三章【限りなき獣】

炎は今も胸の中

 体中が焼けるように熱い。息苦しく、中心から張り裂けてしまいそうなほど胸が痛む。

 ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。何度も皆に謝った。守ることができたはずなのに守れなかった大切な人達。


「やっぱり駄目なんだよ、私なんか」


 自分と同じ顔の少女が言う。暗く冷たい眼差しで責め立てる。何もできるはずがない。修道院の皆を守れなかった分際で、いったい何を成せると言うの?


「修道院へ行きなさい。お前はあの子の姉だもの、弟のために何をすべきかわかるでしょう?」


 母の記憶が蘇る。有無を言わさぬ強い口調。やはり冷淡な眼差し。だから自分は彼女に、そして父にも捨てられたのだと思った。生まれたばかりの弟は要領の悪い出来損ないの娘より大事。そう言われた気がした。

 なのに何も言い返せず、首を縦に振るしかない。


 うん。


 頷いた直後、雨が降り出す。第六大陸ではいつものこと。けれどその雨は赤い。瞬く間に視界に映る全てが血みどろになった。恐怖が、怒りが、悲しみが、ない混ぜになってまた胸の真ん中から湧き上がる。それらの感情が全身を焦がす無数の傷から溢れ出した。ドロドロの溶岩に似た何かが足下へ広がっていき、世界をさらに朱く照らす。

 自分と同じ顔の少女がニタリと笑う。それ見たことかと。


「そうだよ、壊しちゃお。神様に壊される前に私達の手で。お望み通り滅茶苦茶にしちゃえばいいんだ」


 神様だって、この力なら殺せる――耳元で囁かれた途端、胸の痛みが甘い疼きに変わり始めた。

 憎しみで快感を得られるなら憎まれた場合は? 憎まれた分だけ、よりいっそう強く憎むことができる? 世界の全てを敵に回したらどうなるの?


「もうユニティにだって止められはしない。怪塵は全て私達のものになる。神様やつらが投げつけて来た石を拾い上げ、今度はこっちが投げ返してやるの。目には目を、歯には歯を。思い知らせましょう理不尽で傲慢な神々に。大切なものを奪われた、その報いを与えてやるの」


 これは自分の声。嘘偽りの無い本音。

 正当な復讐のはずだ、殺されたのだから。大切な家族と友人を。

 いつか、この世界の脅威になるかもしれない。

 たったそれだけの理由で。


「前へ進もう。本当にやりたいことをやろう。今度こそ敵を皆殺しにするんだ。悪いのはあっちで、許す必要なんか無い。迷うことだって無い。正直に生きるべきよ。さあ!」


 この身から溢れ出し、どんどん広がり続ける溶岩の中で、それでも平然と立っているもう一人の自分が煽った。泣き笑いながら訴えかけてくる。衝動のまま力を使え。権利を行使し、果たすべき復讐を成し遂げろと。


「世界を壊してしまえばいい! そしたら神々も道連れになる!」

「――馬鹿言ってんじゃないわよ」


 突如、溶岩の一部が盛り上がって人の形を作った。上昇する熱気が赤い髪を炎のようにゆらゆらそよがせる。実際に全身を炎に包まれているのに彼女は一顧だにしない。己こそが最も熱い火だと強い眼差しで示し、目の前の『本心』を睨みつける。

 もう一人の自分は動揺した。


「うう……っ!」

「ほら、アタシを見た程度で揺らぐ決意なのよ。その程度の怒りなの。くっだらない、結局は楽な方へ逃げ込もうとしているだけ。何もかも諦めて手放してしまえば簡単だもの。でも、そうはさせない。約束は必ず果たしてもらう」


 炎を纏った少女は振り返り、際限無く溶岩を吐き出す方の『親友』へ手を伸ばした。両腕を腰に回して抱きつき、苦痛に顔を歪めながら言い放つ。やはり熱い、だとしても離れない。


「負けるな! 何があったってアンタはあんな風にならせない! 覚悟しなさい、アタシはいつも見てる! ずっと一緒にいるの! 忘れないで、アタシの知ってるニャーン・アクラタカは不器用でも嘘つきでも絶対に約束を守ろうとする人よ!」


 次の瞬間、一転してニャーンを突き飛ばす彼女。そして真っ赤な世界で、もう一人のニャーンと睨み合う。自分だけでは抑え切れない感情を、彼女の思い出が制してくれる。

 怒りと憎しみで焼け爛れた世界。そこから急速に遠ざかり、やがてニャーンは目を開いた。桜色の瞳から零れる大粒の涙。己の心の醜さに嘆き、そんな自分に手を差し伸べてくれた親友の優しさに感謝する。

「プラ……スタ、ちゃん……」

 返事は無い。もう彼女はいないのだ。この世界のどこを捜したって見つからない。親友は死んだ、ちゃんと覚えている。

 ここがどこかは、わからなかった。でも、なんとなく見覚えのある室内。修道院とも第六大陸の一般的な住居とも雰囲気が異なる。窓はカーテンで塞がれていて隙間からはオレンジ色の光が差し込んでいた。天井が遠く感じるのは、きっと床に寝ているから。背中に感じる感触がベッドのそれより硬い。もっと大きくてしっかりしたものに支えられている。

「ここ……って……?」

 もう少しで思い出せそう。でも体中の痛みが邪魔をする。手がかりが欲しい。視線を彷徨わせているうち、部屋に少女が入って来た。彼女はニャーンの姿を見て驚き、黒い瞳に涙を溜めつつ駆け寄って来る。

「ニャーンさん!」

「あ……」

 まだ意識が混濁していて、記憶もぼんやりしている。

 でも、相手が名乗る前になんとか思い出せた。

「スワレ……さん……」

「ああ、良かった! 兄さん! アイム様! ニャーンさんがお目覚めになりました!」

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