幽霊とデート、あるいは白いカンバス
その青年は、パーカーとジーンズと言う格好で、ぼんやり公園のブランコに腰掛けていた。幸い、平日の昼間なので外に人はおらず、子供たちをどかして独り占め、ということにはなっていない。公園の外は人通りが多いが、ここは結界でも張られているかのように静かだった。
「あの、ちょっといいですか?」
僕は彼の隣の、空いているブランコに座った。
男は不審そうにこっちを見た。
「じつは、僕は動画の投稿をやっていて……」
おきまりの説明をしながら青年を観察する。
彼は少し痩せぎみで顔色もいまいちだったが、目の輝きはしっかりしていて、何か長く患っていた悪い病からようやく完全に癒えた、といった感じにみえた。
「へー。怖い話。そうだね、あるよ」
そういうと、彼はにっこりと微笑んだ。
そして、とんでもない一言を放ってきた。
「実は僕、今夜幽霊とデートの約束があるんですよ」
僕、実は最近クビになったんですよ。別に大きな問題を起こしたわけじゃない。要は人件費節約のためのリストラ。
それで、再就職もうまくいかなくて。そうこうしているうちに貯金もなくなって。頼れる肉親もいないしね。
死のうと思って公園に行ったんだ。普通にアパートで死んで管理人さんに迷惑をかけるのも悪いし。何なら世間を冥土(めいど)の土産(みやげ)にちょっとばかり騒がせるのも悪くないかと思ってね。ほら、「この公園で誰かが自殺したらしいよ」って噂になるのも乙かなって。
おとといの夜、ロープを持ってこの公園に来たんだ。遊具か、木の枝辺りにひっかけて首を吊ろうと。
そうしたら、このブランコに女の人が座っていた。
歳は大体十七くらいかな。白いワンピースに、黒い髪を右耳の下あたりで一つに縛っていてね。きれいなんだよ、信じられないくらい。どこか儚(はかな)げで、妖精とか精霊とかってこんな感じじゃないかって思った。
彼女は僕の手のロープに目を留めた。
「死ぬの?」
どこかハスキーな、冬の木枯らしを思わせる声だった。
僕はとっさにロープを背後に隠した。もうとっくに見られちゃってるのに、馬鹿だよね。
クスクスと彼女は笑った。
「いいじゃない、隠さなくても。どうせ死ぬなら今さら恥も何もないでしょ」
恥とかじゃなくて、『大切な命を無駄にしないで』とか『悲しむ人がいるよ』とか、ありふれたお説教をされたくなかっただけだったんだけどね。
どうでもいいけどさぁ、よく自殺のニュースなんかがネットに出ると、コメント欄(らん)に必ず『一人じゃない、必ず助けてくれる人がいる』とか、『自分も知り合いが自殺した。こうなると分かったらどんなことでもしてあげたのに』とか、そういうこと書き込む人っているじゃない?
そういう人が実際、誰かに『お金に困ってて、大金が入らないと自殺するしか道がない。悪いけど全財産の半分をくれ』って言われたら、素直に渡すのかね。その人の自殺を止めるためだけに、さ。
え? そういうのはいい? ごめん。
「邪魔しないでください」
って僕がいうと、彼女は
「あなた、不幸なのね」
ってとても当たり前のことを返してきた。そりゃ、幸せな人は自殺なんてしないだろう。
「私も不幸なの」
そう言うと、彼女はうつむいた。髪がたれ、ベールのように彼女の横顔を隠した。
確かに、今まで自分のことで頭がいっぱいだったから気にならなかったけど、こんな夜中に、女の子が一人で公園にいるなんて。
家にいられない事情があるのかもしれないと思った。たとえば、親と仲が悪いとかそういう。
「ねえ、また明日の夜にきてよ。少しくらい自殺を延期してもいいでしょう?」
彼女は顔を上げて僕を見つめた。
「う、うん」
そううなずいたのは、その時にはもう彼女のことを好きになっていたからかもしれない。
次の日の夜――つまり昨日の夜だけど――も僕は同じ時間に公園に行った。その日も彼女はブランコに座っていた。
僕は隣に座った。ちょうど、君が座っているところだ。
「ねえ、あなたはなんで死のうと思ったの?」
その質問に、僕は今までのことを語ったんだ。ついてない人生を。なんだか、そうやって自分の思いを誰かに話すのは、すごく久しぶりって感じがしたよ。
彼女は何も言わずに聞いてくれた。
「ふうん」
そういうとちょっと黙って、何か考えこんでいるようだった。
そして、つま先でちょっと地面を蹴って、ほんのわずかにブランコを揺らした。
その時だよ。なんだか強烈な違和感があったんだ。何かがおかしいって。気のせいじゃない、本能的な気味の悪さ。
何がおかしいのか、僕は必死で周りの景色を観察した
近くの街灯が、薄黄色の光であたりを照らしていた。すべり台の金属板が冷たく光っている。
散らばる小石の一つ一つも、ブランコの骨組みも、揺れるブランコも、むき出しの地面に影を落としている。
けれど、二つ並んだブランコには、僕の影しか乗っていない。
それで気づいたんだ。その女の子に影がないって。
彼女はニヤリと笑った。
「気付いた? 私、死んでいるの」
普通ならとても信じられないけれど、影いう証拠を見せられたら信じるしかない。
「私の名前は白江(しろえ)。死因は病死……近くの××病院でね。なんだか、四十九日間はこの世をさ迷っていてもいいんだって」
「そ、そうなんだ」
あんまりにも現実離れした話で、そんなまぬけな返事しか返せなかったよ。
「それでね、死んでから、今日で四十八日目」
「それって……」
確か、死者は四十九日経ったらあの世にむかうんじゃなかったか。
「そう。もうこの世にいられるのも明日までなの」
僕は少し驚いた。なんとなく、この夜のデートはずっと続くと思い込んでいたんだ。
「そんな! せっかく会えたのに」
内心、『私も会えて嬉しい』とか『ずっと一緒にいたい』とか言ってくれるのを少し期待していたんだけどね。
僕の嘆きに、白江は何の反応もしなかった。
「ねえ、明日も会いに来てくれる?」
ただ、どこかさみしそうな笑顔でそう言っただけだった。
「もちろんだよ」
僕はそう約束した。
それが昨晩のことだ。つまり今日の夜が最後ってこと。
それでね、さっきその××病院に行ってみたんだ。ひょっとしたら彼女の幽霊がそこにいるかも、と思ったし、何か生前の彼女のことが分かるかも、と思ったからね。
今は、病院もセキュリティがきびしくて、入院用の病棟に行くには受付で名前を書いてバッジを借りないといけないんだね。
僕は適当な名前で受け付けをごまかすと、中へ入っていった。そこで、どうしたらいいかわからなくなってしまった。
本当はナースステーションで「白江さんって人を覚えていますか? どんな人でしたか?」って聞きたかったけれど、個人情報を教えてくれるとは思えなかったし、怪しまれると思ったからね。
仕方なく、廊下にある部屋番号と患者の名前が書かれたプレートをみながらうろうろしてた。
そうしたら、奥のほうに娯楽室って言うのかな、大きなテーブルとテレビ、マンガの入った本棚なんかがある共有の大きな部屋があるのに気づいたんだ。
何かに呼ばれている気がして、僕はその中に入っていった。
壁に、一枚の水彩画が飾られていた。
朝の光が差し込む、白に近い淡いピンクの壁の部屋。窓は開けられ、カーテンが風に揺れている。家具はない。
その部屋の中央にあるのは、イーゼルに乗った真っ白のカンバス。
僕はしばらくその絵を見上げていた。
「あの……」
近くを看護婦が通ったのに気がついて、話しかけた。
「この絵、すごくステキですけど……」
「ああ、それ」
看護婦は少し悲しそうな顔をした。
「それ、患者さんが描いたものよ。白江さん」
ああ、やっぱりって思ったよ。教えられなくても僕にはそれがわかっていたんだ。
その清らかな雰囲気は、白江の雰囲気とよく似ていたから。
「その子、無くなっちゃったんだけど、最期までそれを描いていたわ。上手な絵だったし、ここに飾ることになったの」
看護婦はそれだけ言うと、一礼すると部屋を出て行った。
僕は、白江が遺した絵を、改めて見上げた。
真っ白いカンバスの絵。多分それは未来の象徴だ。
さっきの看護婦は、白江は最期までこの絵を描いていたと言う。もう命尽きると言うのに、未来を描いたんだ。
白江がもし生きていたら、どんな人生を送っていたのだろうか。彼女のキャンバスは何色に染まったのだろう。
そうだった。僕はまだ生きている。これから真っ白な未来を何色にも染めていけるんだ。それなのに、自殺だなんて。なんてバカなことを考えていたんだろう。
だから僕は今夜、彼女に告げるつもりだ。生きることにしたって。だから安心して成仏してくれって。
そう語り終わると、青年は爽やかな笑みを浮かべた。
「そうですか。彼女があなたの決意を祝福してくれるといいですね。そして、心置きなく彼女も成仏できたら……」
「ええ! それじゃあ」
僕は遠ざかる青年の背中を見送った。
それがもう数日前のことだ。
つまり、もうとっくにその人は彼女と最後の別れをすませたはずだ。
今さらになって、その××病院に立ち寄ったのは、なんてことはない、純粋に気が向いたからだ。
青年と同じようにして、僕は入院病棟に潜り込んだ。
彼が言っていた通り、奥の方に娯楽室があった。中に入ると、入院患者が何人か、壁の棚にあるテレビをみている。
そのテレビからやや離れた所に、絵を見つけた。
朝日が差し込む淡い壁紙の部屋。そして中央に置かれたカンバスには、
赤褐色のシミ。
不気味な色だ。古い血のような、毒のある虫の背のような。周りが明るくさわやかな印象な分、その汚らわしさが目立って見えた。
確か、あの青年はまっ白なカンバスだと言ってなかったか?
「あの……この絵って……」
僕は、看護婦に声をかけた。
「あれ? 最近もこの絵について聞いてきた人がいたけど。この絵、そんなに人気なのかしら?」
看護婦は少し驚いたようだった。
「いや、印象的な絵だから少し気になって。このシミ、前からあったんですか?」
僕は視線でシミを指す。
絵を見た看護婦は、ぎょっとした。
「やだ! 前はこんなのなかったわ。やっぱり、美術館みたいに良い環境じゃないから、シミができちゃったのね。なんだか気味が悪いわね」
それは予測していた答えだった。
話しぶりからして、青年はカンバスの白さに相当感動していた。こんなに大きなシミがあったら気がつかないはずはないし、『白いカンバスは未来の象徴』なんて言わないはずだ。
もうひとつ、青年の話には出てこないものを僕は見つけた。右下にシミと同じ赤色で、消え入りそうに薄いサインが記されている。
(あの青年が見たとき、この絵はまだ未完成だったのか)
彼女はまっさらのカンバスを赤く塗って完成させるはずだった。だがその前に死んでしまった。
そして、それが今になって、完成している。
青年から植えつけられた真っ白なカンバスのイメージを頭から追い払い、今目の前にある絵と向きあった。
白江が完成させた絵には、作者の無念が見事に表されていた。カンバスを汚す、血と絶望の色。聞いたこともない、彼女の声が聞こえてきそうだった。
『まわりは希望にあふれているのに、どうして私には未来がないの?』
僕はさらに絵に近づいた。赤いシミの濃淡の一部が、人の顔になっていた。
苦悶の表情を浮かべるあの青年の顔。保護色で隠れる昆虫のように、注意深く見ないと大抵の人は見逃してしまうだろう。僕も本人に一度会ったことがなければ、気がつかなかったかもしれない。
青年は、女があの世へ向かう夜、例の公園に行ったのだろう。そして彼女に告げたのだ。自殺をやめたこと、真っ白な未来に向かって踏み出すことを。
それを聞いて彼女はねたましく思ったに違いない。この絵を見ればわかる。
未来のない自分を、残酷な運命への恨みを、未来がある者への妬みと憎しみを表すために描かれたこの絵をみれば。
「君の絵を見たよ」
ブランコに腰かけ、青年は言ったかもしれない
「未来を描いたんだね。真っ白なカンバスを」
彼女は少し口をゆがめて笑ったかもしれない。
「実は、あれは未完なの。サインがなかったんでしょ?」
きっと青年は驚いただろう。
「未完? 本当はどういう絵になるはずだったの?」
その言葉に、すーっと目を細める彼女の姿が見えた気がした。
「赤い、カンバスの絵よ。……だって、ずるいじゃない」
彼女は細い両腕を青年の首に巻いただろうか。
「あなたなら一緒に死んでくれるって思ってたのに。今日、一緒に逝ってくれると思ったのに。自殺を止めた? あなたまで私に未来をみせびらかすの?」
それから、青年が具体的にどうなったかはわからない。
でも生きてはいないだろう。それだけわかれば充分だ。
病院から帰る途中、青年と出会った公園を通りすがった。二つ並んだブランコは、止まったまま、キィとも音をたてなかった。
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