第105話 答え合わせしましょう
「……………な」
弾かれたように飛びのき、フィーは震える声を漏らしました。
「に、を…………言っているの」
頬も耳も、湯気が出そうなほど真っ赤になっています。
誰かさんと反応がそっくりですね。さすがは幼馴染。
「私の質問に嘘をつきましたね」
ベッドに手をつき、私はゆっくりと起き上がりながら言いました。
「『恋をしたことはありますか?』という質問です。覚えていますか」
孤児院へ向かう途中。
私の問いに、彼女はほとんど間を置かず『ありません』と答えました。
「そのとき思ったのです。答えが早すぎる、と」
人は嘘をつくとき、断定的かつ早口になりやすいもの。
「『恋をする資格がない』とも言いましね。恋を知らない人間が、そんなことを口にするものでしょうか?」
「………」
「それから、私に対するその執拗な態度。眠るときすらそばから離さず、休暇だと知れば娯楽室に閉じ込めようとまでした。これは少々……いえ、かなり異常だと思いますが」
「それは」
フィーはかすれた声を上げました。
「あなたを……守ろうとしたのよ」
「ゼト様から?」
「ええ」
「私が彼の情婦だったとして、貴族の御手付きなんて珍しくもありません」
「………」
「私が傷つくのを案じるというならば、紹介状を書いて他所にでも行かせればよかったんです。わざわざ自分のそばに置くことを選んだのはなぜですか?」
「………」
黙り込む彼女に、私はため息をつきました。
「お嬢様。あなたは──」
天井を見上げて呟きます。
「本当は私を殺すつもりだったのではありませんか?」
フィーの肩がわずかに震えました。
「確信はありません。なんとなくそう感じただけです。もしそうだったとしても、本気ではなかったと思いますし」
勤務中、私はたびたびうすら寒い気配を感じていました。シルバスティンで暗殺者と対峙したときほどではありませんが。
「断っておきますが、ゼト様とは本当に何でもありませんから」
「………」
ちゃんと聞こえているのでしょうか……?
これまで、彼女のことがまったく理解できませんでした。
なぜゼトに冷たい態度を取るのか。どうして私を離そうとしないのか。
でも、気がついたのです。
考えもしなかった『可能性』がひとつあると。
「ところで」
私は息を吸って再開しました。
「お嬢様はカフラーマ人に強い関心を持っていますね。お父上のヴィクター様にたびたび南方視察を勧めたと伺っていますし、カフラーマ人の孤児を受け入れる施設へ寄付もされています」
混血であるネリを雇うことにしたのも彼女だと聞きました。反対する女中頭を無理やり説得したのだとか。
「お嬢様はカフラーマ人との友和を大切になさってきた。帝国貴族として大変ご立派なことだと思います。……ゼト様の許婚としても」
いつか嫁ぐことになる。そう信じてきた異国。
「それなのに、ヴィクター様はゼト様との婚約を破棄なさった」
そしてこれが──
見落としていた『可能性』。
「不思議ですよね。この件について、お嬢様を心配する声をひとつも聞きませんでした」
ネリは多少残念がっていましたが、それでも『うんと格上のお相手』と婚約したフィーを誇らしく思っていました。フラれた当人のゼトも『今ごろほっとしているだろうよ』などと自嘲していましたし。
私も、考えることすらしなかった。
お兄様との婚約を喜ばない令嬢など、この世に存在しないと思っていましたので。
──生真面目で清廉潔白なフィーお嬢様。
──敬虔で慈悲深いフィーお嬢様。
──聖女のようなフィーお嬢様。
周囲が勝手に作り上げたイメージ。エメル家の息女としてかけられる期待。
誰も、彼女の本当の気持ちを知ろうとしなかった。
「おそらくお嬢様は普通の精神状態ではなかったのでしょう。でなければ、私とゼト様の仲を誤解することもなかったと思います」
婚約破棄したばかりの元許婚が、庭で使用人と一緒にいた。
それだけで男女関係にあると強く思い込んだ。
「あなたは私に嫉妬したんです」
私はまっすぐに彼女を見つめて言いました。
「ですから、あなたは恋を知っています」
「すべて」
と。
無表情で黙り込んでいたフィーがぽつりと呟きました。
その口元に笑みが浮かんでいます。
穏やかでやわらかい、いつもの笑顔。
「あなたの想像ですよね?」
「………」
「妄想と言ったほうがいい?」
私はふぅと息を吐き出しました。
致し方ありません。
懐から巻いた紙を取り出し、クルクルと広げて前に掲げます。
「お嬢様。これは公爵様からの贈り物ですね?」
フィーの顔が一気に歪むのがわかりました。
「申し訳ありませんが、書斎から拝借してまいりました。これがお嬢様の本当の望みだとしたら──」
「あははははっ‼」
響き渡る甲高い声。
私はぎょっとして固まりました。
フィーが全身を震わせ、体をいびつに折り曲げて、見たこともないほど大口を開けて笑っています。
「はは、は! すごいわ、ローザ……! あなたって……はっ、そこまでするのね!」
笑いすぎて息を切らせながら、途切れ途切れに言います。
「でも……ふふふ。やっぱり間違っています」
発作のような笑いが収まると、少しずつ背筋を伸ばし、ねじ曲がった体をまっすぐに戻して。
「恋なんて、そんなきれいな感情じゃない」
彼女は胸に手を当てて言いました。
「これは──────『執着』です」
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