影の領域
大聖堂を出ると再び兵士達に囲まれた。だが今度は武器を構えていない。
「街の外まで護衛します」
「皮肉か」
このアイム・ユニティにお守りが必要とでも言うか? 寄り道をさせたくないだけの話。言われずともまっすぐ出て行くものを。
「ううっ、何も見えない……」
屈強な男達に囲まれ、ニャーンは跳びはねながら周囲を見ようとしている。
「やめんか、みっともない」
「だって初めての聖都なのに」
来た時も兵士達に囲まれていたため、全く街並みを見ることができなかった。
「飛んじゃ駄目ですか?」
「やめとけ、余計な騒ぎになる。後で上を一周してやるからそれで我慢せい」
「わかりました……」
唇を尖らせ、渋々了承するニャーン。あれだけ冷たい態度を取られておいてよくもまだ信仰心を保てるものだ。それとも単におのぼりさんなだけか。
雨は降り続けており、兵士の一人が傘を差し出してくれた。しかし、他の者達はそれを咎める。
「おい」
「女の子だぞ、冷えたらまずいだろ」
「あ、ありがとうございます」
慌てて受け取るニャーン。傘を貸してくれた兵士には冷たい視線が集まったが、彼女は感謝の念を抱く。
誰もが自分を恐れ、忌み嫌うわけじゃない。それがわかっただけで嬉しかった。
街の外へ出たところで傘を返そうとする。けれど彼は固辞した。
「持って行っていい。元気でな、ニャーン」
「え……?」
「覚えていないと思うが、同じ村の出身だ。君が赤ん坊の時におしめを替えたこともある。お父さんとは友達だった。お母さんにそっくりに育ったな」
「ローサムの……」
「生きてくれ。誰に何を言われようと挫けるな。家族の分まで幸せになれ。俺は君の幸を祈り続ける」
「……はい」
優しくしてくれたわけがわかった。
涙ぐみ、頷く。
「お元気で」
「ああ、君もな。会えてよかった」
街の外で狼となったアイムは、約束通りニャーンを背に乗せて聖都の上を旋回し始めた。そして訊ねる。
『ローサムというのが、お主とあの男の故郷か』
「はい」
街を見下ろしながら頷くニャーン。綺麗なところだ。立派で大きな建物ばかり。流石は信仰の中枢。第六大陸の頂点に立つ都。
──逆にローサムは小くてみすぼらしい村だった。二つの国の国境沿い、平原にぽつんと佇む集落。村全体で百人程度。テアドラスより少数だったかもしれない。
昔はもっと人がいた。けれどニャーンが生まれる前に戦火に巻き込まれて大きな被害を受けた。略奪と虐殺。怪物ではなく人の手で多くの命が奪われた。
それでも生き残った者達は懸命に生活を立て直した。新しい命も生まれ、いつか以前のような平穏を取り戻せると信じていた。
「弟が、生まれたんです」
『……』
同時に、またしても村は戦火に巻き込まれた。この時は幸いにも食糧を持って行かれるだけで済んだ。けれど、それは村民が冬を越すための大切な蓄え。
生き延びるには選択するしかなかった。
どんな辛い決断であっても。
「お父さんも、お母さんも、好きで私を捨てたんじゃない。弟か私か、どちらかを選ばなきゃいけなかっただけ。だから恨んでません」
多分嘘。自分でもよくわからない。もし目の前に両親がいたら泣き喚くかも。胸に拳を叩きつけ、恨み言をぶちまけるかもしれない。
でも、ありえない。可能性は無い。家族には二度と会えない。
だって死んでしまった。戦争で傷付き、心を病み、飢えた兵士達に踏み躙られて。自分が修道院に入ってから少し後の話。
弟も死んだ。赤ん坊のままで。生まれ故郷が無くなったと知った時、両親は自分にこそ生き残る可能性が高い道を与えてくれたのかもと思った。
だからわからない。恨めばいいか謝ればいいか。
それとも、ありがとう?
『決めるのはお主じゃ。そろそろ一周しちまうぞ、どうする?』
「……」
このまま立ち去るか、それとも──逡巡してからニャーンは杖を握る。
「悲しい言葉なんて、いらないと思います。皆、笑顔になれる方がいい」
『そうか』
多くは語らず、もう一度聖都の上を旋回するアイム。その背中からニャーンは杖を振りかざす。意識を集中して呼び寄せる。
「これが最後なら、もうここに来なくてもいいように、全部お掃除します!」
『やってやれ!』
「な、なんだ──」
「地震?」
「おい、見ろ、空を!」
「狼? まさか、アイム・ユニティ!」
「赤い塵が集まっていく……」
アイムに向かって渦を巻きながら吸い寄せられる怪塵。聖都の人々は自分達の周囲にもこれほどの脅威が潜んでいたのだと初めて知った。彼等はここを世界で最も安全な都だと思っていたのだ。
さらに街の周囲からも地面を割って小さな結晶が次々に浮かび上がる。数え切れない数。自ら赤い光を放つそれらを怯えた目で見上げる人々。今にも恐慌状態に陥りかねない。
報告を受け、窓から見上げた教主ミューリスも問いかける。
「ニャーン・アクラタカ……何をするつもり?」
少女は認識できる範囲の怪塵を全て集めた。膨大な量のそれを一つにして己が支配下に置き、命令を入力する。
「行って!」
赤い球体が凄まじい速度で打ち上がる。それは雲の中に突っ込むと命令に従って大きく薄くドーム状に広がった。その状態で回転して鉛色の暗い雲を吹き飛ばす。
「おおっ……!?」
「雨が、止んだ」
「太陽が見える……」
頭上に巨大な傘が開いた。薄く広がったそれは日の光を通す。久しぶりに見る光に恐怖を忘れ目を細める人々。
「戻って」
ニャーンが再び呼び寄せると怪塵は彼女の頭上で球体と化した。傘が無くなったことにより素通しの日光が街へ降り注ぐ。そして巨狼は赤い球体を背負ったまま空の彼方へ走り去って行く。何が起こるかと怯えていた人々は、呆気に取られながらも久々の暖かな光を享受する。
これは教会を破門になった少女からの最後の贈り物。女神を信仰する人々への束の間の安らぎだった。
外が明るい。苛立ち、廊下を足早に進むミューリス。あの娘、余計なことをしてくれた。大人しそうな顔でなんて大胆なことを。まさかここまで大規模なことができるとは思っていなかったからだが、もっとしっかり釘を刺しておけば良かった。
気が滅入る。まず間違い無く「彼女」は荒れているだろう。
目的の部屋が近付いて来ると、やはりなと思った。物を破壊する音、叫び声。あの女に世話係はいない。誰であろうと拒絶する。だから止める者もいない。自分がいかねばならないのだ。扉の前で深呼吸を繰り返し、覚悟を決めてから中に入る。
「マリス!」
「!」
彼女が声をかけた途端、部屋の主は動きを止めた。そして、ぼろぼろと涙を零しながら近付いて来る。
「ミゼル……」
ミューリスより若く見える女。肉体的には十代のそれ。けれど顔はやつれていて目の下には隈。元から容姿に恵まれておらず、今はなおさらに酷い。不健康な青白い肌。自傷を繰り返してついた無数の痕。
それは半分破けた寝間着姿で縋りついて来る。自分で破いたのだ。ここには彼女達以外誰も立ち入れない。
祝福されし者、雨の聖者マリス。永遠の枢機卿。世間からそう呼ばれる女はもう数百年この部屋を出ていない。
「ごめん……ごめんねえ……どうしてなの……私はちゃんとやってる。やってる。なのに、どうして晴れたの!? いつもしっかりやってるのに!」
「大丈夫、大丈夫よ、貴女のせいじゃないわ」
抱きしめて幼子にそうするように優しい声色であやす。この女の機嫌次第で第六大陸の運命も変わる。だから怒らせてはならない。悲しませてもならない。どんなに嫌いな相手でも好意以外示すわけにはいかない。
「でも、また責められるわ。お前のせいだってなじられる……」
「誰も貴女にそんな酷いことは言わない。もう二度とさせない。私は教主なのよ、だから安心して。どこにも貴女を傷付ける人はいない」
「ほんとう……?」
「本当よ」
ああ、本当に疲れる。何度繰り返せば気が済むのか。この壊れた人形には、どうせ理解できやしないのに。
(いや、人形は私の方か……)
教主などなんの意味も無い肩書き。実態はただの人身御供。この女を飼いならすための首輪。
祝福されし者マリス。大いなる力に目覚め、人々の運命を託された哀れな少女。不老の肉体で大陸を守り続けて来たが、重圧によって心を病み、やがて壊れた。今や眼前にいる相手が誰なのかさえわかっていない。
「怖い……不安なの、ミゼル……助けて……助けて……」
「大丈夫、傍にいるわ」
この身はミゼルではないけれど。
──四百年ほど前の話。当時の教主はミゼルという女で、要職にありながら無責任にもマリスと恋に落ちた。
当時、マリスの精神状態は安定していたらしい。けれど彼女は不老。ミゼルは年老いて天寿を全うした。彼女を残して。
置いてけぼりをくらったマリスは壊れた。恋人を失って完全におかしくなった。
以降、教主の役割も変わった。選定基準まで。今は亡きミゼルに似ているか否か、そこを最も重視される。若さも。マリスは「ミゼル」が老いることを極端に恐れる。
母は先々代の教主だった。老いたから退位した。
先代も同じ。自分もあと十年もすればお払い箱。
次は誰が犠牲になるのだろう?
我が子は嫌だ。
(私は子供なんか産まない……)
どうせ産めない。この女は嫉妬深いから。絶対に部屋を出ないくせに異様な嗅覚で他の女や男の匂いを感じ取る。だから母は逃げた。胎にいた自分ごと殺されかけて。
「ミゼル……ミゼル……」
幽鬼が絡み付いて来る。とっくにいなくなった女の面影を求めて。最悪の気分、なのに逆らえない。この女がいなければ自分達は滅ぶ。
ベッドに押し倒された。壊した家具の破片や絵の具が散乱していてもお構いなし。教主の証の黒衣を脱がされ、窓の外を見る。飛んでいく鳥が見えた気がした。
羨ましい。もう諦めてしまったけれど、そうなりたいとかつて願った。力さえあればと悔し涙を流し世界を呪った。
あの子は違う。力を手に入れ羽ばたいた。破門だけで済ませたのは目が澄んでいたから。あれを曇らせたくはない。かつての自分を汚すようだ。
(自由に生きなさい、ニャーン・アクラタカ。もう、こんな汚れた街に近付いては駄目よ。貴女は光の中にいればいい。ここは私の領域)
でも、やっぱり──
(私もね……一度でいいから、飛びたかった)
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