<外伝>完璧な后と愛せない王様 第1話
「かくて、銀の女王は去りにけり……」
王宮の私室に三人の男。
一人はブランデーの入ったグラスを片手に、立ってチェス盤を見下ろしている。名はアハト=フレイムローズ。アストレア帝国の宰相であり、《真紅》フレイムローズ公爵家の当主。その髪も瞳も血のように赤い。
一人は盤を挟み、得意げな様子で駒を動かす男。名はルイス=ブラックウィンド。帝国の近衛騎士団を率いる《漆黒》ブラックウィンド家、その当主の弟だ。鴉のような黒い髪と左目を持ち、右目には眼帯をつけている。先ほど歌うように呟いたのはこの男だ。
最後の一人はその向かい側に腰掛けている。太陽のように輝く髪と瞳を持つ《黄金》アストレア皇室、現皇帝ロギウスの子。
テリオス=アストレア。
それが私の名だ。
「銀の女王、か」
私はルイスが後方に動かしたクイーンの駒をちらと見下ろした。
「あれは確かに美しい女だった。だが、女王と呼ぶには少し若すぎるであろう」
「何をおっしゃいます」
ルイスは両手を広げてみせる。
「彼女はこの国でもっとも輝ける《黄金》、もっとも燃え盛る《真紅》、この二人を差し置いて別の男と駆け落ちしてしまったのですよ。あぁなんという大胆さ! 彼女をこそ、女王と呼ぶにふさわしい」
「吟遊詩人にでもなるつもりか?」
額に手を当ててうっとりするルイスに、アハトが冷たい笑みを向ける。
「貴殿にはそのほうが向いているやもしれんな」
「御冗談を! 私は終生テリオス様の忠実なる騎士ですよ。フレイムローズ卿」
頬杖をつき、二人のやり取りを眺めるでもなく眺めながら、私は社交界から姿を消した令嬢のことを思い出していた。
まず浮かぶのは──銀。
あふれては広がり、流れては煌めく《白銀》の髪。
「しかし──いやはや。驚きましたよ。彼女にあれほど熱を上げていた宰相殿が、こうもすぐに結婚されるとは」
私が物思いにふけっているのを察したのだろう。ルイスは再びアハトに水を向けた。この男には場の空気を巧みに取り繕う、武人らしからぬ才覚がある。
「驚くことはない。結婚は貴族の義務だ」
「ええ、それはもちろん。宰相殿には公爵家を守る責務がおありだ。では、彼女のことはきっぱり諦めたと?」
「なぜそんなことを聞く?」
「好奇心ですよ。私はこのとおり無骨者ですが、愛と結婚の関係についてはいささか興味がありまして」
「……………………アイ」
呟く。
ルイスとアハトの瞳が同時にこちらへ動いた。
私は手を伸ばし、ルークの駒をつかんで持ち上げ、
「チェックだ」
トンと置く。
途端に険しい顔になったルイスが盤面を睨みつけた。アハトも腕組みしてじっと見下ろす。
そこからは三手とかからなかった。
「降参です」
自らキングの駒を倒し、ルイスはがくりと肩を落とした。
「悲しいかな。私では銀の女王の代わりになれそうもない」
「そのようだな」
「あぁ、テリオス様は誠に容赦ない……」
銀の女王──フィオナがいたころは、アハトと三人で代わる代わるに駒を指した。我々の実力は互角だった。
だが、彼女は去った。
クイーンの駒を手に取り、天井のシャンデリアに向かってかざす。
「……チェスのできる女だといいが」
「女?」
「フォルセインの姫だ」
「ああ!」
ぱっと顔を上げ、ルイスは満面の笑みでうなずいた。
「とうとう秋にも輿入れなさるとか! 未来のお后様はどのようなお方なのですか?」
「会ったことがある。一度だけ」
帝国と同盟を結ぶ隣国フォルセイン。その国の姫が私の許嫁だ。四年前に行われた会談の折、初めて顔を合わせた。
幼い。
そう思った。
他にこれといった印象はない。
覚えていることといえば、挨拶の声が聞き取れないほど小さかったことくらいか。
「たぶん、あまり美しくはない……賢くもなさそうであったな」
「そのようなことを!」
ルイスが頬を引きつらせる。
「もしや、フィオナ嬢とお比べになっているのでは?」
「かもしれぬ」
「それはあんまりでございましょう! よろしいですか。美しい女は三日もすれば飽きると言います。賢い女は生意気なだけ。結婚において大切なのは! そう! お二人の──」
「世継ぎを産めるかどうか」
静かな声でアハトが言う。
ルイスは口を開けたまま固まった。
「……ふむ」
私は首を傾け、手の中の駒を盤に向かって放り投げる。
クイーンは盤上を跳ね、転がり、キングに当たって静止した。
「その通りだ」
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