エピローグ<後編> 最凶の悪女
「準備はよろしいですか? 我が女王──」
「い・い・え! まだ入ってこないでくださいませ!」
爽やかな笑顔で入ってこようとしたフィルを、ミアがすさまじい剣幕で追い返しました。
「ミア、大丈夫よ。フィルは性別がないそうだから」
「いけません、お嬢様。今この部屋に立ち入ることができるのは女性のみと決まっております。それ以外は認められません。たとえ花婿であっても、神鳥であってもです!」
「そ、そう……」
神をも恐れぬとはこのことですね……。
部屋の外でしょんぼりしているフィルの姿が思い浮かびます。
「口紅の色はどうなさいますか?」
「ん……」
色とりどりの口紅の中から、私は淡いピンクを選びました。ミアが筆に取って唇に載せてくれます。
鏡の中に映る私が身に着けているのはウェディングドレス。
ドレスと髪にはたくさんの白薔薇が飾られ、アクセサリーはダイヤ、真珠、それから大粒のオパール。
唇に色が加わり、一気に華やいだ印象になります。
「うん。いいわ」
首を左右に動かし、全体を確かめながらうなずきます。
が、反応がありません。
「?」
鏡越しに見ると、彼女は唇を噛みしめ、ぽろぽろと涙をこぼしていました。
「………ミア」
肩に置かれた彼女の手をやさしく握ります。
ミアは泣きながら、目をきゅっと細めて笑いました。
「お嬢様……。私、お嬢様にお仕えできて……心から……幸せです……!」
そっと椅子を引いてくれます。
立ち上がったところにノックの音が響きました。
「フラウ」
「!」
その声を聞いて、私は瞬時にドレスの裾をつかみ上げました。
背後でミアが悲鳴を上げます。
駆け寄ってドアを開くと、そこに──
「お兄様!」
婚礼衣装のお兄様が立っていました。
白い礼服に真紅の髪と目の色が映えて、その鮮やかさが一層際立っています。
ああ……なんて……まばゆいのでしょう……!
陶然として見つめていると、お兄様は少し困ったような顔をしました。
「あっ」
慌てて口を押さえます。
またお兄様と呼んでしまいました。
前世ではノイン様とお呼びしていたのに、どうして直らないのでしょう……?
「別によいのではありませんか?」
と、横からフィルが顔を出します。
「年上の男性をお兄さんと呼ぶのは、我が国では一般的なことです。誰もおかしいとは思いませんよ」
「そ、そうなの?」
「はい」
フィルはにこりと笑い、それから白いマントを払ってひざまずきました。
「我が女王。参りましょう。国民が待ちかねています」
「……ええ」
城の外にはすでに大勢の人が集まっています。
新しい女王の戴冠。それに婚礼も行われるとあって、国中からお祝いに駆けつけているのです。
「私は一足先に大聖堂へ参ります。お二人は馬車にてご移動を」
「わかったわ」
「お待ちしております」
そう言うと、フィルの姿が白い光に包まれ、一羽の小さな鳥になりました。ぱたたたっと軽い羽音を響かせ、瞬く間に飛んでいきます。
ミアに見送られながら、私たちも腕を組んで王宮の外へ向かいました。
先触れのラッパが高らかに鳴り、外の歓声が大きくなりました。
私たちが姿を見せるのを今か今かと待っているのでしょう。
低い声が、高い声が、笑い声が、口笛が、楽器が──
いろいろな音が折り重なって、大きな波のように王宮の壁に響きます。
ふと、お兄様の腕をぎゅっと握りしめていることに気がつきました。いつの間にか自分の足が止まっていることにも。
お兄様は何も言わず、私と一緒に立ち止まっていてくださいました。
腕をつかむ力を緩め、深呼吸します。
吐く息が震えていました。
「申し訳ありません、お兄様──」
顔を上げると、不意打ちのように唇が重なりました。
周囲の音が消えます。
「……………」
唇を離すと、歓声が戻ってきました。
「……落ち着いたか?」
やさしく問う声。
私はその顔を手で引き寄せ、もう一度自分から唇を重ねました。
そっと離れて微笑みます。
「はい。これで落ち着きました」
お兄様も微笑みます。
「とてもきれいだ。フラウ」
「本当ですか……?」
「このまま連れ去って、誰にも見せたくないくらいには」
「では、連れ去ってくださいます?」
「ああ。お前が望むなら」
「ふふ」
笑いながら首を振ります。
「大丈夫です。お兄様。もう心配ありません。こうしてお兄様がそばにいてくださるなら……国のひとつやふたつ、統治するくらいどうってことありませんもの」
「それは頼もしいな」
「お兄様との約束も果たせますし」
「約束?」
「……お忘れになったのですか?」
私は小首をかしげてみせます。
「あの夜、お兄様に約束しました。『必ず一国の主にしてみせる』と」
「!」
「共同統治という形ですけれど……問題ありませんよね?」
まじめな顔つきでそう尋ねると、お兄様はこれまでで一番驚いた顔をなさいました。
それから声を上げて笑います。
「ははっ……フラウ! お前には敵わない」
ええ。
誰も私には敵いません。
たとえお兄様であっても。
だって私は──
《最凶の悪女》ですから。
「まいりましょう。お兄様」
「ああ、行こう。フラウ」
私が差し出した手を、お兄様が取ります。
そうして一歩ずつ進む私たちを、光と大歓声が包みました。
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