夜を歩いて(2)

 ──怪塵の正体、そして今も迫りつつあるさらに強大な敵について聞かされたニャーンは天を仰いだ。今夜も空が晴れていて星々がよく見える。もしかしたらあの中にアイムの語った敵が混じっているのかもしれない。赤い星は無いかと探してみる。


「宇宙が、自分にとって害になる存在を、消し去ろうとする力……」

「そうだ、それが怪塵の正体。宇宙の免疫システム。免疫とは人間にも備わっている病と闘う力のこと。つまりワシらは宇宙を殺す病害だと判断された」

 彼にその事実を教えた女神オクノケセラは、赤い巨石を「抗体」アンチボディと呼んでいた。病原を滅ぼすため生み出された尖兵。千年前に落ちて来たあれは最初の一体でしかない。この星にはこれからまた同じものが落ちて来る。

「いつ……?」

「わからん、だが確実に来る。今日かもしれんし明日かもしれん。さらに千年後か万年後かもしれん。だとしても必ず来る。たった一つ落ちただけで千年間残骸の処理に悩んどるこの星へ同じものが落とされる。そしたらもう安全な場所など一つも無くなる。それ以前に星を砕かれるかもしれんな。ワシとて不死身ではなく、いつか必ず死ぬ。次が来た時にまだいるとは限らん」

 グレンのような強力な戦士がいればある程度は迎え撃てる。けれど最初に一つ落として失敗した。なら次は複数同時、しかも防ぎ切れない数を放つ。その可能性が高い。こちらがあちらの立場ならそうする。

「次をどうにかできたとして、その先も延々と戦いは続く。いつ終わるのか全くわからん。繰り返されるほど怪塵による汚染も進む。今のところ勝ち目は見えん。

 だからええんじゃ。お主のような臆病者を無理矢理巻き込むのは性に合わん。ダメならダメでいい、正直に言え。そしてどこか別の場所で残りの人生を楽しめ。ワシやグレンがいる以上、たとえ敵が来てもあと百年くらいは持ち堪えてやる。その間に男でも見つけろ。惚れた相手と子を作り、後世に可能性を繋げ。その力が遺伝するかは知らんが、お主の子や孫にもし同じ力があれば、改めて期待させてもらう」

「……」


 ──らしくない。やっぱりニャーンはそう思った。アイムはすっかり諦めているような雰囲気。そんな英雄の姿は見てられない。

 だから立ち上がって歩き出す。


「おい、どこへ行く?」

「どこって、散歩に来たんですよね? ずっと同じ場所にいてもしかたないですよ」

「動き回るとグレンに見つかるかもしれんぞ。そろそろ部屋にいないことがバレていてもおかしくない」

「いいから」

 手を差し伸べて頼む。

「屋根の上を移動するんでしたよね? 翼で飛んだら目立ちます、手伝って下さい」

「……やれやれ」

 ため息をつきながら彼女を抱え、跳ぶアイム。通行人達はやはり気付かない。明らかに何かが起きていると思わない限り、誰も自分達の頭上のことなど気にしないもの。壁の上に立つ見張りも外ばかり見て街の方へは意識を割いていない。

「あのロープみたいなのってなんです?」

 屋根から屋根へ移動しつつ指を差すニャーン。実はこの街へ来て以来、気になっていた。あちこちの建物から「都」に向かって鉄索が伸びているのだ。

「リフトじゃ。都と街を繋いで荷のやりとりをしとる。街の反対側へ急いで荷を届けたい時なんかも、あれを使って都を経由させた方が早い。岩山を迂回せずに済むからな。人が乗るための移動用リフトもあるぞ」

「へえー、便利ですね」

「乗ってみるか? これが最後の機会になるかもしれん」

「うーん……」

 少し考え込んでから頭を振るニャーン。

「やめときます。怖くて途中で降りたくなっちゃうと思うし」

「飛べるのにか」

「自分で飛ぶのと運ばれるのは違いますよ」

「そういうもんか」


 二人は時々立ち止まったりもした。

 今度は街を取り囲む防壁を指差す。


「あの壁、内側は坂になってるんですね」

「怪塵が溜まらんように工夫しとるのだ。傾斜があれば風で流される」

「なるほど。よそでも真似したらいいのに。私のいた教会では毎日二回も壁の下を掃いていましたよ」


 また別の場所では壁の外を眺めた。


「暗くてよく見えませんけど、向こうにあるのって、もしかして畑ですか?」

「ここらの土地は塩気が強いが、それでも育つ作物はある。西の壁の外はほとんどが農地なんじゃ。果実類が多い。甘味が強くて美味いぞ」

「晩ごはんに出た果物もあります?」

「ああ、あれらもだいたい地元で獲れたもんじゃろ」

「どんな土地でも美味しいものは育つんですね」

「うむ、逞しいもんじゃ、植物も人間もな」


 そして、しばらくするとまた屋根の上に座り、人々を観察。


「おい、次はあっちの店! どんどん行こう! 大丈夫、今日は大儲けしたから!」

「太っ腹~!」

「ありがとう、旦那っ!」

 羽振りの良さそうな商人風の男が何人も若い女を連れて歩いていたり、


「ああ、またスッちまった……もうやめよう、今度こそやめようって思ってるのになんでいつも同じことをしちまうんだろう……」

「反省できるならきっぱりやめな。賭場なんか出入りするもんじゃない。あんたそろそろ本気で足を洗わないと次こそ首が回らなくなるからね」

 みすぼらしい身なりの男が失敗を嘆き、恰幅の良い中年女性が励ます。他にも悲喜こもごもの光景がそこかしこで展開されていた。

「こんな時間まで起きてるもんの大半は呑兵衛か、それを当てにした商売人じゃ。聖職者ならああはなるなよ?」

「なりません。あれ? あそこにいるの、昼に案内してくれた騎士さん?」

「ん? 本当じゃな、って──」


 ドルカが従えていた若い騎士達の一人。その青年が入って行った店を見て何故か顔色を変えるアイム。座り込んでいたニャーンを立たせ走り出す。


「なっ、なんです? あのお店が気になるんですけど」

「お主は興味を持たんでいい! あれは大人しか入れん店だ!」

「酒場ってことですか?」

「違うが、とにかくやめとけ! いかん、よく見りゃここは色街だ」

「いろまち?」

「ええからよそへ行くぞ! ほれ、しっかり掴まっとれ!」

「きゃあっ!?」


 ──そんな調子で街をぐるっと一周した二人は、流石に人通りの少なくなってきた深夜、再び最初の教会まで戻って来た。

 グレンは姿を現さない。気付いていないのか、それとも街から出ない限り手出ししないつもりか。なんにせよ今のうち。ニャーンは岩山を見上げた。


「戻りましょう。しっかり眠らないと勝てるものも勝てません」

「良いのか?」

 理由のわからぬ心変わり。戸惑うアイムに少女は笑みを向ける。

「私、嘘が嫌いです。ここから逃げて本当の自分を隠して生きたって絶対に幸せになんかなれません。もし本当に誰かと恋に落ちたって、嘘をつき続けなきゃならないなら意味が無いんです」


 本当は怖い。だからこれも嘘。精一杯の虚勢。教会の教えでも嘘は禁じられている。

 でも、胸を張ってつける嘘だってある。そんな嘘なら嫌いじゃない。自分を励ます嘘や誰かのためにつく嘘。それらは許されるべき。彼女はそう思う。


「だからやらなきゃ。貴方が言った通りです、私はもう道を選びました。後戻りをしたり、道を逸れるのはあの時の私に嘘をつくことになります。それは嫌。私はもう二度と自分に嘘をつかない」

 不満を隠し、自分を偽り、ひたすら耐え続けたって楽しくなかった。生きてはいられたけれどそれだけ。理不尽に反抗する意志。小さくなって消えかけていた残り火に焚き木をくべて再び強く大きく燃やす。そのために街を見て回った。アイムと同じ責任を負う前にこの手で守る人々を目に焼き付けておきたかった。守りたい認められたいという気持ちで自分を奮い立たせた。

「し、死んじゃうかもしれないけど、守ってくれますよね?」


 声も膝も震えている。やっぱり怖い。恐怖を隠しきれない。

 だというのに戦う意思を見せている。そうだった、ビサックを相手にした試練で彼女が見せた輝き。それをアイムも思い出す。

 思えば最初の壁を高く設定しすぎた。だが、だからこそこの壁さえ乗り越えてしまえばもう大丈夫。ニャーン・アクラタカは英雄への第一歩を踏み出す。

 彼も覚悟を決めた。


「二言は無いな?」

「かく、確認しないで……やめたく、なります」

「締まらんやつじゃのう。まあええ、ひよっこにしては上等な啖呵じゃった。約束しよう、必ず守る。明日はワシがお主の盾で矛じゃ。生き延び、そして認めさせてやれ。この国と第一大陸の連中に。そしてあの堅物に。お主の力と心意気をな」

「は、はひ」

「うむ」


 だったら、きっと大丈夫。いつか自分がいなくなっても、この少女やその後に続く者達が星を守り抜く。

 アイムはニャーンを抱え、再び岩山の上へ戻って行った。

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