錆びた刃が折れるまで ~引退し忘却された救世の老騎士が、魔王軍幹部としてスカウトされて第二の人生を歩み始める物語~

武田コウ

第1話 錆びた刃

 騎士とは、すなわち一振りの刃である。


 それは、ローガンが長い人生を通してたどり着いた答えであり、道しるべだった。


 騎士は研ぎ澄まされた一振りの刃であるべきだ。


 自らその力を行使することは無く、騎士の力はすべて所有者である主のためにある。


 では、主を失った騎士は?


 ローガンは皮肉気に笑った。


 人里離れた大きな屋敷。


 かつては賑わっていたこの領土も、今では彼一人のものとなってしまった。


 数年前までは日課にしていた剣の鍛錬も、もう止めてしまった。騎士が刃だというのなら、今の自分はきっと錆びついたなまくらだろうと自嘲する。


 年々衰えていく体、視力は悪くなり、聴力も落ちてきたようだ。


 じわじわと死の影が体をむしばんでいくのを感じている。


 これが老いるということか?


 ぐるりと室内を見回す。


 どこぞの芸術家から高値で買い取った絵画、荘厳な装飾が施された家具。壁に飾られた宝剣は、かつて英雄と呼ばれた時代の名残……。


 生きてきた人生に後悔などない。後継も立派に勤めを果たしていると聞いている。


 幸せな人生、幸せな結末のはず。


 だかしかし、この胸に感じる違和感はなんだ?


 ローガンは自問する。


 答えのない、呪いのような問だけがぐるぐると脳内をかけめぐる。


(私は……ここで誰にも知られずに、ひっそりと死んでいくのだろうか?)


 そんな時、部屋の扉が勢いよく開かれた。


 ここ数十年、来客など無かったローガンは驚いて視線を上げる。


 そこに立っていたのは一人の少女だった。


 燃えるような深紅の髪と瞳。額から飛び出した二本の角が、彼女が人外であるとローガンに悟らせる。


「探したわ ”竜殺しのローガン”」


 少女の口から発せられたのは、ローガンの異名の一つ。守護騎士と呼ばれ、ある程度の地位を得てからは呼ばれなくなった懐かしい名前。


「アタシはエミーリア・L・ドラゴ・エレオノーラ! 偉大なる竜王の末子! 最後の竜姫よ!」


 竜族。


 かつて最も魔王に近いと呼ばれた竜の王をローガンが屠ってから、最強の種族は衰退していった。


 魔族たちの争いは苛烈だ。


 竜族は種族として強すぎたがゆえに、他の種族から狙い撃ちされてしまった。


 すでに竜族は滅んだものと思っていたが、どうやら目の前にいるのは、彼女の言葉を信じるなら竜族の末裔だという。


 そんな竜族が、 ”竜殺し”の元を訪れる理由なんて一つしかないだろう。


「なるほど、では一族の仇である私を殺しに来たのかね? 誉れ高き竜族の姫よ」


 こうなることは覚悟していた。


 ローガンは英雄ゆえに、多くの敵を屠り、多くの恨みを生み出してきたからだ。


 この居城で、一人朽ち果てるかと思っていたが、生涯で最も苦戦した好敵手……誇り高き竜族によって滅ぼされるのなら、幾分か救われるというものだ。


 しかし、少女が放った言葉は、ローガンの予想もしていなかったことだった。


「”竜殺しのローガン” 。アナタをスカウトしに来たわ」


「……なんだと?」


 少女は竜族にふさわしい、堂々たる動作でローガンに手を差し伸べる。


「アナタの力で、このアタシを魔王にして欲しいの」


「ふふ……ならばスカウトする人物を間違えたのではないか? 私は仮にも救世の英雄と呼ばれた騎士だぞ?」


 世界を救った騎士が魔王の傘下に加わるなど、笑えない冗談だった。


 しかし、少女はその燃えるような深紅の瞳でジッとローガンを見つめる。


「”騎士とは、即ち一振りの刃である”」


 どこから聞きつけたのだろうか? 少女の口から飛び出したのは、ローガンの信念だった。


「刃は使われてこそ意味があるのよ。違う?」


「……」


 何も、言い返すことができなかった。


 それは、ローガンがずっと心に秘めていた想いだったのだから。


「アタシの元にくれば、アナタを戦場で死なせてあげる……悪い取引じゃないでしょう?」


 あぁ、これは悪魔の取引だ。


 しかし、この提案はローガンにとって抗いがたいほど魅力的だった。


 瞼を閉じ、ローガンは自問する。


 自分にとって大切なものは何か。


 正義を貫くことが大切なのか?


 それとも悪を討つことが?


(違う)


(私にとって大切なのは)


(研ぎ澄まされた刃であり続けることだ)


 ゆっくりと目を開き、目の前の少女……新たな主人の前で跪き、その小さな手を取る。


「騎士ローガン・ヴィルヘルム・サラディン。アナタの刃となりましょう」




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