第28話 恩返し

 そう告げたアイフォードに、私は小さく唇を噛み締める。

 分かっていると思っていたはずだったのに、その瞬間になって、私ははっきりと思い知らされる。


 ……もう、前のような関係に戻ることはありえないのだと。


 そう思ってしまったからだろうか、私の脳裏にかつての記憶が蘇る。

 アイフォードがかつて私に言った会話が。


 ──俺は、妾の子だ。ここを勝ち抜くしか生き残る道はない。


 ──お前も母親で苦労したのか? 同じだな。


 どうしようもなく胸に溢れる感情に、思わず私はアイフォードの方を見たくなる。

 しかし、その感情を抑え込んで私は頭を下に下げた。

 もう、私にその思い出に浸る自由など残されていないのだから。


「旦那様、そんな……」


 思わずといった様子でネリアが口を開いたのはそのときだった。

 しかし、そのネリアの言葉はどちらの人間にも響くことはなかった。


「常に世話になっているところ悪いが、これは二人の問題だ」


「でも、しかし……」


「あの時、俺はもう少しで侯爵家当主の座に座る寸前だった。なあ、マーシェル?」


 その言葉に、私は顔をあげる。

 そして、ゆっくりと頷いた。


「はい。アイフォード様は間違いなく、侯爵家の人間の期待を背負っていました」


 そう、あのときアイフォードはコルクスにさえ、認められていた。

 あのとき私が手を出すことさえなければ、アイフォードが当主の座を得るのは決して難しい話ではなかっただろう。


 ……それを理解した上で、私はアイフォードをはめた。


 そう改めて理解した私の胸に、痛みが走る。

 もう、ネリアが口を挟むことはなかった。

 沈黙の中、ゆっくりとアイフォードが口を開く。


「マーシェル、お前は理解しているだろう? お前は俺に二つ借りがあると」


 二つ、その意味を私は直ぐに理解する。


 すなわち、裏切ったことと、私を迎えにきてくれたことだと。


「その様子ではきちんと理解しているようだな。それでこそ、メイリの報告を聞いて迎えに行った甲斐があるというものだ」


「……っ! メイリが!?」


「ああ、感謝しておけ。その存在がなければ、今お前がこうしてこの場にいるか分からないのだからな」


 今まで冷え切っていた心に温かみが生まれたのはその瞬間だった。

 そんな私を静かに見ていたアイフォードはゆっくりと口を開く。


「俺の事を忘れてクリスに尽くしてきたくらいには、恩に厚いんだろう? きちんと恩返ししてやれ」


「っ!」


 その言葉に、言葉を失った私にアイフォードは皮肉げに口をゆがめて告げた。


「だがその前に俺にも借りを返してくれよ。話はそれだけだ」


 それだけ一方的に告げると、アイフォードは椅子から立ち上がり歩き出す。

 ……その姿がなくなるまで、私は動くことができなかった。

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