心の翼(1)
「むっ……」
同時刻、アイムは森の中で北西の方角を見上げた。それに気付き、アゴに指先を添えて首を傾げるニャーン。
「どうしたんです?」
「うむ、珍しい鳥が飛んでおって心配になった。どこぞの食い意地の張った娘に食われやせんかと」
「誰のことです!?」
「別にお主のことだとは言うとらん。ほれ、準備をせい」
「うー……!」
──星獣たる彼は星の意志と繋がっている。だからこの大陸の北方で
他の大陸ならすぐにも発生地点に駆けつけ迅速に処理している。だが
(光を操る祝福か、あれも使いこなせば便利じゃのう)
身体能力を強化する効果こそ無いが、それ以外は今まで見て来た「祝福されし者」の力の中でも最上級。戦闘力も普段使いの利便性もずば抜けている。
さて、こちらの娘はあれほどの男を納得させられるだろうか?
「よし、今日の訓練を始める。もうやり方はわかっとるだろうが、実戦で使えぬことには何の意味も無いからな」
「は、はいっ!」
緊張した面持ちになり背筋を伸ばすニャーン。服装はまた僧服に戻っている。
「本当にその格好でいいのか?」
「え、ええと、せっかく訓練用の服を用意していただいたのに申し訳ないとは思うんです。でも、こっちの方が汚しちゃいけないって思う分、真剣になれるかなって……」
「そうか」
そこまでの覚悟を持って臨むつもりなら、これ以上何も言うまい。
「オイラも準備はできとる」
こちらは前回前々回と同じ格好でリラックスした様子のビサック。ちなみに悪臭を放つ泥玉は元々使っている狩りの道具。備蓄はたっぷりある。
「よし、ならばまずは隠れい。ビサックの姿が消えてワシが合図を出したら開始じゃ」
「はいっ!」
今日のニャーンは初めて前向きな姿勢で参加している。その事実にアイムの口角は少しだけ持ち上がっていた。
(ビサックさんが消えた。でも、今日は見えてる!)
森のいたるところに散在する
彼は今、左前方からゆっくりと弧を描くように歩き、こちらの背後を取ろうとしている。させまいと体ごと回転しながら目で追いかけるニャーン。
一方、樹上から観察するアイムは手で顔を覆った。
(アホウ……見えてないフリで攻撃を誘うとかあるじゃろ。馬鹿正直に正面から見続けてどうする)
実戦経験の有無でなく感性の問題。戦闘において重要な駆け引き、それを行うセンスが絶望的に足りない。
そもそも位置が把握できているならビサックの周辺の怪塵を操って縄なり檻なりを形成し捕獲すればいい。それをやらないということは、やはりまだ人に対して力を使うことに躊躇いがあると見える。
(その割には自信ありげだったが、どうする気だ?)
はたして、ニャーンの秘策とは──
(どうしよう……)
何も無いのだった。
もう一度言おう、何も無い。
内心では焦りっぱなし。見えない相手の位置が見えるようになった。それだけでいつもより気が大きくなってしまい訓練の継続を申し出た。でも実は、そこから先を全く考えていない。ここから先が重要なのだという事実はたった今思い出したところ。
そんなアホがいるはずないと思うだろう。困ったことにいるのである。少なくとも一人、ここに存在している。
(どうしようどうしようどうしよう!?)
青ざめ、涙ぐむニャーン。アイムは背後から彼女を見ているため、その表情の変化には気が付かない。
逆に正面から見ているビサックは困り顔になった。
(本当、あの嬢ちゃんが相手だと心が痛む……)
とはいえ手を抜くなと言われているし、彼もあと一押し必要だと思う。過去に似た経験をしたからこその推測。ニャーンは自分の能力の新たな使い道を一つ見出した。そういう時にはきっかけさえ与えれば立て続けに閃きが生まれるものだ。今後のためにも今ここでさらなる成長を促しておきたい。
決意した彼は動いた。悪臭を放つ泥玉付きの矢を放つ。
「わ、わわっ!?」
しっかり盾を形成して身を守るニャーン。あれができるようになっただけでも進歩だと言える。しかし、この試練の最終目標は自分の捕縛。
(できるか? ここからは本気だぞ)
ビサックは全力で走った。ニャーンの表情にさらなる戸惑いが生まれる。
「えっ? えっ? ええっ!?」
能力無しでの全力疾走。隠れるのではなく力業でニャーンの防御に隙をこじ開けようとしている。
「そら、もういっちょ!」
「きゃあ!?」
二発目の矢も少女は辛うじて防ぎ切った。だがこれは目くらまし。
ビサックはその隙にまっすぐ間合いを詰める。あっという間に彼は標的の眼前まで肉薄していた。
(く、臭いっ!!)
直撃を受けなくとも破裂した泥玉は強烈な悪臭を放つ。昨日も一昨日も浴びたその臭気に再び顔をしかめた時、ニャーンはようやく気が付いた。
(この匂いも隠れるための武器なんだ!)
獣の嗅覚は人間より鋭い。影の中に入ることで姿と気配を完全に遮断できる彼の力でも匂いや音は誤魔化せない。だから音を立てないように歩くし、匂いを誤魔化すため強烈な悪臭を撒き散らす。鼻の良い動物ほどこの匂いで怯む効果もあるかもしれない。
そしてまた、隠れるのが得意な能力だからと言って、必ずしもそれを使うとは限らない。昨日の訓練でも影の無い場所に隠れてこちらを引っかけた。今回もビサックはまっすぐに突っ込んで来る。あっという間に目の前。ニャーンはとっさに盾を動かす。
しかしビサックは転んだかのようにいきなり姿勢を低くしたかと思うと、そのまま尻を地面に擦らせつつ滑り込んで盾の下を掻い潜り、ニャーンの背後へ回った。背中に衝撃を感じていっそう近くから強烈な悪臭。泥玉を食らったのだ。
(う、うしろ──って、え!? もう横──またうし──おいつけな──)
無理。
その一言に思考が占拠される。彼女の反射神経ではとてもビサックの素早い動きに対応しきれない。ぐるぐる周囲を旋回する相手を追いかけ続けて目が回る。その間にも泥玉は容赦無く叩きつけられた。
もう嫌。弱気がぶり返す。
大事な僧服はまた泥だらけ。
「やめ、やめてよ!」
「うおっ!?」
慌てて飛び退くビサック。ニャーンは無意識により多くの怪塵を集めて自分をすっぽり包み込むドームを形成した。たしかに、これなら攻撃はもう受けずに済む。
でも──
『それでいいのか?』
樹上から、どこかに隠れて見ているアイムの声が響く。ビサックも足を止めて遮らないよう気遣った。
『最初に会った時もそうしておったな。怪塵狂いに襲われ、壁の中に閉じこもり、こんな森の奥深くで来るはずの無い助けを呼んでいた。あの時は偶然にもワシがいた。だが次もそうするつもりか? 今度こそ誰も来ないかもしれない。それでもお主はそうやって壁の中で、他の誰かの助けを待ち続けるつもりか?』
──いいわけが無い。
「いいわけ、ないよ……!」
最後のそれはアイムでなく彼女自身の言葉。彼女の意志。諦めかけていた瞳に再び闘志が宿る。脳裏に蘇ったのはいくつかの記憶。
両親に口減らしとして教会へ預けられた時も、教会で厳しく躾けられた時も、いつでも文句を言わず従い続けた。大人の言うことは黙って聞くもの、その通りにすべきものだと教えられていたから。
でも違う。一度だけあった。たった一つの反抗。この呪われた力に目覚めた時、化け物と誹られるのが嫌で逃げた。自分でもそれだけが理由だと思っていた。故郷を離れたのはそのためだと思い込んでいた。
そうじゃない。
あの時、本当は少しだけ嬉しかった。
行くあての無い逃避行、その先にある自由を想像して心が躍った。教会から街道までの道を全力で走り抜いて気持ち良かった。
アイムの背中に乗って海の上を駆け抜けた時も、世界の広さに、まだ見ぬものや風景を知る機会を得たことに自然と笑みがこぼれた。
今この瞬間にようやく、彼女の中の反抗心は形を成す。その心が求めるままに。
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