ちょうどよいふたり

寒竹泉美

第1話 ぜんざいと風花|2013年1月

 サービスエリアにありがちなファミリー向けのレストランで、大味の甘ったるいぜんざいをすすりながら、いったい俺は何をしているのだろう、と幸彦は考えていた。一か月後に人生を左右する大学入試を控えているのに、のんきにドライブなどしている場合ではない。目の前では、叔母の果穂が、幸せそうに餅を頬張っている。幸彦を連れ出した当本人だが、ぜんざいを食べるのに夢中で、幸彦が疑問を抱いていることにも気づいてなさそうだ。暖房が効きすぎているせいで、果穂のほおは小さな子供みたいに赤い。ただでさえ、二十代半ばにしか見えない顔がますます幼く見える。


 平日の昼間。レストランにいるのは、若いカップルか、トラックの運転手くらいだ。自分たちはどんな関係に見えるだろうか、と、幸彦はその年代に特有の鋭敏な自意識で考えてみた。恋人同士には見えない、と、可能性をひとつ消去する。いくら果穂が若く見えても、冴えない黒縁メガネをかけて母親の選んだ服を着た幸彦は、いかにも高校生然としている。美人の果穂と釣り合わない。姉と弟、といったところか。


 幸彦は、自分で下した結論に少し傷ついて、果穂から目を逸らし、ガラス越しに外を見た。黒いアスファルトと、枯れ草に覆われた茶色い丘が見える。駐車場からここまで、数分の距離を歩いてきただけで、指先や耳が凍えて痛くなるほど寒かった。でも、レストランの中から見ている限りでは、いかにものどかな景色だった。天気もよく、空は青く澄んだ空が広がっている。


 馬鹿にしてるよな、と幸彦は思った。センター試験のときには好き放題荒れ狂ったくせに。雪のせいで電車が遅れ、タクシーはなかなか捕まらなかった。仕方がないから走って何とか会場にたどり着いたが、体力と気力を無駄に消耗した。試験中も濡れた足が冷たくて、集中できなかった。外は吹雪で、窓際の席だった幸彦は、がたがたと鳴る窓枠の音に悩まされ続けた。

 日本中で大荒れの天気だった。程度の大小はあれど、すべての受験生が何らかの被害を被ったはずだ。だから、幸彦の試験の結果が思わしくなかったのを、天気のせいにするのはただの甘えだと分かってはいる。でも、何かのせいにしないとやりきれなかった。苦手な物理も必死で勉強したのに、いくら記憶を探っても心当たりがない分野が出て、まるまる二問解けなかった。それだけじゃない。自信があった数学に単純な計算ミスがあったことが、あとで発覚した。英語はヒアリングがさんざんだった。志望校を判定する結果はまだ返ってきていないが、これではいくら二次試験で挽回しても、目指していた大学に届かない。幸彦は絶望した。


 そして今朝、果穂が突然家にやってきて、塾や学校の友人たちはもちろん、親と顔を合わせるのも嫌で、部屋に引きこもっていた幸彦を強引にドライブに連れ出したのだ。果穂は幸彦の母の妹だ。母と十六歳、幸彦とは十歳離れている。母と年が離れているのは異母姉妹であるから、らしい。果穂が現れたとき、幸彦の母はあからさまにほっとした表情を見せた。年が比較的近くて、受験を経験した果穂になら、息子を安心して任せられると考えたのだろう。一浪したとはいえ、果穂は、難関大学の受験を突破している。幸彦も、果穂の登場に内心救われた気がしていた。成り行き上、ふてくされた態度を取り続けていたが、このまま引きこもっていると、二次試験の勉強に差支えが出る。それに、誰にも会いたくないという思いと同じくらいの強さで、誰かに会いたいと思っていた。ひととおりふてくされ終わったら、果穂に二次試験のアドバイスをしてもらおうとすら思っていた。それなのに、家を出て一時間ほど経っても、受験の話題はまったく出ない。


 しびれを切らした幸彦は、ついに自分から、

「センター試験のときもこのくらい晴れてたらよかったのに」

 と、言ってみた。果穂はぜんざいのお椀から顔を上げると、

「あれ? センター試験、もう終わったの?」

 と、驚いた声を出した。

「落ちこんでいる俺を励ますためにドライブに連れ出したんじゃないの?」

 思わず大きな声が出た。きょとんとしている果穂を見て、幸彦は照れ隠しに咳払いした。

「ゆきちゃん、若いなあ。世の中は君を中心に動いてるわけじゃないんだよ」

「その言葉、そっくり返す」

 幸彦はふてくされて言った。励ますためじゃなかったらなんだというんだ。必死に勉強している受験生を、自分の都合で引っ張り出して車で連れまわす叔母が、どこの世界にいるのだろう。

「じゃあ、なんで俺はここにいるわけ?」

「ちょうどよかったから」

 即答だった。

「誰にも会いたくないのに、誰かに会いたいときってあるじゃない?」

 まるで、さっきまでの自分の状況を説明されているような気がして、幸彦はあいまいにうなずいた。

「ゆきちゃんが、なんかちょうどよかったから」

 それも幸彦が思っていたことと同じだった。幸彦が果穂になら話せると思ったのは、近すぎず遠すぎず、ちょうどいいと思ったからだ。

「そうか。センター、失敗したのか」

 果穂は決めつけたが、反論できる材料を持っていない幸彦は何も言い返せない。

「どうりで、世界の終わりが来たみたいな顔してるわけだ」

 気づくのが遅い、と、幸彦は心の中でつぶやいた。また、自分を中心に世界が回ってると思ってる、と、からかわれるから口には出さなかった。代わりに大きなため息をつく。


「で、結局、なんで俺は連れ出されたわけ?」

「失恋したのよ」

 果穂はグラスの水を飲み干してから、言葉を続けた。

「十年ぶりに恋をして、すごくいろいろがんばったのに、ぱっぱっぱーっとふられちゃった」

 美人で、頭が良くて、東大出で、楽天家で、活動的で、誰にも邪魔されずに人生を謳歌しているように見えるこの人を、どこの男が振るのだろう、と思いながら、幸彦は水を飲み干した。何か言うべきだろうかと迷っていると、

「行こうか」

 と、果穂は立ち上がった。

 外に出た途端、容赦ない寒さがふたりを襲った。

「で、どこに行くの?」

 一時間前に聞くべきだったセリフを、幸彦はようやく口にすることができた。

「花を見に行くの」

「こんな真冬に? 何の花を」

 かざはな、と果穂は言った。

「風の花、と書く」

「知ってる。それ、雪のことだろう?」

 果穂に悪いと思いながらも、幸彦はうんざりした声が出るのを止められなかった。雪はもうこりごりだった。

「雪は雪でも、晴れたときに舞う雪なの。青空に、花びらみたいにはらはらと舞うのよ」

 見たことある? ときかれて、幸彦は果穂の言う情景を想像してみた。そういえば、お天気雨は見たことがあっても、お天気雪は見たことがない。雪が降っているときはいつも、重苦しい灰色の雲が空を覆っている。

「どこか別の場所で降ってる雪が風で飛ばされてきて、そんな現象が起こるんだって。東京じゃあまり見られないみたいなんだけど」

 その知識、誰に教えてもらったの、と、幸彦は聞こうとしたが、やめた。ちらりと見た果穂の横顔が、さみしそうだったからだ。溶けて消えてしまいそうなほど、はかない表情で空を見上げている。

 つられて、幸彦も天を向いた。青い青い空だった。ふたりは無言のまま、空を見上げ続けたが、いくら待っても何も降ってこなかった。果てしない、と幸彦は思った。

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