第77話 《白銀》の誓い
大広間に現れたティルトは銀糸の編みこまれた正装をまとい、背後に二人の男を引き連れていました。
昨夜私たちのもとに駆けつけた侍従長と、もうひとりは甲冑を着た壮年の大男です。
「どう、して……?」
呆然と呟くニーナ。その表情がみるみる険しくなります。
「衛兵長、息子をすぐに連れ戻しなさい!」
「………」
衛兵長と呼ばれた大男は口を一文字に結んだまま動きません。
「侍従長、あなたも何をしているの? その子を一歩たりとも部屋から出さないようにと命じたはずよ!」
「申し訳ありません。ニーナ様」
侍従長は低くなめらかな声で答えました。
「お館様のご命令が第一でございますので」
「⁉」
言葉を失うニーナ。
一方、ティルトは集まった諸侯たちを見回し、驚くほど大人びた笑みを浮かべました。
「みなさん、心配をかけました。このとおり僕は怪我ひとつありません。ただ、城の警備については見直す必要があります。そこで……ゴルダ卿」
「は。何でございましょう、ティルト様」
「あなたは先の戦において、衛兵長とともに戦った歴戦の猛者だと聞いています。この城を守るにはどうすればいいか、知恵を貸してくれませんか?」
「無論。私のような年寄りがお役に立つのであれば、なんなりと」
「ありがとうございます。それからランブリー夫人」
「は、はい!」
「あなたは農学博士でしたね。去年発表なさったすばらしい灌漑技術論を読みました。実は、このところの雨量が気になっていて……あなたの方法論を実践したいと考えています。相談に乗ってほしいのですが」
「わわ、わたくしの論文をお読みに? ぜっぜひとも! お願いいたします!」
「はい。それから──」
大したものですね。
ティルトは臣下一人ひとりに声をかけ、それぞれに異なる相談を持ち掛けました。彼らが領地でどのような役割を担っているか、完璧に把握していなければできないことです。
たった七歳の領主。
そんな幼子に大人たちが脱帽し、圧倒されています。
「ほえぇー。ティルトきゅん、しゅごい……」
エリシャも驚きのあまり語彙力を失っているようです。
いえ、彼女が語彙力を失うのはいつものことですが。
「母上」
そして。
最後にそびえる砦を前にするように、ニーナと対峙します。
彼らを除く全員が固唾を呑んで二人を見つめました。
「──なぜ」
絞り出すような、母の声。
「どうして逆らうの? わたくしはずっと、あなたに尽くしてきた。あなたのために。あなたのためだけに……!」
「わかっています。母上」
「何もわかっていないわ! あなたは知らない。あの人が、あなたのお父様がどんなふうに命を削っていったか! わたくしがどんな思いで……ここまで……!」
「母、上、………っ」
ティルトの声が苦しげに歪みました。顔面が蒼白になっています。
発作の兆候──
侍従長はとっさにメイドを呼び寄せようとしましたが、ティルトがそれを制止しました。ふいごのように肺が鳴ります。
息を大きく吸って、吐き出し、美しい《白銀》の瞳を上げて。
「母上のことを誰よりも愛しています。悲しませたく、ありません」
「それなら……‼」
「でも、それと同じくらい、シルバスティンを愛しているんです。父上が命がけで守ろうとしたこの地を。そこに暮らす人たちを。僕から──その誇りを奪わないでください」
澄んだ声で彼は言いました。
「僕も、自分の手でシルバスティンを守りたい。領主として。第十八代当主、ティルト=シルバスティンとして!」
しん、と辺りが静まりました。
ニーナは目を見開いて立ち尽くしています。
その静寂の中。
最初に響いたのは──
一拍の拍手。
じっと仁王立ちしていた壮年の衛兵長が、分厚い手のひらを打ち合わせていました。
それを皮切りに諸侯たちも次々と拍手を始め、広間はすぐにその音で満たされました。エリシャも大喜びで手を叩きます。私も誇らしき我が従弟に向けて、惜しみのない拍手を送りました。
「あ、あの……」
ティルトが照れたように大人たちを振り返ります。
ひとしきり拍手が鳴り響いたあと、彼はぺこりとお辞儀しました。
「ありがとうございます。僕は……まだ足りないところばかりです。だから、みなさんの力を貸してください」
「もちろんです! 領主様!」
「ティルト様万歳!」
「シルバスティンに栄光あれ!」
再び万雷の拍手が巻き起こりました。
もう一度ぺこりと頭を下げてから、そっと向き直り、
「母上」
「………」
「シルバスティンを治めるには、何よりも母上の力が必要です」
小さな手を差し出します。
「これからも、僕のことを助けてくれますか?」
その手をじっと見つめてから、ニーナは目を閉じました。きつく閉じられた瞼に深いしわが刻まれます。
その次に彼女がしたこと──
それは肩を震わせて怒鳴ることでも、ため息をつくことでもなく。
皇室分家シルバスティン。
その名にふさわしい優雅な所作で膝を折り、深く首を垂れることでした。
「……もちろんです。ご当主様」
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