夜を歩いて(1)

「んにゃあああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

「静かにせいと言うとろうが! 見張りに気付かれたらグレンが来るぞ!」

 絶叫するニャーンを小脇に抱えたまま、岩山から麓の街まで長く伸びた鉄索を掴み滑り落ちて行くアイム。途中で少女は静かになった。忠告が効いたのだろうと思いながら手を離し、慣性を利用して飛んで教会の屋根に着地する。けっこう大きな音がしたもののこの時間帯なら誰も中にはおるまい。いたとしても見通しの悪い夜にわざわざハシゴをかけて上って来たりはしないはずだ。

 道行く通行人達も同じ。何か音がしたようなと訝しげに上を見上げるだけで騒ぐ様子は見受けられない。

「グレンが追って来る気配も無いな。よし、もう声を出してもよいぞ。と言ってもさっきみたいに叫んだりは──おい?」

 全く反応が無いのでもしやと思って顔を覗き込むと、ニャーンは白目をむいて気絶していた。

「いつも空を飛んどるのに、何故これくらいのことで気を失う……?」

 やれやれと屋根に座らせ、ありったけ手加減したデコピンを見舞う。ニャーンはおでこに赤丸を作りつつ目を覚ました。

「はっ!? あれ? ここは……?」

「街の教会の屋根の上じゃ。脱出成功。さあ、思う存分気晴らしをするが良い」

 そう言ってから、しかし彼は重要な補足を述べる。

「ああ、屋根からは降りちゃいかんぞ。昼のことでワシらは顔が売れてしまった。誰かに見られたらすぐバレる。屋根から屋根へ飛び移って散歩するんじゃ」

「それ、気晴らしになりますか……?」

 こそこそ移動するだけで買い物一つできやしない。

「さあな、ならんと思うなら戻ればええ。お主なら自力で飛んで行けるじゃろ。それともいっそ逃げ出すか? 今なら不可能ではないぞ」

 グレンはまだこちらの動きに気付いていない。今のうちにできる限り遠くへ逃れたなら逃げ切ることも可能だろう。

 ニャーンを連れ出した本当の理由はそれ。ここで改めて選ばせたい。

「お主は戦いに向いとらん、気が弱い。それではこの先、どこまで行っても辛いばかりだ。逃げたいなら逃がしてやる。第一大陸以外ならグレンの奴も追いかけて来やせん。望みの行き先があるなら言え、ここから先は引き返せん」


 ──グレンとの勝負に勝ったなら、ニャーン・アクラタカの名と能力は確実に世界中に知れ渡る。無名の怪塵ユビダス使いは無名では無くなり、ただの噂は真実へと昇華する。

 怪塵を操る力、それを危険視する者は少なくない。怪塵を集積できるということは怪物アンティを自在に生み出せるのだ。それすなわち国を滅ぼせる力である。まともな人間が危機感を抱くのは当然。


「ワシらにとっての不幸中の幸いはな、その力に目覚めたのがお主だということだ。人を害せる性格でないことは十二分にわかった。あとは自由にして良い。力を隠せば人並みの幸せを手にできる」

「……でも」

 逃げ出したい。さっきまでそう思っていたはずなのに、いざそうしていいと言われるとニャーンの中の反抗心が疼いた。腑に落ちない。

(どうして?)

 今さらになってそんなことを言うなら、最初から連れて来なければ良かった。

「私が逃げた後、貴方はどうするんです? それにどうして私をこの街まで連れて来たんですか?」

 性格を見極め、その上で逃がすならビサックの家を出た時点で良かった。ここまで同行させる意味は無い。どうせグレンに立ち向かうのは無理。そういう臆病者だということも十分わかっていたはず。

 彼女の問いかけに、アイムは答えを保留して問い返す。

「なあ、お主はこの街をどう思う? ここから見える景色に何を見出す?」

「何を……?」

 そしてようやく夜の街を見渡すニャーン。教会は麓の街で一番高い建物らしく、平坦な土地に広がるワンガニの風景を一望できた。

「わあ……」

 まず驚いたのは灯りの数。そして喧噪。教会や農村ならばとっくに皆が寝静まっている時間なのに、まだ大勢の人が起きて出歩いている。

 あの人達は何をしてるんだろう? どうして大勢が夜に出歩いているの? これだけの光はいったい何を燃やして維持しているの? 世間知らずには何一つ理解出来ない。彼女の常識からはかけ離れた世界が目の前に広がっていた。

「どうして……?」

「この街の連中はな、余裕があるのだ。第一大陸で最も栄えている街、それがここ。山も明るかろう」

「はい……」

 見上げれば岩山もあちこちから光が漏れている。あそこの住民も大半はまだ起きているようだ。

「同情する必要は無い、ここへ来る時そう言ったな。見ろ、こやつらの呑気な顔。お主がナラカの部屋で怪塵を集めてみせたことからわかるように、こことてけっして脅威が存在しないわけではない。

 なのに、こやつらは安心しきっておる。繁栄を思うさま謳歌しておる。ここは大陸全土でも有数の安全地帯。その上グレンまでいる。人は不安を忘れたがるもの。怯えてばかりでは生き辛い。そうしたい気持ちはわかる。楽しむなとも言わん」


 けれど、顔を上げた彼の眼差しは険しい。


「だからといって、これでいいのか? この地を切り拓いた者達の努力とグレンの武力に依存しきったこやつらには、自らの手で己を守ろうという気概が足りん」

 ニャーンが言ったように皆、懸命だ。彼等なりに努力している。だが方向性を間違っていないかと彼は思う。

「いつになったら主らは気付く? まだワシらは滅亡の危機の最中じゃ。ごく一部の者達だけに頼っておって、より大きな危機が訪れた時に乗り越えられると思うか?」

「より大きな危機……って」

 青ざめるニャーン。まさかと思った。それをアイムが肯定する。

「まあ、未だに公表しとらんワシらにも責任はある。だが、いつ来るのかもわからん脅威に怯え続けるのと、その日が来るまで知らずにいるのと、どっちがより正しい選択か結論が出なくてな。

 それでもお主には教えておこう。怪塵とは本当は何か、千年前どうしてこの星に落ちて来たのか、全てを」

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