第12話 噛ませ犬は引っ込んでいてください




 青天の霹靂。

 なんと、義姉のアシュリーからお茶に誘われました。

 お母様の連れ子としてこの家に来た私を忌み嫌い、虫けら以下の存在だとよく罵っていましたのに……。

 一体どういう風の吹きまわしでしょう?

 おまけに、



「フラウ。今日はとってもよいお天気ね!」



 開口一番がそれだなんて。それも満面の笑顔で。

 いけないわ、アシュリーったら。

 私のうなじに鳥肌が立ってしまったではありませんか。



「風が心地いいですね、お姉様」



 仕方なく、私も笑顔でご挨拶いたします。

 屋敷に面した広大なバラの庭園。

 その中ほどの地面に敷き詰められた円状のレンガ。そこには大きな日よけのついたテーブルと椅子が置かれ、茶会用のスペースになっています。

 すでにアシュリーが席につき、目の前のテーブルには高価なティーセットやお茶菓子がずらりと並んでいます。

 準備万端というわけですね。



「ああ、フラウ。来てくれてうれしいわ。座ってちょうだい」


「お誘いいただいて、私もうれしいです。だってこんなこと……」


「さあ飲んで」


「初めて……」


「さあ、飲んで」



 ニッコニコのアシュリー。

 座った瞬間に突きつけられる、なみなみと紅茶の入ったティーカップ。

 ああ、そうですか。

 私もニッコニコで受け取ります。

 カップから立ち上る湯気は、甘くかぐわしい中に、ピリッとした不思議な刺激臭がございますね。



「さあ、早く飲ん──」



 私は笑顔のまま、ティーカップの中身をアシュリーに向かってぶちまけました。

 ばしゃっ。

 アシュリーのドレスの胸のあたりに赤いシミが飛びます。



「きゃぁぁぁぁーーーーーーーっ⁉」


「あら、いけない。私ったら手が滑ってしまいました」


「いや、いやぁぁ! 早く拭いて‼ 早く‼」


「アシュリーお嬢様っ」



 アシュリーの甲高い叫び声とともに、駆けつけた彼女の侍女が必死にナプキンでシミをぬぐいます。

 火傷をさせるのはさすがにまずいと思いましたので、紅茶はほとんどテーブルに広がっただけ。彼女に飛び散ったのはせいぜい数滴なのですけれど。

 それなのに、何をそんなに焦っていらっしゃるのでしょうね?



「ごめんなさい、お姉様。たくさんお持ちのドレスをひとつ汚してしまって」


「……っ、なんてことするのよ!」


「人間誰しも、うっかりということはありますわ。それにお姉様こそ」


「何よ。私こそ?」


「──どうして妹の私に毒なんて盛るんですか?」



 …………。

 あの、お姉様。

 そんなにわかりやすく固まらないでくださいまし。



「そ………そそそんなことするわけないじゃない!」



 あ、再起動なさいましたね。



「変な言いがかりはよしてちょうだい! 私を侮辱するつもり⁉」


「あらそうですか」



 私はポケットから取り出したハンカチでテーブルの紅茶をぬぐいます。素手が触れないように気をつけながら。ぬぐった部分を内側にしてきれいに折りたたみ、傍らのミアに渡しました。



「ミア、これを侍医のところへ。薬物が混ざっていないか確認してもらって」


「かしこまりました。フラウお嬢様」


「あ……待て! 待ちなさい!」



 大声で制止するアシュリーですが、ミアはすばやくその場を離れていきます。



「な、何よあいつ! すぐに解雇してやるんだから! 私は公爵令嬢なのよ? その命令を無視するなんて……!」


「アシュリーお姉様。あなたにそんな資格はありません。彼女は私の使用人です」



 私はそう言いながらすっと席を立ち、アシュリーを見据えます。



「それに少々……やりすぎましたね。皇太子の誕生パーティーに出席できなかったからといって、ここまですることはなかったのでは?」


「……………わからないわよ。あんたには」



 奥歯を軋らせながら、低い声でアシュリーが唸ります。



「あんたなんかにはわからない。薄汚れた、醜い血筋のあんたには。私は皇太子妃になるために生まれてきたのよ。そう、《真紅》フレイムローズ家の正統な娘として!」


「私の血の半分は《白銀》ですよ──?」


「絶対に間違ってる! 私が、私こそが! あの方の……‼」


「『あの方の隣にいるべきは私。ああ、黄金の君よ。あなたのまばゆい瞳にどうか私を映して。そして私の紅の瞳を覗き込んで』」



 ため息交じりに呟いた私の言葉。

 それを聞いた瞬間、今度こそ決定的にアシュリーの動きが止まりました。

 ふむ。意外と覚えているものです。

 ノイン様の登場シーンとその前後を暗記するため、何度となく読み返していたおかげでしょう。



「『黄金の君を初めてお見かけしたのは九歳。建国記念パレードで遠くに見つめたときから、私はずっとあの方に恋焦がれている。あのとき、わかったの。私が、私こそがあの方の月となり、《黄金》と結ばれ、帝国の母になるのだと』」


「………や、めて……」


「『だから、黄金の君よ。早く私を見つけて。私を抱きしめて。早く私のことを──』」


「やめてぇぇッ‼」



 私は暗唱を中断しました。

 気がつけば、義姉の顔が熟れたトマトのようになっています。



「どうして……それを……」


「ああ、これですか。お姉様がこっそり殿下への想いをしたためた……えーと」



 こほん、と咳払いして。



「ポエムですよね?」


「あああぁぁぁぁっ!」


「お嬢様⁉」



 アシュリーが頭を抱えて崩れ落ちます。隣にいる侍女があたふたしておりますが。

 ……どんな人間にも、黒歴史のひとつやふたつあるものです。

 そんな彼女のポエムは鍵つきの箱に厳重にしまい込まれているのですが、残念ながら原作のほうで全文晒されておりました。



「よろしかったら私、この詩を殿下に朗読してさしあげますよ?」


「お、お願い……それだけはやめて……本当に……お願いしますっ……!」



 もはや涙目で土下座しはじめるアシュリー。

 罵ったり謝ったり、まったく忙しい人ですね。



「お姉様がそうおっしゃるなら、殿下には内緒にしておいてさしあげてもよろしいですけれど」


「ああ、フラウありがとう──!」


「その代わりもう二度と、私の邪魔はしないでくださいね?」


「…………………はい」


「私の気に障るようなことも、今後しないでおいたほうが身のためですよ?」


「…………………はい」


「お返事が小さくありません?」


「はいっ‼」


「これからはその調子でお願いしますね。それでは私、忙しいので失礼いたします。ごきげんよう、お姉様」



 うずくまったアシュリーに軽く手を振って、屋敷のほうへ歩き出します。

 ……まったく。この上なく無駄な時間を過ごしてしまいました。

 まあ、これで手駒がひとつ増えたと思えばよいでしょう。あまり使い物になるとは思えませんが。捨て駒くらいにはなるかもしれません。

 噛ませ犬は所詮、噛ませ犬ですからね。



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