目覚め(2)
──しばらくして、腹も心も落ち着いたニャーンは質問を投げかけた。まず、どうしてここにいるのかがわからない。
「あの、たしか私たち、第一大陸へ向かっていたのでは? 各国の王に私のことを伝えに行くと……」
「そうじゃ。ところがお主、ワシの背中で寝こけおったろ。ヨダレまで垂らしおって」
忌々しげに背中をさするアイム。まだ汚れているような気がするという。寝ていた間のことで全く記憶に無いがニャーンは即座に頭を下げた。さっきいちいち謝るなと言われたばかりではあるものの、ここは謝罪すべき場面のはず。
「すいません、すいません」
「もうええわ、風呂にも入った。ともかく、お主がそんな調子だからとりあえずは屋根のあるところで寝かせることにしたわけよ。それでここへ連れて来た」
「ここは?」
「第一大陸の端っこにある森の中じゃい。ウォクルセンタ公国の東部と言った方がわかりやすいか?」
「いえ、その、全然わかりません……」
「そうか、まあ尼さんにゃ必要無い知識だしの。学ぶ機会も無かったか」
そもそも海外を良く知る者など王侯貴族にもなかなかいない。そんなのは物好きな学者か一部の大商人くらいだ。海を渡る船乗り達でさえ良く使う航路から外れた地域のことは何も知らないに等しい。人の移動手段は徒歩か馬、そして船。情報伝達は遅く、途切れも多い。だからニャーンが無知なのではなく、それが当たり前なのである。
「まあ、知らぬことはおいおい知っていけば良い。それより、ここへ来た目的はもう一つあってな、むしろそっちの方が重要じゃ」
「もう一つ?」
「お主と第一大陸の王達を引き合わせるは容易い。ワシの言葉じゃ、疑ったとて背く者はまずおらん。ただし、この大陸には奴がおる。あやつだけは簡単に説得できん」
「あやつ? あっ……」
情報伝達が遅く、他の地方や、ましてや別の大陸での出来事なぞ滅多に知る機会が無いこの世界においても例外は存在する。千年も災厄から人々を守り続けて来た目の前の英雄は当然として、彼に比肩しうる者達の噂にも事欠かない。
だからニャーンも知っていた。そうだ、第一大陸には彼がいる。
「神の子……」
「そういうことじゃ」
頷いたアイムは、嘆息しながらまた一口茶を啜る。そして続けた。
「あやつはワシの言葉を素直に受け取らぬ。怪塵に対する憎しみも深い。それを操る力を持ったお主には他の誰より強い疑いを抱くだろう。だからまず、ここでその力を見極めることにした。何が出来て、何が出来んのか。怪塵掃除に本当に役立つのか。今は無理だとしても可能性はあるのか。より詳しく知らねば、あれを説き伏せるのは不可能だ」
──第一大陸中央部エツァルサウティリ王国。その王都ワンガニ。ここには二人の王が存在する。
片やこの国の統治者、ナラカ・イバ・サウティリ。計算高い上に曲者だが、けして悪政は行わず有能で善良な統治者として名を馳せている。
しかし、それも当然のこと。すぐ近くでもう一人の王が目を光らせている。彼は清廉で潔白なるを望む。横暴を許すはずが無い。
グレン・ハイエンド。
彼は
「グレン様! 鉱員達の避難は済んだそうです! 皆、坑道の奥に!」
「わかった」
救出作業に当たっていた現地の兵士。彼等からの報告を受け、用意されたテントの中で休んでいたグレンは外へ歩み出る。鉛色の空からは絶えず雨が降り注いでいた。今はまださほど強い降り方ではない。だが長引けば、あるいは強く降り出したなら坑道の中に水が流れ込み、中の鉱員達は溺れ死ぬ。
でなくとも閉じ込められてから今日で三日、内部に蓄えておいた非常用食料も底をつく頃合い。一刻を争う事態には変わりない。
ゆっくり立ち上がった彼を見上げ、兵士はゴクリと唾を飲み込む。グレンはかなり長身だが、そのくせ細い。全く無駄な肉付きが無いのだ。褐色の肌の下にある筋肉は細い鋼の糸を束ねたものではないかと思うほど鋭くてしなやか。銀の髪も金属的な印象を見る者に与え、人ではなく研ぎ澄まされた刃が立っているのかと錯覚させる。
兵士の一人は慌てて傘を手に取り駆け寄った。
「グレン様、お使いください!」
「無用」
「えっ──」
驚いた兵士達の視線の先で、彼の周囲だけが薄く霧がかる。
「じょ、蒸発している……」
「すごい……」
よく見れば、彼の肉体は薄い光の膜によって保護されていた。それが降り注ぐ雨を肌に触れる前に蒸気へと変えてしまうらしい。たしかにあれなら傘はいらない。
標高が高いこともあって常人には肌寒い気温。なのに蒸気を生み出しながら歩を進めるグレン。服装は白一色。王と呼ばれる身でありながら装飾は一切無く、実用性、すなわち動きやすさと耐久力を重視した造りになっている。肩から先と膝の下は剥き出し。全力を出すとすぐに破けてしまうため靴を履かず、常に裸足。足裏は皮が厚く、今や獣のそれと変わらない。
坑道に入ってからほどなくして足を止める彼。そこには巨大な岩が立ちはだかっていた。幸いにも崩れやすい土砂が積み重なっているわけではない。その場合はもっと繊細な作業を要求される。しかし、これなら解決策は簡単だ。念の為に呼びかける。
「中の者達、退避は済んでいるな?」
『は、はいっ!』
緊張した声が壁際から響く。伝声管を通してあるのだ。元のそれは管が潰れて使えなくなってしまったため竹筒を通し代用した即席のものだが、短時間の使用に耐えればそれでいい。
これだけ巨大な岩を普通に取り除こうとすれば、少なく見積もって一ヶ月。別方向から掘削して救出する場合でも一週間。
だが、ここに自分が来た以上もう心配はいらない。グレンは拳を腰だめに構えた。彼は武器を好まない。何故なら自身が最強の武器。
「ハッ!」
拳を岩に叩きつけ──ない。寸止めの形で停止したそれと岩の間に強烈な白い光が生じ、太い円柱と化して水平に空間を貫く。
「うおおっ!」
「グレン様だ!」
麓の町から救出作業を見守っていた者達は驚き、歓声を上げた。グレンの放った光線は山の反対側まで突き抜けたのである。遠く離れていたからこそ彼等は奇跡を目の当たりにできた。
光は大岩を貫き、消失する。貫いただけ。しかしこれで十分。這えば通れるトンネルが開通した。だから中にいる鉱員達を退避させたのである。安全かつ迅速に救出する手段はこれしかない。
穴の入口から発光信号を送る。
「見えるか?」
『はい! ありがとうございます!』
再度の呼びかけに、閉じ込められた鉱員の一人が返答。他の面々の歓声も響く。口々に感謝と助かった喜びを叫ぶ彼等。やがて大岩に空けた穴から一人ずつ這い出して来た。
「怪我人は何人かいますが、命に別状ありません。全員生還です!」
グレンに対するその報告の声を聞き、また抱き合って喜ぶ鉱員達と救助作業に当たっていた兵士達。
「あの岩が支えになってくれているので、当面次の崩落も無いと思います」
「そうか」
彼の到着から実に二時間足らずの救出劇。名声に相応しい力を遺憾なく発揮し証明してみせたグレンは満足気に頷くと、王都の方角に視線を移す。
「皆、無事で何よりだ。後のことは任せる」
「あっ、グレン様!」
「せめてお礼を──」
兵士や鉱員が引き留めるより早く、彼の姿は一瞬にしてその場から消えていた。誰にも目で追うことは叶わない。空間にわずかに残った光跡を見つめるのみ。
「ああ……」
「行ってしまわれた」
「本当だったな、噂通り無欲に過ぎる」
──神の子グレン・ハイエンド。彼は何も欲しない。地位も、名声も、財産も、助けた者達の感謝の念すら不要と断じる。
ただひたすらに他を助けるだけ。悪を許さず、災禍に屈せず、無償で弱者の救済を繰り返す彼を、人々はせめてもの感謝と畏敬の念を込め「第一大陸の王」と呼ぶ。
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