第73話 死に際の悪役令嬢は嘲るように笑って
「変わった?」
「……………変えたのは」
覆面の奥。
暗殺者のかすかな囁きが、細い針のように耳を刺します。
「………………………あなた?」
「何のこと? お兄様のことを言っているの?」
今は少しでも会話を引き延ばさなくては。
原作に出てきた暗殺者はすべてお兄様の手駒だった。とすれば、この者がお兄様に仕えている可能性は高い。
私が賭けたのはその一点です。
けれど、もしお兄様の暗殺者だったとして──
私を殺さないとは限りません。
「ひとつだけ。教える」
暗殺者の声は平板でした。特徴のない、機械のような声。
「不要なものを切り捨てる」
「……?」
「切り捨てなければ手に入らない」
暗く深い穴の中で、うつろに響く反響のように。
「何ひとつ──残らない」
「さっきから何を……っ」
背後で気配がして、私は暗殺者から視線を外しました。
「フ……ラウ……?」
ティルトが起き上がり、寝ぼけ眼でこちらを見ています。
……だめ。
頭に浮かんだのはその二文字。
「ッ!」
助走なしに飛び込んでくる暗殺者の黒い体と、ティルトの小さな体。
その間に自分を割り込ませ、呆然としたティルトを思い切り突き飛ばすまでほぼ無意識でした。
肩から脇にかけて、感じたことのない強烈な熱さが走ります。
「………‼」
息を詰まらせてベッドに倒れ込み、肩を押さえると、手にべったりと濡れる感触がありました。
「ほら」
暗殺者の声はやはり平板で。
「何も残らない」
「…………く……ぅ!」
痛い。
痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。
視界がひどく歪んで、自分の体がどうなっているかわかりません。自分がどちらを向いているのかすら。
「フラウ! フラウ!」
「………逃げ、て」
必死に呼ぶ声に、辛うじてそれだけ絞り出します。
激痛に悶える意識とは別に、どこか遠くのほうで呟く自分がいました。
──お兄様のためにまだ死ねないと言ったのに?
──暗殺者がわざわざ見捨てろと教えてくれたのに?
──あなたは何をしているの?
でも、それに抗って声を上げる自分もいました。
「不、要、なんかじゃ、ない」
ようやく取り戻した視界に、血に濡れた刃が映ります。
「この子は、私の、手駒よ……!」
負け惜しみだとわかっていても、口にせずにはいられませんでした。
私は──
この物語の悪役令嬢ですから。
今の私は、きっと笑っているのでしょうね。
暗殺者がとても不愉快そうな目で見下ろしていますもの。
静かに振り上げられる刃から、私は目を逸らしませんでした。
……お兄様。
申し訳ありません。
「─────だめですよ」
涼やかな声。
それは一陣の風とともに舞い降り、鋭い剣戟を放って暗殺者の刃を弾き飛ばしました。
ふわりと広がる純白のマント。
振り向いた顔には、水晶のような水色の瞳。
「無茶をされては困ります。我が王女」
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