牙の都へ(2)

 アイムは大陸間でさえ半日とかけず渡ってしまう。その速度をもってすればビサックの暮らす森からワンガニまでもあっという間の旅路。実際、彼との別れから二時間と経たぬうちにティツァルサウティリ王国の中枢を視界に捉えた。

 だが、南北に長く伸びる絶壁の縁で立ち止まった彼は急に人の姿に戻る。背後には今も実り豊かな森。なのに眼下の植生はまばら。正面から吹く強風に含まれる微かな潮の香り。第一大陸では常に西から東へこのような風が吹いている。海から運ばれて来た塩気がこの断崖にぶつかって跳ね返り、下の地面に溜まる。そのせいで植物が育ちにくい。ここから西は東とは全く異なる環境。

 久しぶりに見る荒涼とした景色。確かめるように眺めていると頭上から翼を羽ばたかせニャーンが降りて来た。頭からは湯気を噴き出している。

「いきなり変身しないでください!」

 例によってアイムが「裏返る」際の爆風に吹き飛ばされてしまったのだ。事前に警告があれば飛んで離れることもできたのに。

 しかし、アイムも半眼で言い返す。

「何度も声はかけた。気付かず寝こけとる方が悪いんじゃ」

「だからってこれはあんまりです! 目が覚めたらいきなり空に放り出されていた人間の気持ちにもなってください!」

「ほうか、よしやってみよう。うむ、なった。ワシに対してすまんと思う。謝れ」

「おかしいです!? 自分に都合の良い解釈をしないで!」

「おう、それよりちょっと背中を見てくれ。ヨダレがついとるはず」

「すみませんでした」

 悔しそうに謝るニャーン。咄嗟の判断を求められる訓練の成果が出たのか、前より幾分察しが良くなった。

 なにはともあれ前方を指し示すアイム。つられて顔を向けた少女は目と口を大きく開き仰天する。

「なんですかあれ!?」

 塩気を含む乾いた大地。起伏の少ない平坦な地形なのだが、何故か唐突に巨大な岩山が生えている。しかも天をつく槍のような尖った岩の集合体。第四大陸から第六大陸へ旅をした彼女でも、あんな奇勝は見たことが無い。アイムはズタ袋を持ち上げ、肩にひっかけながら答えた。

「あれぞティツァルサウティリの王都ワンガニ。別名『牙の都』じゃ」




 獣の姿で訪ねるわけにはいくまい。彼がそう言うので、絶壁を降りてからは徒歩で進み始めた。全くと言っていいほど視界を遮るものが無いため巨大な岩山は常に視界の中心にある。近付くほどその異様な姿が明らかになり、ニャーンは戸惑いながらも次々に質問を投げかけた。アイムもアイムで律儀にそれへの回答を続ける。

「この辺り、周りはなだらかな地形なのに、どうしてあそこだけあんな風に?」

「理由は二つある。溶岩は知っとるか?」

「火山の中にあるドロドロの溶けた岩、ですよね? 教会から見える位置に火山があって、たまに上から赤いものが溢れ出て来るので、なんなのかなって思ってたら牧師様が教えてくれました」

「そうか、話が早くて何より。まあ実際には火山の中にあるだけじゃない。深い地底にも溶岩の流れる川がある」

「そうなんですか? じゃあ、もしかしてこの下にも?」

「良い勘じゃ。まさしくここは大きな流れが存在する場所。そして、あの岩山は元は溶岩だったものだ。柱状節理ちゅうじょうせつりと言ってな、溶岩が冷えて固まる時、無数の柱が連なったような状態になることがある。あの山は千年前の災害時、この大陸が真っ二つに割れた時に噴出した溶岩が冷えて固まって生まれたものだ」

 ──その柱状節理が三百年ほどかけて風雨に削られ今のような姿になった。さらに人間の手も加わり「牙の都」と化したのである。

「ま、待ってください。大陸が割れたって……」

 さらりと語られたが、想像さえ難しい天変地異である。

「さっき降りて来た絶壁がその時の『断面』だぞ。ワシが赤い星を破壊した時、向こうも当然抵抗した。奴の放った閃光はこの第一大陸を無残に切り裂き、いくつもの深い傷痕を残したのだ。

 そして、あの絶壁が生まれたことで今のこの風景も生まれた。それがお主の疑問の答え、もう一つの理由じゃな」

「どういうことです?」

「ここらは元々こうではなかった。起伏に富んでいて低山もいくつかあったのだが、そういう地形は必ずどこかに怪塵を溜め込む。おまけにあの断崖のせいで風が戻ってくるものだから余計にそれが促進される。だからワンガニの連中は山野を削り、その際に出た土石で谷を埋め、大地を均したんじゃ」

「ひっ……人の手で、こんな広い範囲を!?」

 信じられない。改めて周囲を見渡すニャーン。あの岩山以外、地平線まで何も無い。

「国を挙げた大事業だからな、貧しい連中を食わせるための仕事も作れてちょうどええと思ったんじゃろ。ずっと西の方じゃ今も工事をしとる。土地がなだらかになったおかげで物資の運搬もしやすくなり、あの街は今や交易の一大拠点だ。ちょうど大陸の中心にあることも大きい。ほれ」

 アイムがアゴで示した方向には、なるほど商隊らしき馬車の列が並んでいる。そして列の先には高い壁がそびえ立っていた。高いと言ってもあの山に比べると地面に生えたコケのようなものなので今まで気が付かなかった。

「あの街は周囲を防壁で囲まれていて南北と西側にはでかい門がある。入るにも出るにも、必ずいずれかを通らねばならん」

「東には無いんですか?」

 つまり正面の壁のことだが、ここから見る限りそれらしきものは見当たらない。

「背後の絶壁の下には怪塵が溜まりやすい。上の森では怪塵狂いもよく発生する。だから最も危険な東側には門を作らず、壁もいっそう高く分厚くしてあるのだ」

「なるほど……」


 そういえば故郷の村でも修道院でも必ず周囲には壁があった。壁の下を掃いて掃除するのも重要な仕事だと言われ、毎日やっていたことを思い出す。あれも怪塵対策。旅に出てからは一度もしていないので、すっかり忘れてしまっていた。


(ちりとりが下手で、よくプラスタちゃんに怒られてたな。今なら怪塵なんて簡単に集められるのに)

 修道院には同じような境遇の子がたくさんいて、その中でも四歳下のプラスタとはよく話した。しっかり者の世話焼きさんで要領の悪い自分を放っておけなかったらしい。今頃心配してくれているだろうか? だとしたら申し訳ないと旅に出て以来何度思ったことか。いつかは会いに行けたらいいのだけれど。

「あれっ? そういえばたしか、ワンガニの人達は岩山の中に住んでるって言ってませんでした? なら、あの壁ってなんのためにあるんです?」

 常に吹く風が怪塵を洗い流してくれる。だからこの場所を選んだはずなのに壁で周囲を囲ってしまったら意味が無いのでは? そう思ったニャーンの指摘にアイムはどこか諦観混じりの表情で答える。

「そりゃ身分の高い連中だけよ。最低でも兵士にならんと山の中には住まわせてもらえん。身分の低い連中は皆、外でこの風と怪塵の恐怖に晒されながら生きておるのだ」

「そんな……」

 人を身分で差別するなんて──そう思いつつ、けれどニャーンは世の大半の場所は同様の仕組みで成り立っていることを知っていた。彼女が生まれた国だってここと同じように王がいて貴族がいて、軍人がいて商人もいて、そしてその下に農民や漁民がいる。彼女は空の機嫌次第で命を左右される農村の生まれ。隣国との紛争が長く続いているせいで毎年税の徴収が厳しく、満足に食べられたことなど数えるほどしか無かった。

 おかしな話だと思う。教会では人は平等だと説いているのに、実態はその教えからかけ離れていて、教会の中にさえ様々な序列が存在した。

 神様への信仰はある。けれど大人がつく嘘は嫌い。教えは正しいと説くなら、ちゃんとそれに従ってほしい。人と人の間に上下を作らず対等に接すべきだ。それともあれは結局、権力者が弱者を利用するため作り出した方便でしかないのか?

「みんなで山の中に住めばいいのに……」

 彼女がそうこぼすと、アイムは肩をすくめて返す。

「入り切らんよ。グレンがあそこに住み始めてからますます人口が増えた。今じゃ移住を希望しても簡単には受け入れてもらえん。厳しい審査がある。麓の街を憐れむ必要も無い。あそこだって他に比べりゃ安全なんじゃ、世の中もっと危険な土地ばかりだぞ。それでもここが気に食わんならよそへ行けばいい。上に住んどる連中は昔ここらの土地を開墾して苦労した者達の子孫。本人のではないが、努力の結果で良い暮らしをしとる。そして地位を維持するにも相応の功績が求められる。何もしとらんわけじゃない。

 下の連中にもチャンスはある。山に住みたきゃ功を立てて成り上がればええ。それだけの話よ。なんら努力せず他人の作った平和だけを享受しようと言う方がおかしい」

「努力してないということはないのでは? 皆、必死に生きています」

「……」

 何故か黙ってしまう彼。かといって言葉に窮した雰囲気でもない。

「まあ、見た方が早かろ……」

 そう言って急に立ち止まった。何事かと思っていると前方に土煙が立ち、何頭もの馬がこちらへ向かって駆けてくる。背中には武装した騎士の姿。

「えっ、えっ、なんで? 私達、何かしましたっけ!?」

「さっき言ったじゃろ、都のこっち側は危険地帯じゃ。そこをまっすぐ歩いて来る者なぞ滅多におらん。奴等にとっちゃ怪しいことこの上無い。壁にはいつも見張りが立っとるし、こんだけ近付きゃ当然気付く」

「気付かれていいんですか!?」

「別に殴り込みをかけに来たわけじゃあるまい、堂々としとれ」

「ううっ……」

 ニャーンは幼い頃、軍隊の行進を目の当たりにした。その時の殺気立った気配と威圧感を覚えているため軍人が苦手なのである。どうしても身構えてしまう。

 とはいえ英雄アイム・ユニティが一緒なら大丈夫だともわかっている。すると少し先で馬を止めて下乗した騎士の一人は、予想以上に親し気な調子で呼びかけて来た。

「アイム様、お久しゅうございます!」

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