赤い凶星

 ズウラの力の使い方が参考になった。空中に投げ出される直前、砕け散った翼の欠片を鎧に変えて激流の中を生き延びるニャーン。

「ああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 左右も上下もわからなくなるほど振り回され地面に落下する。かつて感じたことがない強烈な衝撃。左の脇腹と下敷きになった左肘には熱い痛み。

 でも生きている。アイムが盾になって爆風を弱めてくれていなかったら、きっと死んでいただろうけれど、生きている。

「あ……ぁぁ……くっ、う……」

 痛い、痛い、痛い。身体は動くなと訴えている。でも、そんなことどうでもいい。知りたい。確かめたい。動きにくい。重い。鎧を怪塵に戻して脱ぎ捨てる。のろのろと立って虚ろな瞳で前方を見た。

 目が霞む。それでもわかった、把握してしまった。何も無いと。何も見えない。全てが消し飛んだ。失われた。永久に。

 草原が広大な窪地と化し、その中心にあったはずの建物は見当たらない。

 代わりに現れたのは山のような大きさの黒狼と、そして──


【攻撃対象、発見】


 これまでに見た二体がなんだったのかと思えるほど大きな怪物。そのサイズはアイムの巨体に匹敵している。

【脅威度を測定。B+ならびにA+】

「……あな、たが……」

『逃げろ! ここから逃げろ! お主には無理だ、これの相手はまだ早い!』

 警告し、狼の姿のまま立ち向かうアイム。変幻自在に姿を変える怪物と切り結びながらこの敵について教えていなかったことを悔やむ。


 怪塵の脅威は地上にのみ留まらない。本当にごく稀にだが「特別な怪物」が落ちて来ることもある。千年の歴史の中で過去三回、同じ災厄が発生した。

 それは、かつて彼が破壊した赤い星の欠片。砕け散った時の衝撃で再び宇宙空間に飛び出し、そのまま衛星軌道に留まった残骸。全てが地上で塵と化したものより遥かに大きな質量を留めている。

 この大結晶が地上に落ちるとはどういうことか。

 こういうことだ。


『ぐっ、ううっ!』

 体当たりを仕掛け、噛みつき、爪で薙ぐ。すると相手は変形して同様の攻撃手段で反撃する。同じ、なのに押されてしまう。変身したこの姿でさえ力負けしている。鋭く尖った刃が、光線が、無類の強度を誇る毛皮をも貫いて傷を付ける。

『強い……!』

 過去三度の事例と比べても遥かに強い。単に質量が大きいだけでなく、こちらの動きを先読みしている気配。攻撃はことごとく防がれ、反撃は全く回避できない。

『観察していたのか、この千年、ワシの戦いを!』

 巨大な結晶とはすなわち怪物である。なのに何故自らの力で落下して来ないか不思議に思っていた。

 おそらくは、そういう戦略だったのだ。細かく砕かれてしまった赤い星が最大の障害を取り除くため選択した作戦。まずは小さな欠片を尖兵として落下させ情報を収集。そして次にはより大きく強力な欠片を落とす。少しずつ解析を進め、対処法を確立する。

 見事にハマッている。敵はこの場において圧倒的に優位。

【対象一、脅威度、依然B+。並行対応可能。優先目標への攻撃を開始】

『おのれ!』

 片手間にニャーンへの攻撃まで開始した。無数の触手が彼女に向かって伸ばされる。先の爆発を生き延びたのは幸い。しかし、このままでは結局殺される。

『ガアッ!?』

 肉に突き刺さる触手。アイムは両者の間へ再び割り込み、己を盾にした。激痛に苦しみながらも全身を回転させ触手を引き千切り、停止と同時に咆哮を放とうとする。赤い星を砕いた必殺の一撃。


 だが躊躇した。もはや生存者などいないだろう。

 それでも、敵の後ろには──


『ぐうっ!?』

 修道院があった場所、敵はそれを利用した。こちらの心理まで解析して有利な位置取りを保っている。わかっていても全力で反撃できない彼の体に間断無く突き刺さる無数の触手。さらに斜めに薙いだ光線が顔に深い傷を刻む。

 それでも彼はその場を動かない。避けるわけにはいかない。これも不利な位置取りを強いられた結果。ニャーンがまだ背後にいる。

『逃げろ! ワシでも、これには勝てるかどうかわからん! 一旦距離を取れ!』

「……」

 何度叫んでも彼女は動こうとしない。

 いや、直後に動き出した。

 しかし──

『まっ、待て!』

「プラスタちゃん……みんな!」

 焦るアイム。羽ばたく赤い両翼。

 ニャーンは修道院のあった方向へ飛び立ってしまった。




 触手が迫って来る。彼女はその下を掻い潜ってさらに前へ。巨大な物体が高速で動いたことにより突風が生じ、煽られてバランスを崩しかけたが、どうにか立て直す。

 そして、その風の中に見覚えのあるものを見た。


『──貴女のお名前は?』

『ニャーン……』

『そう、とても可愛らしいお名前。今日からはここが貴女のおうち。私のことはメリエラ先生と呼んでください』


「先、生……!」

 飛んでいたのは僧帽。院長のものだとは限らない。他の誰かのものかもしれない。誰のものだろうと同じ。彼女には全員大切な家族だった。

 再び触手が襲って来る。今度は突風を警戒してさっきより大きく避けた。ところが触手の表面から細い別の触手が何本も伸びて追撃を仕掛ける。

「邪魔しないで!」

 無数の盾を展開して防ぎ、次々に砕かれるそれの破片を浴びて切り傷を作りながら強引に突っ切る。

 ところが、今度は怪物の巨体そのものが前に立ちはだかった。大きく投網のように自身の身体を広げて覆い被さって来る。逃げ場など無い。


 チリッと、何かが彼女の中で火花を散らす。


「邪魔を──」

『するな!!』

 アイムが大きく広がって薄くなった敵の巨体を体当たりで突き破った。ニャーンはその突破口を素早く潜り抜ける。

「ユニティ!!」

『いいから行け! 納得して来い! こやつはワシが相手する!』

「ありがとう……!」

 歯を食いしばり、涙を堪えながら飛ぶ。降下して着地。クレーターの中心。多分ここだ、ここのはず。何も無いけれど、この場所から微かに懐かしい気配を感じる。


「プラスタちゃん! メリエラ先生!」


 呼びかける。

 返事は無い。


「ミンヒル先生! アミル先生!」


 呼びかける。

 返事は無い。


「ムスティラ! ヤーナフ! オルマ! イルチカ! 隊長さん! 誰か、誰か、返事をして……生きてるって、言って……」


 土を掘った。

 素手で。

 爪が剥がれても、

 痛みが麻痺しても、

 掘って、

 呼びかけて、

 声が涸れるまで叫んで、

 そしてわかった。


 ──納得して来いとアイムは言った。その言葉の意味を理解したくなくて無意識に拒否し続けていたけれど、もうできない。彼女だって本当は最初からわかっていた。


 ミーネラージス修道院は、もう無い。

 そこにいた人達も、すでに亡い。


「なんで……なんで、ですか……?」

 天を見上げる。雨が降って来た、今さら。

 こんな時に。なんの意味も無く。

「どうして、こんな、ひどいことを……」

 神様は見守ってくれている? 人間を愛してくれている?

 皆、生きていた。ここで、他の人々から見放されても、懸命に生き続けていた。

 夢があった。未来があった。思い出があった。

 それを何故奪う? 人間が何をした?

 チリチリと、また何かがざわめく。

 瞳から噴き出しそうな熱を感じる。

 心が煮え滾る。この激しくて狂おしい感情は──


 そして、その時、何かが目の前に落ちて来た。ドンと大きな音を立てて落下したそれはニャーンの目の前で四散し、肉片と血を撒き散らす。

「!」

 誰かの腕だった。続いて土塊と他の肉塊が次々に落ちる。

 雨と共に黒い悪夢が降り注ぐ。


『これは!? 舞い上げられた土砂が落ちて来ているのか!?』

 怪物と対峙し足止めしているアイムにも、それは降りかかった。彼の背後でニャーンは埋もれていく、家族の亡骸と土塊の下へ。

 そして押し潰されそうな彼女の唇は、一際大きな慟哭の後で、生まれて初めてその言葉を紡ぎ出した。


「殺す」


『──ッ!?』

 凄まじい悪寒を感じたアイムは目の前に敵がいることも忘れ振り返った。同時に地面に降り積もっていた土塊が吹き飛び、再び宙に舞い上げられる。舞い上がって消失する。

『なんだ……あれは……?』


 天地を貫く赤い光の柱。

 怪物もまた動きを止める。

 成長した敵の脅威を測定する。


【対象二の脅威度を更新。S、S+、SS──測定限界を突破。宇宙崩壊レベルの脅威と断定。最優先目標に設定】

『何……?』

 今、なんと言った? アイムは目を見開き、怪物を凝視する。

 宇宙崩壊レベルと、そう断定したと言ったのか?

 ならば、あの光の柱は──

 振り返る。振り返って呼びかける。

『ニャーン! やめろ!』

「どいて」

 光の柱の中で杖を持ち上げる彼女。先端が示したのはアイムと、その向こうにいる巨大な怪物。

 次の瞬間、恐ろしく長大な「槍」が何本も彼を掠めて敵を襲った。

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