか。

 なんにせよ、ここでの彼女は一年半前と同じ無力で平凡な少女。


『あぐっ』


 ニャーンと同じ顔の少女、その最後の一人も姿を消した。喉笛に噛みつかれ押し倒されて見える範囲の外に消えた。グチャグチャと肉を咀嚼する音が聞こえて来てニャーンはとうとう嘔吐する。

 吐いて、吐いて、泣いて、口の中に残る酸っぱい胃酸の味と鼻をつく異臭でまた吐き気を催して吐き続けて、そしてえづく。

「うっ、うっ、うっ……」

「あらら、人が食われるところは見たことが無かったのかな?」

 男はこうなることを予測していたらしく、バケツに水を汲んで用意してあった。そして背中から伸びた触手を使い、容赦なく浴びせかけて吐瀉物を洗い流す。

 おかげで頭が冷えた。でも怒りは消えない。ニャーンは『アリアリ・スラマッパギ』と名乗った男を睨みつける。

「どうして……」

 どれだけ考えてもわからない。こんなおぞましい実験のために生み出され、そしてすぐにその命を奪われた彼女達が可哀相だ。七人の『自分』がいったい何をしたと言うの?

「貴方は、どうして? なんでこんなことができるんですか!? 命をなんだと思ってるの!」

「素材だね」

 男は即答した。こともなげに。

「そ、ざい……?」

「君はどんな命も平等だと言いたいんだろう? 全てが等しく尊いもので大切にすべきだと。別に否定はしないよ、考え方は人それぞれだ。でもさ、それなら僕の考え方もまた尊重されて然るべきだと思わないか?」


 素材。アリアリ・スラマッパギにとって自分を含めた全ての生命は『材料』でしかない。


「僕は『完成品』を作りたいんだ」

「かんせい……ひん?」

「ああ、読んで字の如く『完璧』に『成った』ものさ。完璧なら僕の欲望を永遠に満たしてくれる。ずっと楽しく暮らせるじゃないか、そのために努力してるんだよ」


 楽しく? 楽しむため?


「そんな……そんなことのため? 楽しむために、これを……?」

「おやおや、快楽を軽視してはいけないよ。人の幸福なんてものは結局のところ全てが快楽の追求なんだから。好きな人と一緒にいて楽しくなる。お腹いっぱい食べて満たされる。何もかも欲望だ。綺麗な言葉にすり替えたって本質は同じ。僕の幸福も君の幸福も根は一緒。何も変わりはしない」

 男はニャーンの目を覗き込む。今の説明で理解できたかなと確かめる。

 やがて言葉を失っている彼女に追いうちをかけた。

「こう思っているね? 僕の快楽は他人を不幸にすると。たしかにその通りなんだが物事は一方的に見ちゃいけない。誰かが幸せになったら、その裏では別の誰かが不幸になっている。君が誰かを幸せにしたと思っても、その陰では不幸になっている誰かが必ずいる。誰も彼もが幸せになれる道なんて無い。この世界は数少ない『幸』を奪い合うようにできている。だから遠慮は無用だ、自分が幸せになりたきゃ他人を蹴落とせ。欲望のまま手を伸ばすといい。僕はそうして来たよ、だからずっと幸せだ。君も見習ったらどう?」

「……嫌です」


 ニャーンには彼の言葉は難しくて、言ってることの半分も理解できなかった。

 でも、わかった。たった一つだけハッキリ理解できた。

 彼は、他人を不幸にすることでしか幸せになれない人なんだと。


「私は……嫌です……」

「泣くんだね」

 自分の複製達の死を目の当たりにしたのである。元々泣いてはいた。でも意味合いが変わったと即座に察するアリアリ。この子はどうやら同情してくれるらしい。彼女の感性や価値観からしたら異常者でしかない存在にさえ憐憫を感じている。

 やはり、この精神性。それが鍵。

「僕を可哀相だと思うなら教えてくれないかニャーン・アクラタカ。君はどうやってその力に覚醒したんだい? 僕も色々と試したんだよ。でも、どうしても『ネットワーク』は僕に権限を与えてくれなかった」

「え……?」

 権限? ネットワーク? 何のことだかニャーンにはわからない。

 構わずアリアリは続ける。彼女が無知なことなど知っている。だから説明してやる。

「レインボウ・ネットワーク。そう呼ばれるシステムが存在している。君はそれに選ばれて始まりの七人の神が有する権限、その一部を貸し与えられた。破壊神カイの力を、赤い光を操れる存在に昇華した。そこが『王女』とは違うところだ。それによって君は彼女以上の素材と化した」

「……あっ」

 ネットワークや破壊神とやらについては何も知らない。けれど『赤い光』と聞いて先日の一戦で目覚めた新たな能力のことだとは理解できた。目の前の男はあれについてなんらかの知識を有しているらしい。

 そして、さらなる情報を欲している。あるいはニャーンの中にある力そのものが目的。

「困ったことに君の力は遺伝しない。その力は君という人間の精神性が発動の鍵になっているようだからね。そのせいで君を壊すことには躊躇せざるをえない。たった一人の貴重なサンプル、解剖することも必要以上に弄ぶこともできない。全く酷いジレンマだよ」


 だから――


「今度はこうしてみよう。僕がこれまで何をしてきたのか教えてあげるよ。君のような人間は必ず怒るはずさ。その反応を観察して『破壊』を操るための鍵を探る」

 パチンと指を鳴らすアリアリ。すると七枚の硝子板に新たな映像が浮かび上がる。やはり、ここではないどこかの光景。そして今ではない、いつかの記録。

 突然現れたこの男の暴力によって支配されていく第七大陸。惨たらしい実験に使われ次々に命を落とす人々。死んだ後ですら安息の時は訪れない。死体に人工生物が寄生して動かし労働力として働かせる。

「酷い……」

 また涙が流れる。怒るよりも、ただただ悲しい。

 どうしてこんな酷いことができる? いったい何故、彼のような人間が生まれる?

 人はここまで残酷になれるのか。だとしたら、自分の知らないどこかにはこれ以上の地獄も存在しているのかもしれない。

 やるせない。こんなこと知りたくなかった。

「怒らないね。なら、そのまま目を離さないでくれよ」

 映像は続き、やがて違和感が生じ始めた。

「どこ……?」

 アイムと共に六つの大陸を巡って来た。そんなニャーンの記憶にも無い景色ばかり映し出される。

 知らない文化も次々に現れた。見たことの無い生き物や聞いたことの無い言語まで。これが彼の記憶だとするなら、アリアリ・スラマッパギはこれら全ての異郷を旅して来たことになる。そして全ての場所を地獄に変えてここまで辿り着いた。


 ここ、自分達の生まれた星へ。別のどこかからやって来た。

 映像はそう示している。


「……貴方は誰? 何なんですか? 悪魔?」

 涙は止まった。再び目の前の男がわからなくなる。人の姿はしていても、あまりに異質。何者で、どこから来たのか、それを知りたい。知らねばならない。知らずにいればこの世界もまた彼の悪意に押し潰される。でも正体さえ知ることができたら対処法も見つかるかもしれない。

 男は変わらず笑っている。まるで、それ以外の表情を知らぬかのように。

「悪魔か、君達の聖典はそれを『堕落させ不幸に陥れる者』と定義していたね。光の神に相反する者達だと。でも僕と彼女には共通点もあるんだよ、人助けしているところとかね。第四大陸で君は見たんじゃないか? 明らかに他の地域とは別格の技術力を」

「ッ! ま、さか……」

「そうだよ、あれは僕が供与したんだ。第四大陸はアイムの意向に反して僕と契約を結んだ。僕の要求するものを彼等が提供し、こちらは見返りに怪塵に対抗するための力を与える。そういう契約になってる。どうだい、悪いことばかりはしていないだろう? 僕の研究は光の神のように君達の助けにもなっている」


 ――ニャーンは思い出す。以前アイムが第四大陸を評して『越えてはならない一線を越えることがある』と言っていたのを。あれはおそらく、このことだったのだ。

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