第11話 ショタの使い道を考えましょう




「おはようございます。フラウ姉様」



 戸口に立ったリオンは、私に向かってぎこちなく一礼しました。

 この物語の主要キャラクターがみなそうであるように、彼もまた美しい少年です。

 くるくるとした銀色の巻き毛。

 子ウサギを思わせるつぶらな赤い瞳。

 永遠に大人にならないのではないかと思わせる、妖精めいた雰囲気。

 ──いわゆるショタキャラ。ですね。



「おはようございます、リオン。私に何か用事でも?」


「はい……えっと」



 そこまで言って、リオンは困ったように視線をさまよわせます。



「できれば、二人だけでお話したいのですが」



 メイドたちの間に再び戸惑いが広がるのを感じましたが、私は黙ってうなずきました。ミアに目くばせし、使用人たちを部屋から下がらせます。

 二人きりになると、リオンは私のそばに恐る恐る近づいてきました。



「姉様。あの、お聞きしてもいいですか」


「ええ。何かしら」



 ひとり私の前に立ち尽くして。



「どうして……あの懐中時計を手放してしまったんですか?」



 震える声でリオンは言いました。

 ──懐中時計。

 私はまだ湿っている自分の銀髪に指を絡ませ、しばし沈黙します。

 先日の家族晩餐会で私がお兄様にプレゼントした銀の懐中時計。あれは亡きお母様の形見でした。



「手放したわけではないわ。ただ、今はお兄様にお持ちいただいているだけよ」



 ソファの背にもたれ、淡々と呟きます。



「それがどうかしたの?」


「そんな……だって、母様は」


「リオン」



 彼の言葉をさえぎり、私は自分の座っているソファを示しました。



「そんなところに立っていないで、こっちへいらっしゃい」



 リオンは少しためらったあと、ソファの端にちょこんと腰を下ろします。



「……なんだか、いい匂いがしますね」


「ええ。ついさっき湯あみをしたところだから」


「………」



 口をつぐんだリオンの白い頬がほんのりピンク色に変わります。

 が、その沈黙を振り払うように彼は口を開きました。



「僕、心配なんです。最近のフラウ姉様が」


「心配? なぜ?」


「急に兄上に懐中時計を渡してしまったり、あんなに嫌いだったパーティーにも出かけたり。なんというか、その……姉様らしくありません」


「あなた、私にずっと引きこもっていてほしいの?」


「ち、違います! そんなんじゃ……!」



 慌ててぷるぷる首を振るリオン。



「それにっ……母様はきっと、姉様にあの懐中時計を持っていてほしかったはずです」


「……それはどうかしら」



 お母様が死んだのはおよそ一年前。

 夫である前公爵とともに別荘に向かう途中、馬車が崖下に落ちて死にました。

 生前のお母様は大変美しく子煩悩な人でしたが、どこか陰のある女性でした。前公爵との夫婦仲はあまりよくなかったようです。私と二人でいるとき、かつての夫──私の父──との思い出を口にして、ため息をつくこともしばしばでした。

 思うに、彼女はこのフレイムローズ家があまり好きではなかったようです。

 ですから、あの懐中時計を私に継いでほしいと思っていたかどうか、それはよくわかりません。



「姉様」



 リオンの声で物思いから覚めます。



「姉様は、この家を出ていきたいのですか……?」



 ──かつての母様のように。

 口に出せない言葉の余韻を感じながらリオンを見ると、彼は瞳を潤ませてこちらを見つめていました。乱れた銀の巻き毛が睫毛に落ちかかり、その赤い瞳が寂しげに震えています。

 かわいそうな子。

 改めて、私は彼の抱えている寂しさを思います。

 お母様を失ったとき、リオンは十一歳でした。



「私は公爵家の女ですから、いずれは他家へ嫁ぐでしょう」


「それはわかっています。でも……」


「………」


「僕にとって姉様は──誰より大切な──」



 と。

 リオンがびっくりしたように目を見開きます。

 自分でも驚いたことですが、私は微笑んでいました。

 手を伸ばして弟の髪に指を入れ、そのまま引き寄せて──

 ぽふんっ。

 あっけにとられたリオンの頭を自分の膝の上に載せます。



「ね……ね……姉様⁉」



 急に膝枕され、真っ赤な顔で混乱するリオン。

 そんな弟の巻き毛を撫でながら、



「こうしていると、小さかったころを思い出しますね」


「あ、あのですねっ、僕はいま大事な話を……!」


「大丈夫よ、リオン」



 顔を近づけて囁きます。



「私はあなたを置いていったりしません」



 リオンが息を呑んで私を見ます。



「…………………本当に?」


「ええ」


「でも、いつかは他の家に行ってしまうでしょう?」


「それはもっと先の話よ。それに、あなたは私の大切な弟。私にとって血のつながった家族はあなただけなのよ。あなた以上に深く結びついている人なんていないし、これからも現れないわ」


「……姉様……」


「私たちのつながりは変わらない。ずっと。永遠に」


「………永遠、に」



 夢見るような表情でリオンが呟きます。

 そんな弟の額をそっと撫で、ピンク色に染まった小さな耳たぶに口づけて、私は甘くやさしい言葉を囁き続けます。


 リオンがお兄様を死に追いやるのは今から約八か月後。

 エリシャ=カトリアーヌに恋した彼は、彼女を守るために《悪役公爵》であるお兄様の陰謀を皇太子ユリアスに密告します。結果、お兄様は国家反逆罪で捕らえられて処刑される。

 それが物語の未来。

 私は、その運命を変えるためにここにいます。


 最初はリオンを殺そうと思っていました。

 今もその選択肢を消したわけではありません。

 けれど──

 ただ、殺すだけなんて。

 そんな程度で《最凶の悪女》とは呼べないでしょう?


 彼には私の手駒になってもらいます。

 お兄様のため。私のため。

 利用できるだけ利用して、いらなくなったら──






 そのとき、殺せばいい。



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