契約結婚のその後〜追い出した夫が私の価値を知るまで〜

陰茸

契約結婚のその後

プロローグ

「愛する人が私にはいる。だから、君との婚姻は時がくれば破棄する。短期間でも侯爵家に嫁げるのだ。文句はないだろう?」


 それが、伯爵令嬢である私、マーシェルの夫となる人。

 侯爵家令息、クリス・キシェタリアの第一声だった。


 これは、クリスが侯爵家次期当主に認められるためだけの契約結婚。

 そう知ってからしばらくの間、私は顔を上げられなかった。

 自分の価値なんてその程度だと知っていたはずなのに、どうしてか少し涙が出そうになる。

 ……いや、目を逸らそうとしているだけで、本当はその理由に私は気づいていた。


 簡単な話だ。

 私は勝手に期待していたのだ。

 自分と結婚したいと指名してくれたこの人なら、私を見てくれるかもしれないと。


 そんなことありえないと、散々思い知らされてきたはずなのに。


 ──お前なんて可愛げのない女を家においてやっているのだ、感謝して欲しいものだ。


 ──何が、美姫の娘よ。貴女みたいなみすぼらしい女には、使用人の服で十分よ。


 脳裏に蘇る罵声。


 ……初夜にも関わらず、自分一人しかいない部屋の中、私は蹲る。


 どうしようもなく惨めだった。

 自分はこれから先も、こうして生きていくのだろうか、そんな暗い考えが頭を支配する。


 だが、そう絶望する一方で自分が安堵を抱いていることに、私は気づいていた。


「でも、もう罵られることもないわ……」


 伯爵令嬢であるのにも関わらず、実家であるカインド家の私の扱いは酷いものだった。

 全ては、私が亡くなった前妻の娘だから。

 特に、現在十歳となる私の義弟が生まれてからの扱いは、使用人以下だった。

 令嬢としての教育も施されず雑務を押し付けられ、挙句の果てには何をしても罵倒される日々。


 それは間違いなく地獄のような日々で──だから私は、夫となるクリスには感謝もしていた。


 愛する人が私にはいる、そう告げた時のクリスの目は冷ややかだった。

 彼はおそらく、私を嫌っているのだろう。

 みすぼらしく、令嬢のマナーも知らない田舎貴族と。


 それでも彼は、実家から離れさせてくれた人なのだ。

 だから、例え私を憎んでいても、恩は返さなくてはならない。


「そうよ。私は恩を返さなくては!」


 そう呟いた私の目には小さな、それでも確かな光が浮かんでいた。

 それを気力に、私は一人の部屋の中動き出す。

 全ては彼を侯爵家の当主とするために。


「それに、私が頑張ったらあの人も少しは……」


 それは、今から三年前のできごと。

 私がまだ、いくら頑張ろうと無意味でしかないと知る由もない時期の話だった……。

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