泥まみれ(1)
ワンガニに住まう英雄グレン・ハイエンド。彼はかの国に仕える身分ではない。大陸の中央に位置する都市からなら他のどの地域にも最短で駆け付けられる。ゆえに拠点としているだけ。誰にもかしずく必要は無いし誰にも非礼を咎められない。立場的にも実力の面でもまさに第一大陸の頂点に立つ男。
そんな彼だが元は大陸西端の漁村の生まれ。何故、漁民がそれほどの権力を? 答えはいたって単純。彼という個は一国の兵力を凌ぐ武力を備えている。アイムと同じ。生物として完全に他と一線を画している。ゆえに「神の子」と呼ばれる。
しばしの休憩を挟み、アイムの要望で外へ出たニャーンは半信半疑で問いかけた。
「あの、本当にいるんですか? そんな人……」
「なんじゃ疑っとるのか。仮にもお主らの信仰する『光の神』の息子と言われとる男じゃろうに」
「それはそうですけど、私以外にも疑ってる人は大勢います。だって光の神の御子息なら教会の総本山がある
「自然か不自然かなど知らん。そもそも、あの女に息子などおらん」
「え?」
光の神と面識を持つかのような物言い。びっくりしたニャーンが言葉を失ってる間にもアイムの説明は続く。
「グレン・ハイエンドは人間じゃ。神の子などではない。いや、もしかしたら実際に神の血を引いておるのかもしれん。だが、少なくとも光の神の子ではない。たまたま特殊な力に目覚めただけじゃ」
「特殊な力?」
「光を操る能力。普通の人間の眼には見えんが、この世には精霊と呼ばれる生命体がおる。火が燃え、水は凍り、風が吹き、地を揺らす。そういった現象は全て奴等の生態の一部よ。ゆえに精霊と通じ合った者は自然現象を操ることができる」
「精霊……」
そういえば教会でも教わったなと思い出すニャーン。幼い頃に村の老人が語ってくれたおとぎ話でも、子供にわかりやすい寓話の形で精霊の神秘を説いていた。僻地の出なので実際に見たことは無いが、精霊と心を交わし奇跡を起こせる人間はごく稀に現れるらしい。教会では彼等を「祝福されし者」と呼ぶ。第六大陸でも何人か見つかっていて全員が教会の総本山がある大きな都で暮らしているはずだ。故郷では祝福を持つことが判明した瞬間から、その人を聖人として扱う。
「ビサックもその一人じゃ」
「あ、そうなんですね。って、ええっ!?」
予想外の事実に仰天しながら振り返ると、遅れて小屋から出て来た大男はひげ面に満面の笑みを浮かべて返す。
「そうでもなきゃ、こんな場所で一人暮らしなぞできんよ。この森は地形のせいで怪塵に狂わされる獣が多い。危なっかしくて普通の人間は近寄らんのだ」
「こやつは持て囃されるのを嫌い、静かな生活を望んでこんな場所に隠遁しとる変わり者じゃ。とはいえ、ワシにとっても落ち着く場所なんでな、たまにこうして様子見ついでに立ち寄らせてもらっておる」
「アイム様には前に
「なるほど……」
それでここへ連れて来られたのだと腑に落ちた。滅多に人が寄り付かない場所なら自分の存在が明るみに出る可能性も低い。
ただ、失礼ながらビサックの見た目は「聖人」という言葉から程遠く見える。信仰心に篤いニャーンにとっては割とショックな現実。おまけに年頃の女子の前で屁を放つ。結構な爆音が響いた。
「おっと、すまねえ」
「ううう……」
アイムの時もそうだった。教会の教えが全て正しいとは限らない。そう思うことにして、とりあえずは自分を納得させる。
そこへアイムが切り出す。
「さて、本題に入ろう」
腕組みしつつニャーンを見上げる彼。人間で言うなら十五歳程度の肉体。十八歳でなおかつ長身の彼女の方が目線は上なのだ。具体的に言うと頭一個分の高低差。
もっとも、そんなことは気にしない。そもそも彼にはもう一つ別の姿があり、そちらに転じれば全ての人間はちっぽけな存在となる。だからこの姿の時に見下ろされたとて不満を抱いてはならない。甘んじて受け入れるのが礼儀。それでこそ公平である。
「グレンだがな、あの小僧は基本的にクソ真面目で冗談が通じん。そして人間は皆平等であるべきという思想の持ち主で差別を嫌う。ゆえに相手が誰であろうと真摯に向き合おうとするが
「たしか、それがきっかけで目覚めたと……」
「そうじゃ」
有名な話なのでニャーンも知っていた。グレン・ハイエンドは元漁師。他の人々と同じように平凡に暮らしていたが突如発生した怪物に故郷を滅ぼされた上、結婚したばかりの妻まで殺められた。
その瞬間、彼は人ならざる力を発揮して怪物を切り裂いたという。アイム以外が単独で怪物を討ち果たしたのは、それが歴史上初の事例。
「つまり、怪塵を操るお主は奴の抹殺対象となりうる」
「ですよね……」
薄々そんな気はしていた。本当に神の子グレン・ハイエンドがいるなら、見つかり次第すぐ殺されてしまうだろうと。なにせ自分自身、今でも「呪われた力」だと思っている。
「本当なのかい嬢ちゃん? 怪塵を操れるってのは」
「ええと……」
「見せてやれ」
ビサックに問われ、迷った彼女の視線に頷き返すアイム。
この人も怒って襲いかかって来ないだろうか? あるいは気味が悪いと思われてしまうかもしれない。旅の最中、何度か石を投げられた記憶が蘇る。でも、少なくともアイムがいるなら殺される心配は無い。無いはず。
(信じていいんですよね……?)
などなどの葛藤を経て、ついに決意したニャーンは右手を振り上げ、能力を使う。
「えいっ!」
掛け声と共に周囲から赤い塵が集まり円形の壁を空中に形成した。怪塵狂いの獣の爪や牙すら弾き返す堅牢な盾。一人旅の間に何度もお世話になった。
「おお~……」
思ったより薄い反応。ビサックが淡白な性格をしているのか、それとも彼のような祝福されし者には大したことないからか、付き合いの浅い今は判別がつかない。
しかしニャーンの想像以上に彼は驚いていた。顔の半分を覆うヒゲをつまんで引っ張り、心を落ち着けようとする。
「こりゃすごい。本当に怪塵を操っとる。こんな祝福は聞いたことが無い」
「ワシですら知らんからの」
アイムもニャーンのこの力は、ひょっとしたら「祝福」の一種なのではないかと疑っている。だが、その予想を肯定する根拠も否定する根拠も今は無い。
だからこそビサックの力を借りたい。ニャーンの力を試そうにも、自分ではやり過ぎてしまう可能性がある。その点この猟師の力は試験官にちょうどいい。
(さて、しっかり見極めさせてもらうぞ、お主の可能性を)
少なくともグレンを説得できるだけの材料はここで引き出しておきたい。アイムは次に、その方法を彼女に説明する。
途端に逃げ出したので、すぐに追って捕まえた。
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