第三大陸(2)

 暑い。頭上から降り注ぐ強烈な日差し。それを照り返す砂の眩しさ。視界中のあらゆるものが強烈な熱を放っており、同時にひどく乾いている。アイムの言う通りこんな場所で肌を露出していたら瞬く間に干からびてしまう。

 彼と別れ、ニャーンは一人、砂漠の上を飛んでいた。赤い翼を広げ、滑空しながら次の目的地への手がかりを探す。


「ええと……」


 あまりの暑さに意識が朦朧としてくる。そのせいで方角も見失いかけた。慌てて自分の頬を叩き、言い聞かせる。

(しっかり、こんなところで迷子になったら死んじゃうよ)

 第一大陸でのグレンとの戦い。第二大陸での怪物との戦い。続くここ第三大陸での試練は生き延び、辿り着くこと。一人でやってみせろ、そう言ってアイムは先に次の目的地へ向かった。彼女はその後を追いかけているのだ。慣れない環境の中でたった一人、助けも無く。

 それにしても広い。空から見下ろしても街や村は皆無。先にあのオアシスに立ち寄っていなければ、こんな大陸に人が住んでいるとは信じられなかっただろう。

 不安で叫びそうになる。一人になるのはアイムと出会って以来初めてのこと。あの頃もいつも怯えていた。思い出して身震いする。


「って、駄目、弱気になっちゃ……あっ、あれかな?」


 やっと手がかりを見つけた彼女は一旦地上へ降りた。

 砂漠とはいえ完全に砂ばかりではない。今朝までいたオアシスのように部分的に潤っている土地もある。

 羽ばたいて減速し、ゆっくり着陸したその場所はいくらか地面が湿っていて木々も数本生えていた。オアシスほど水が豊富ではないものの、地下に水脈があり、そこから水分を吸い上げて生きているらしい。

 といっても、木の根がそれだけ深くに到達するにはかなりの時間を要したはず。もしかするとここも以前はオアシスだったのかもしれない。砂漠では砂嵐一つで地形が変わると聞いた。人の手で守られているならばともかく、それ以外はすぐに砂に埋もれてしまう。

「あっ、やっぱり」

 流石にアイムもノーヒントで追わせるほど鬼ではない。いくつかの目印を残すと言っていた。そして実際にあった。枝に結び付けられている布切れ。葉で隠れてしまうため上空からは見えない位置。鬼ではなくともやはり意地悪。

 ともかく良かった、進む方向は合っていた。

「時間と太陽の位置で方位がわかるって言われたけど……」

 きちんとできているか不安だった。実はこの試練は二回目。前回は読み間違えて明後日の方向に進んでしまい完全に彼を見失った。そして夜が更け、真っ暗な砂漠で泣きべそをかいていたら、ようやく迎えに来てもらえたのである。

 かなり呆れられた。恥ずかしいし情けない。もう、あんな失敗はするものか。一人で夜の砂漠を進むのは怖いし。

「でも、とりあえず休憩……」

 暑さと不安のせいで、出発から一時間と経ってないのに早くも疲れを感じる。少しでも涼しい木陰に入って座り込む彼女。そして気付く。

「よく考えたら、怪塵で傘を作って日差しを防いだらいいんじゃ……?」

 簡単な解決法なのに今まで全く思いつかなかった。こんなことだから間が抜けていると言われるのだと自己嫌悪に陥る。

 練習してみよう。周囲に壁を作って日差しを遮る。それなりに涼しい。怪塵は赤いので日光をしっかり遮断してくれる。見た目はちょっと不気味だけれど。

「ふんふ~ん」

 涼しくなったら気分も良くなってきた。村の人から餞別に貰ったドライフルーツを齧り、意識を地中に向ける。彼女の能力は周囲の怪塵を感知できる。そして怪塵は水と結びつきやすい性質を持つ。つまり応用することで地下水脈の位置や流れも感じ取れる。

「北の方向から流れて来てる……」

 流れの先にあるのは多分あのオアシスだろう。逆に源流の方へ向かえばアイムがいるのかもしれない。砂漠の民は必ず水場の近くで暮らすのだと聞いた。空から見渡した限り川や湖は無かったので、この地下水脈の水源に目的地がある可能性は高い。

 また読み間違えている可能性も、もちろんある。でも今は他に手がかりが無い。十分に休んで体力を回復したニャーンはすくっと立ち上がった。飛べるのは大きな利点。普通の人達よりずっと早く移動できる。つまり失敗したとしても挽回しやすい。

(失敗を怖がってちゃ駄目)

 勇気を出そう。もう一度自分に言い聞かせた。

 すると──


「ひいっ!? ままま、まさか怪物!?」

「え?」


 驚きながら怪塵の壁を崩し、向こうを見やる。するとそこには彼女以上に仰天している中年の男がいた。




「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!? 本当に空を飛んでるっ!!」

「あまり動かないでください! 落ちちゃいますよ!」

 木陰で出会った男はナジーム。第三大陸で一番大きな街の人間だそうだ。その街は北の方角にあるらしい。ニャーンは彼を抱えたまま飛翔し、そこを目指すことにした。目的地とは違うかもしれないが、そうしなければならない事情が出来た。

「すすす、すごい! この速さならすぐに街に着く! ああ、ありがたい! お嬢さんは本当に神の使いだ! 疑って悪かった!」

「いえ……」

 怪塵を操る姿を見られたため、最初は怪しまれた。アイムに連れられて来たと言っても信じてもらえず焦ったのだが、彼があの場にいた事情を聞いて協力を申し出たところ態度が変わった。

 怪しむことこそ変わらなかったが、それでも藁にも縋る思いでニャーンの申し出を頼る理由が彼にはあった。愛娘が高熱を出して死にかけていると言うのだ。治療に必要な薬の材料を取りに遠くの村まで出向き、その帰りに遭難してしまったらしい。

「ラクダごと荷物が流砂に沈んだ時はもう駄目かと思ったが、まさかアイム様の御使いに出会えるとは。これも日頃の信仰の賜物かな」

「はは……そうですね……」

 この大陸ではアイムは生き神扱い。下手なことを言って怒らせてしまうと怖いので話を合わせている。

 長く続くとボロを出しかねない。ニャーンは話題を変えた。

「あの、娘さんはご病気ですか?」

「いや、サソリに刺されたんだ。滅多に見ない種類のやつで医者もあれの毒に効く薬草の備蓄を切らしてやがった。だから私が採りに行ったんだよ」

 周囲は旅慣れた者に任せろと言って引き留めたそうだが、彼は衰弱していく我が子の姿に焦燥感を募らせた。

「それで一人で飛び出して来たと……」

「ああ……」

 なかなか無茶な性格をしている。

「でも、反省したよ。やっぱり慣れないことはしちゃいかんな。貴重なラクダを一匹潰す結果になったし、君に会えなければ娘より先に私が死んでいた。そうしたらあの子は天涯孤独の身。妻には先立たれたし他に身内もいない。つまり私はまだ死んではならないんだ。そうならなくて良かったよ。これからは周りの忠告をしっかり聞くことにする」

「その方がいいです」

 自分もアイムの忠告を聞かず失敗した。その経験から同意するニャーン。

 けれど、同時に彼の娘がうらやましいとも思った。

「娘さんは幸せですね」

「えっ?」

「お父さんが自分のために頑張ってくれたことは、きっと嬉しいと思います」

「そ、そうかな? なら、無茶した甲斐はあったかもしれん」

「いえ、だとしても無茶は駄目です」

「もちろんだ。死にかけて冷静になれたよ。私があの子を心配するように、あの子も私を心配しているだろう。子供に心配をかけちゃいけないよな……おっと、あの大きな岩には見覚えがある。ミシトラは向こうのはずだ」

「はい」


 ──そんな話をしているうちに、彼の暮らす街ミシトラが見えて来た。なるほど大きい。ワンガニほどではないにせよ久しぶりに見る地上の都市。北から伸びて来た大河が窪地に溜まって湖を作り、その周辺を街が取り巻いている。川はここで途切れており、見る限り湖水は他のどこにも流れていない。多分湖底に地下水脈への入口があって、そこから今朝までいた南のオアシスへと向かうのではないだろうか?


(怒られないかな……)

 不安である。もしもあそこが目的地だった場合、ナジームに案内してもらったのは反則のはず。とはいえ、今さら引き返すこともできない。覚悟を固めて彼と共に中心部へ降り立つ。娘さんがいるという病院の目の前。それなりに人通りが多い。

「な、なんだ!?」

「異国の女と大工のナジームが飛んで来た!」

 空から舞い降りて来た二人の姿に騒然となる街。構わず病院に入る。荷物はラクダごと砂に飲まれてしまった。それでも薬草だけは死守したらしい。ポーチから取り出したそれを医者に渡すナジーム。老医師は彼が見知らぬ少女を連れて戻ったことを怪訝に思ったが、それはそれとして薬草をじっと見つめ冷静に頷く。

「うむ、これだ。よく採って来た。しかもこんなに早く戻るとは思わなかったぞ。今なら間違い無くエミルは助かる」

「なら早くしてくれ!」

「わかっとる、焦るな。あと二日三日遅ければ助からなかったかもしれんが、今のところまだ余力がある。流石にお転婆なだけあって体力に恵まれとるよ、あの子は」

 早速調合を始める医師。さほど時間はかからなかった。出来上がったそれを持って病室へ入るのに続き、ニャーンとナジームも入室する。ベッドの上では十歳前後の少女が荒い呼吸を繰り返し、熱にうなされていた。

「う、うう……っ」

「エミル!」

 駆け寄ったナジームが手を取る。けれど少女は目覚めない。

「先生!」

「だから焦るな」

 煎じた薬を口から流し込む医師。すると徐々に呼吸が落ち着き始めた。そしてゆっくり瞼も開く。

「……とう、ちゃん……?」

「おお、おお……父ちゃんだ! 帰って来たぞ!」


 泣きながら娘の頭を撫でるナジーム。

 エミルも安心したように笑った。

 その姿はニャーンには眩しい。

 親に捨てられた娘だから。


「……」

 彼女は両親の顔を思い出せない。エミルより幼い頃に修道院に引き渡されたため、もうどんな顔だったか忘れてしまった。代わりに頭に浮かんで来たのは──

「ようやった」

「!」

 肩を叩かれ、振り返るとその顔があった。やっぱりここが目的地だったのだ。アイムが満足気な顔で立っている。怒ってはいない。

「ルール違反ではあるが人命救助のためだ、今回は不問とする」

「……はい」

 背中を軽く叩かれる。なんだか無性に嬉しい。

 そして当然この日の夜もアイムを讃える盛大な祭りが開かれ、ニャーン・アクラタカの名もまたナジーム親子を救った事実と共にミシトラの街に知れ渡ったのである。

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