語らう少女達

「それで、結局試練はどうなったんです?」

 アイムとニャーンが訪れてから二日目、洗濯中の暇潰しに訊ねるスワレ。同じく自分の服を洗っているニャーンは遠い目になり回想する。

「第三大陸では、ずっとその繰り返しでした。移動中は一人。街や村に着くとユニティと一緒に歓迎されて、それからまた次の場所へ。全然休む暇が無かったです」


 しかも繰り返すうちに特訓は厳しさを増し、最終的には杖以外の荷物を全部取り上げられた状態で追いかけて来いと言われた。


「ぜ、全部ですか? 食料や水は……」

「現地調達です」

「うわあ……」

 予想以上に厳しい。祝福されし者のスワレでさえ絶句する。ところが、その過酷な日々を振り返るニャーンの表情はむしろ明るい。

「大変でしたけど、楽しくもありました。ナジームさんの街で『サボテン』という植物のお料理をたくさんいただいたんですけど、砂漠に自然に生えているもので表面はチクチク痛いトゲだらけなんです。でも中は瑞々しくて甘くて果物みたい。お腹が膨らんで水分もとれるから一石二鳥でした」

 たらり。無意識にヨダレを垂らすニャーン。アイムに言わせるとそこまで美味しいものではないらしい。たしかにミシトラで食べた時は同じ感想を抱いた。けれど次の日、砂漠で数時間迷って乾き切った状態で口にしたそれは至上の美味に感じられた。

「ニャーンさん、垂れてます」

「あっ、すみません」

 慌てて袖で拭く彼女。子供みたいな人だなとスワレは呆れる。しかし同時に感心もした。頼りなく見えて実は逞しい。自分が同じ試練に挑んだとして、果たして乗り越えられるかどうか。第六大陸から第四大陸まで、たった一人で逃げ続けていただけのことはある。

 洗濯は続く。目の前にタンクがあり、そこから汲んだ水を使用。なるべく節約してくださいと言うスワレ。ニャーンはその言葉に従い、少量の水で服を洗った。旅の中で自然と節水の技術と習慣を身に着けた彼女は普段通りにするだけで良い。

 水は洞窟内部の壁面、そのところどころから染み出しており、木管を通ってここへ集められている。地上で雨が降ると細い隙間を抜け、やがてここまで到達するそうだ。村全体の共有財産なので無駄遣いはできない。

 その時、ニャーンはふと新たな事実に気が付く。

「この水、あんまり怪塵を含んでません」

「えっ?」

「地上だと必ず怪塵を含んでるんです。このお水もそうですけど、量はずっと少ない」

 怪塵を感知できる彼女だからこその発見。スワレも洗濯の手を止めて手元の汚れた水を見る。汚れてはいても、ある意味、地上の水より綺麗なのだ。初めて知った。

「つまり、ここへ来るまでにろ過されるんでしょうか?」

「ろか?」

 知らない言葉に首を傾げるニャーン。水が砂や砂利でできた層を通り抜けることにより不純物を漉し取られ綺麗になることだと教えてもらった。

「そんなことができるんですね」

 水を綺麗にする方法はザルで濾したり、火にかけて沸騰させることだけだと思っていた。生水は病気になるから絶対に飲んではいけないと修道院で教わった。だから砂漠の試練の時にも能力で地下水を掘り出して飲もうと考え、けれどもやめたのである。危ないということを直前に思い出せた。

 実際にそれは賢明な判断だ。自然界の水は安全だとは限らない。目に見えない毒や病の源を含む場合も多い。

「知ってたら、あの時に『ろか』をしてみたのに」

「また機会がありますよ」

 それはそれで嫌だ。言ってしまったスワレの方も気が付き、ニャーンと顔を見合わせてどちらからともなく笑う。

「ふふ」

「おかしい」

 おかしいと言えば、ニャーンはもう一つ思い出す。

「そういえば、第二大陸でユニティが会わせたいと言ってた人、結局見つからなかったんですよね」

「回遊魚の一族とは別口ですか?」

「はい、元泥棒さんです」

「泥棒?」

 そう、アイムが言うにはその男は盗人として第二大陸全体で指名手配されており、陸に逃れてひたすら逃亡中だそうだ。

「どうしてそんな人を……」

「なんでも、ずっと昔の祝福されし者が遺した特別な剣を持っていて、そのおかげで怪物とも戦えるらしいです。手癖は悪いけど根は腐ってないって言ってました。実際すごい人だとは思います、あのユニティが本気で探したのに見つからなかったんですから」

「それは本当に凄い」



「へえっきし!」

 同時刻、第二大陸の森の中でやさぐれた風貌の男がくしゃみをした。無精ひげの生えたアゴを指でなぞりながら寒そうに身体を縮こまらせる。

「あーチクショウ、アイムの旦那から逃げ回ってたせいでしばらく回遊魚の連中とも接触できてねえな。たまにゃあ飲みてえのによう。旦那、もうよそに行ってくれたかな?」

 命の水が足りない。自分で醸造しようとしたこともあったが、どうやらそっちの才能はからっきしのようだ。

「盗みとヤットウの才能なんざ、別にいらなかったんだがなあ。これしかできねえなんて、オレもつくづくついてねえや」

 などと考えながら歩き続けていると悲鳴が聞こえて来た。しかも女の声。

「お? 回遊魚のねーちゃんかな、こりゃついてる」

 恩を売って酒を分けてもらおう。飯なんざ獣を狩れば事足りる。それより酒だ酒。

 ところが彼が向かった先にいるのは回遊魚ではなかった。そして酒も手に入らず、別のものを頼んでもいないのに押し付けられることとなる。

 この男の物語は、いずれ別の機会に語るとしよう。


 ──数分後、洗濯を終えた二人はそれぞれの服を物干し竿にかけ始めた。スワレは自分と兄の二人分。ニャーンは自分のだけ。アイムは滅多に洗濯をしない。する場合も彼女が寝ている間にいつの間にか済ませている。常から服にこだわりが無いという彼だが、その扱いには何かしら信条があるのかもしれない。あるいは一張羅の洗濯を彼女に任せるのが不安なだけか。

 そのアイムはズウラに稽古をつけてくれと頼まれ地上へ出ている。グレンといいズウラといい、男性の祝福者は彼と手合わせするのが好きなようだ。

「ご苦労様です、一休みしましょう」

「はい」

 この後は村中を回って洞窟内部に蓄積された怪塵を集める予定。そうして当面の安全を確保した後、もう一泊だけして次の第六大陸へ進むとアイムから聞いた。

 昨晩泊めてもらった双子の家へ戻り、絨毯の上に直接腰を下ろす。水は貴重なので飲み物は山羊の乳。昨夜アイムが飲んでいたのもこれを発酵させた乳酒らしい。

 微かに草の匂いがする乳は、ニャーンの古い記憶を呼び覚ます。

 次の目的地が第六大陸だということも、その一因。

「……」

「ニャーンさん?」

 じっとカップを見つめたまま動かない彼女。訝ったスワレが声をかけると、ようやく我に返る。

「あ、すいません。故郷のことを思い出していて」

「たしか第六大陸でしたか?」

「はい」

「よろしかったら、どういうところか教えていただけます? 私達、外のことには疎くて。アイム様から色々教わってはいるものの、第六大陸だけは、その……」

 言い淀むスワレ。理由を察したニャーンは苦笑する。

「話さないんですね。あまり良い思い出が無いのかもしれません。私の故郷の人達は彼を歓迎しないので」


 ──そういう教育を受けた。だから実態を知らず邪悪なものと決めつけていた。

 なのに第四大陸で出会った彼は教えられていたものと全く違った。粗野で乱暴、時には理不尽なことも言うけれど、基本的には優しく思いやりがある。

 今はもう、ニャーン自身は彼を信頼している。


「彼は、どういうわけか女神様を悪く言うので、そのせいで教会に嫌われてます」

「そうなんですよね、どうして神様が嫌いなんでしょう?」

 スワレ達第五大陸の民も女神に対する信仰は持たない。だからといって、別に否定的になったりもしない。その必要性が無いからだ。

「わかりません」

 ニャーンは実は、スワレ達なら知ってるかもと思っていた。でもやはり知らないらしい。

 アイムはワンガニで怪塵の秘密を彼女に明かした。いつか必ず、この星には新たな赤い凶星が落ちて来る。その正体は宇宙の免疫システムで、自分達は宇宙に害をもたらす病原と判断された。そんな真実。

 だが彼は、自分の育て親が女神オクノケセラだとは明かさなかった。なので今も彼女は彼が女神を悪し様に言う理由を知らない。

 一応、仮説なら立てた。重大な秘密を打ち明けるように声を潜めて囁く。

「もしかしたらなんですけど、ユニティは女神様に会ったことがあるのかも……」

「黄金時計の塔で?」

「あ、はい。スワレさんもそう思ってたんですね」

「ええ、可能性が高いのはそこかなって」


 ──七百年前、アイムは旱魃に苦しむ第三大陸を救うため、この世界のどこかにあるという太陽まで続く塔を上り、頂上で虹の尾羽根を貰って来た。その時に彼が出会ったのは塔の管理者だそうだが、教会が説く神話では太陽に女神オクノケセラが住むとも語られている。

 なら、その時に女神とも会った可能性が高い。これは彼女達だけでなく世界中の人々も信憑性が高いと思う通説。

 真実がもっと奇なものであるとは、もちろんほとんどの人間が知らない。しかも教会とアイムの関係が険悪になったのは八百年前の口論が原因なので時期が合わないと否定する声も多い。


 なんにせよ彼は女神を信仰する第六大陸についてもあまり語らない。だからニャーンは出身者として代わりに説明を行う。

「ええと、まず教会の総本山は聖都という大きな街にあって──」

 そこには雨を降らせる能力者がおり、その力で怪塵を洗い流し、怪物の発生を抑制してくれている。それもあって教会の発言力は非常に強く、各国の王でさえ逆らえない。聖都には他にも数人の祝福されし者がいて世界でも指折りの繁栄を誇る。

 一方、自分が生まれた村は普通の農村だった。幼い頃に修道院に預けられ十七歳になるまでそこで育った。修道院には他にも同じような子供達がたくさんいて自給自足の生活を続けている。

 それが狭い範囲で生きていた彼女が知る故郷の事実。その一部。

 全ては語らない。彼女にも故郷に関して話したくないことがいくつかある。そこを語るのは意識的に避けた。

「そうなんですね」

 スワレは気付いていた。何故ならニャーンは、話の節々で辛そうな顔をする。どうやら嘘のつけない人らしい。だからきっと聞かない方がいいことなのだろうと判断し、深くは追及しなかった。

 代わりに彼女は夢を語る。

「いつか行ってみたいです」

「第六大陸に?」

「ここではないどこかへ」


 別に第六大陸でなくてもいい。ただ外の世界を自由に見て回りたい。だって一度も故郷を離れたことが無い。


「ニャーンさんが羨ましいです。アイム様と一緒に世界中を見て回れるなんて」

「すみません……」

「別に謝ることでは。私こそ、つまらないことを言いました」

「いえ……」

 それこそ仕方ない。さっきニャーンは「行きたいなら行けばいいのに」と失礼なことを考えた。祝福されし者のスワレやズウラなら自分達と同じように世界を巡れる。その気になればいいだけ。深く考えもせず、そう思ってしまった。

 でも──


「私達は、ここを離れられません」


 やっぱりそうだった。理由は聞かずとも察せられたがスワレの言葉は続く。

「私達がいなくなれば、村を守る者もいなくなる。多分お気付きだと思いますが、若者は私と兄、それからずっと幼い子供が二人いるだけです。あとは年寄りばかり」

「どうしてなんでしょう?」

 たしかに気付いていた。百人ばかりの村人のその大半が老人だと。どういうわけか彼等の子、つまりスワレの親の世代が一人もいない。

「以前は父や母の世代が守り手でした。祝福されし者はいなかったけれど、地上に今あるあれと良く似た砦を築き、力を合わせて村を守っていた。でも、四年と少し前に守備隊は全滅。それからは私と兄で、あの人達の使命を引き継いだんです……」

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