第一章

「お前はすごいよな、ユリア・クロジッド」

 どうりようのジョージの言葉に、ユリアは眉根を寄せた。

「任務中に私語は厳禁でしょう。持ち場にもどってください」

だれも来やしないさ。俺は近衛隊に入隊して十年以上経つが、ずっとこの蔵書室の警備をしているんだぜ。その間、しんにゆう者なんて一人もいなかった」

 蔵書室があるのは、ヨルン国の城内でも一番すみにある建物だ。

 ここは資料などを置いてある倉庫で、夜はまったくひとがない。

 自分は蔵書室の入り口の警備、ジョージは蔵書室がある建物の入り口を警備している。

 だから本来なら、ジョージは外で見張りをしているはずだった。

 一晩中の見張りは確かに退たいくつではあるが、持ち場をはなれてひまつぶしにおしやべりしにくるのは頂けない。

 なるべく相手をしないようにしているが、ジョージは気にした風もなく話し続けた。

「騎士団でもエリート集団の近衛隊に入れた時は一族総出でお祝いしたのに、十年経っても見張りしかやらせてもらえないんだぜ。それに比べて、お前は明日あしたからローラ姫の警護をするんだろ。入隊から一年も経たないのに、王族の警護を任せられるなんてすごいな」

 ジョージの言葉は賛辞のように聞こえるが、目は笑っていなかった。

「無視するなよ、ユリア。お前は軍学校ではけんじゆつも体術も勉学も首席で、隊長がぜひ近衛隊にってばつてきしたそうじゃないか。騎士団の女性隊員の中でも一番の出世がしらで、あと数年で小隊長を任せられるってうわさだ。いいよな~」

 ジョージがさぐるような目をこちらに向けた。

で勉強もできて剣術も得意で、上官の覚えもめでたい。本当にかんぺきだよな。気になるんだけど、そんな完璧なお前にも弱点とかあるのか?」

 どきっとしたが、顔には出さなかった。だまっていると、ジョージが右手を上げた。

「おい、聞いているのか?」

 かたに手を置くつもりだとさとって、それとなく一歩横にずれてその手をける。

「仕事に戻ってください。隊長に報告しますよ」

 冷たい視線を送ると、ジョージはむっとした顔つきになって背を向けた。

「わかったよ。本当にお前って真面目でゆうずうかないな。ああ、つまんねー」

 ぶつぶつ言いながら、ジョージがろうの角を曲がって持ち場に戻っていった。

 ようやく姿が見えなくなって息をつく。

 くなった父の遺志をため、軍人になった。

 努力と運の良さもあって、騎士団でもりすぐりの軍人を集めた近衛隊に入れた。

 夢をかなえる為に、最短の道を進めている。しかし、人生うまく行く事ばかりではない。

「危なかった。がばれたら、軍人生命が終わる。気をつけないと」

 気を引きめ直して、背筋をばした。見張りを続けていると、ふいにガタッと何かの音がする。そちらに顔を向け、視線をするどくした。

「誰かいるのか!」

 人の気配はなかったが、頭の中で警告音が鳴る。

 こしの剣に手をかけて、音がした廊下の曲がり角へとけ寄った。

「誰だっ」

 曲がり角の向こうに人がいた。黒いマントにフードをかぶっていて顔はわからない。

 たけからすると男性だろう。剣を抜こうとすると、男にさっとその手をにぎられた。

 そのまま背後に回られて、口をふさがれる。

「あやしい者じゃない。用があって来ただけだからさわがないで」

 落ち着いた低い声だった。何かその後も話していたが、耳には入ってこなかった。

 声からも体格からも彼が〝男〟だというのは明らかだったからだ。

「うわぁぁぁぁ!」

 体中に虫がったような感覚があって、総毛立った。ぶつぶつとじんましんが出る。えられなくて、こんしんの力で男の手をはらった。

「男がわたしに触るな!」

 全身の力を込めて、男の顔をなぐりつけた。

 渾身のいちげきは見事にヒットして、男が二、三歩後ずさる。

 殴られた勢いで、フードが取れて、男の顔が見えた。その顔には、見覚えがある。

「まさか、レオン王……?」

 思わずつぶやく。侵入者はヨルン国のとなりにあるファーストデンテ国の国王そっくりだ。

 一度しか見た事がないが、〝大陸の太陽〟だと噂されるレオンはうるわしくはなやかな容姿だった。背が高く細身で、茶色の長い髪を一つにまとめ、自信にあふれたはいかつしよくの瞳。

 まだ十九歳だが、国王としてファーストデンテ国を治めるしゆわんは、他国の王族達からも賞賛されている。

 数ヶ月前に行われた、他国の貴族や王族を招いたパーティーで、ローラとレオンがおどったのを見た事があった。

 男はそのレオンとうり二つだが、ファーストデンテ国の国王がヨルン国をおとずれているなんて聞いていない。本物かどうか疑っていると男が殴られた顔を撫でながら微笑んだ。

「私を後ずさらせるなんて、なかなかいい拳だね。ヨルン国の兵士はよく鍛えられているようだ。……おや、その顔の発疹は何だい? じんましんかな?」

 レオンそっくりの男が、こちらをまじまじと見つめた。

 はっとして、あわててうでで自分の顔をかくす。軍学校でもこの隊に入ってからもずっと隠し通してきたのに、こんなところでばれるとは思わなかった。

「関係ないでしょう。……何者だ!」

 ファーストデンテ国の国王のはずはないと思ってそうさけんだ。

 左腕で顔をおおいつつ右手で剣のつかを握ると、男はふっと笑う。

「レオン王と呼んだだろう。知っているのになぜ聞くのかな。それよりそのじんましんはどうしたんだい? 以前、妹がはちされて、生死の境をさまよった。それ以来、蜂を見ただけでこわがってじんましんが出るようになった。それによく似ているけど」

 男は腕を組んで、観察するようにこちらをじっくり見つめた。

「ち、ちがう……!」

「いいや。きようのあまり出る精神的なほつだと医者は言っていた。妹の恐怖の対象は蜂だったけど、君の恐怖の対象は……」

「黙れ! レオン王が我が国を訪れたとは聞いていない。本物のはずがない!」

 混乱していたのか強気な言葉が出た。しかし男はうろたえるそぶりさえ見せない。

 男が片目をつぶって、人差し指を口元にあてる。

「内密の訪問なんだ。ヨルン国の国王とみつに話し合いがあってね。だから私を見た事はないしよにして。実はその話し合いに必要な資料が蔵書室にあると聞いて、えつらんしたいので通してくれないかな」

 にこやかな表情と声だった。あやしいそぶりも、慌てている様子もない堂々とした態度だ。しかし頭の中で油断するなと警告音が鳴る。

 軽い印象の口調と態度だが、見かけにだまされるなと。

 体や指先の動きまで、彼にはすきがない。こんな人物を知っている。剣の達人と呼ばれる者達だ。いつでもこうげきに移れるように相手の数歩先を読む彼らは、まったく隙がない。

(このふんから察するに、戦ったらわたしが負ける……)

 剣には自信があるが、直感がそうささやいた。

 目の前の男からは、がおの下に隠した殺気が伝わってくる。

 ファーストデンテ国の国王は、国で一番の剣の使い手だと名高い。

 もし彼が本物だとしたら、これだけのあつとう的なオーラを放つ理由もなつとくできる。

 内密の会見なら、国王の訪問を近衛隊の隊長しか知らされていないのもうなずけた。

「急いでいるから、失礼して通してもらうよ」

 片足をみ出したレオンの前に、立ちはだかった。

「……お通しできません」

「なぜ? 私は本物のファーストデンテ国の国王、レオンだ。あやしい者ではないよ」

「あなたが本物のレオン王だとしても、許可のない者を通すわけにはいきません」

 レオンがかたまゆを上げた。

「融通が利かないタイプなんだね。それだと生きづらくない?」

 余計なお世話だと心の中で叫んだ。レオンがしようする。

「じゃあ、通してくれれば、殴った事は報告しないであげるって言ったらどうかな?」

 言葉はほうのように、心をざわつかせた。それをかしたのかレオンが話を続ける。

「一兵士がりんごくの国王を殴ったと知られたらまずいよね。ほおが赤いのはなぜか聞かれたら、ヨルン国の兵士に殴られたと言ってしまうかも。そうしたら君はどうなるかな?」

 ただではすまないだろう。軍人生命にもかかわる。いや、悪くすればとうごくされるか、しよけいされてしまうかもしれない。レオンの悪魔の囁きが甘く耳に届く。

「もちろん、内密に通してくれれば、殴った事も君が内緒で通してくれた事もだれにも言わない。二人だけの秘密だ」

 りよく的な言葉だった。保身の為には、黙って通すべきだ。

 軍人として身を立てたいなら、彼の囁きに頷けばいい。

 一度うつむいてから顔を上げる。

「……蔵書室には許可のない者は入れません。たとえレオン王でもです」

 ぜんと言い放つ。これからどうなるか考えるとじ気づきそうだったが、規則は規則だ。

 ヨルン国に忠誠をちかった身としては、保身の為に規則を曲げる事はできない。

 レオンはふいに真顔になって目を見開いた。しばらくして、ふっと笑う。

「……なるほど。そうか。ならいい」

 身構えていたが、あっさり身をひるがえしたレオンにひようけした。

 彼はそのまま廊下を歩いて、曲がり角を曲がる。

 彼の姿が見えなくなってから、ようやく息をついた。

 じんましんが引くのにしばらくかかる。

 かゆみをこらえつつ、警備がほかに誰もいない事にほっとした。

「何だったんだ、いったい……。それにずっとしようじようが出ないように気をつけていたのに」

 レオンが言っていた事は当たっている。こんな症状が出るのは、過去のしようげき的な経験のせいだ。その経験のせいで、自分には怖いものが一つだけある。

 絶対に他人にそれを知られてはならないので、ずっと隠してきた。

 ようやくじんましんが引いて、気持ちが落ち着いた。

「他国の国王を殴ったのだから、処分されるのだろうか。でも……夜中にこっそり蔵書室にしのび込もうとしたなんて、レオン王も自分の立場を考えて言わないはず。これでよかったんだ。きっとだいじよう。処分なんてされない」

 間違った事はしていないと自分に言い聞かせて、任務のために夜のやみに目を光らせた。


    ● ● ●


「いつになったら、きんしん処分が解けるの? ユリア」

 自宅で食事をしていたユリアは、母の言葉に思わず息をついた。

「さあ。わたしにもわかりません」

「わかりませんって、もう二ヶ月も仕事していないのよ。お父様がくなって、一人むすめのあなたが家をいだの。あなたが働かないと、生活をできないわ。まったく、レオン王を殴るなんて、どうしてそんな鹿真似まねをしたの」

 なげく母の言葉で、レオンの顔が頭にかんだ。彼の事は思い出すだけでも腹立たしい。

「……レオン王が夜中にこっそり蔵書室に忍び込もうとしたからです」

「でもレオン王は、陛下との密談の前に風に当たりたくて散歩していただけと言われたんでしょう。それで蔵書室がある建物に迷い込んでしまったと。それなのに、あなたが勝手にしんにゆう者とかんちがいして、顔も確かめずに殴りかかったって」

 どこをどうねじ曲げたらそういう話になったのか、さっぱりわからない。

 あのそうどうの次の日、隊長に呼び出されて聞かれたのだ。レオン王をなぐったのかと。

 本当の事なので認めた。レオン王は無断で蔵書室に入ろうとしたとうつたえたが、信じてもらえなかった。結果、しよばつを受けたのは自分だった。

「蔵書室に忍び込もうとなさったとしても、相手は国王なんだから逆らわずに入れて差し上げればよかったじゃない。何で殴ったりしたの? まさか、あの病気がまだ……」

「違います。しん者だと思って攻撃しただけです」

 母には心配をかけたくなかった。だから本当の事は言えない。

「それにいくら他国の国王でも、許可がないのに蔵書室に通すなんてできません。それはわたしの職務規定に反します」

「そのゆうずうかないところ、お父様そっくり!」

「尊敬しているので、父さんにそっくりでけっこうです」

 言い返すと母はおこって部屋から出て行った。あの夜の事は、いまでもこうかいはしていない。

 真実をねじ曲げて告げ口したレオンの事を考えると、いかりのあまり頭がふつとうしそうだ。

(隊長には殴ったのにはそれなりの理由があるだろうと聞かれた。理由によっては処分しない方向に持ち込めるかもと。でも言えなかった……。男性きようしようで、男にさわられるとじんましんが出て、相手を攻撃してしまうなんて)

 自分がゆいいつこわいもの。それは〝男性〟だ。

 レオンのてき通り、あのじんましんは精神的なものだった。

 子どものころ、軍人だった父といつしよにいた時に命をねらわれた。

 男達に囲まれて殺されかけたのだ。それ以来、心構えなく男性に触られるとじんましんが出て、つい相手を攻撃してしまう。

 軍人は心身ともに健康なのが第一条件だ。これが知られたら、退たいえきさせられるだろう。だから軍学校でもこの隊に入ってからも、ずっとかくし通してきた。

(殴った理由を言えば、情状しやくりようされるかもしれない。でも軍人として不適格だと退役になる可能性が高い。だけどこのままもまずい。謹慎処分が長引けば、強制退役になる)

「レオン王。許可なく蔵書室に侵入しようとしたくせに、告げ口とはきような……!」

 思わずうらみがましい言葉が出た。考え込んでいると、トントントンッとノックの音がする。返事する間もなく母が顔を見せた。

「ユリア! 城からおむかえよ。もしかして……」

 母は真っ青になっていた。自分もそうだ。

(とうとう、団から退役を言いわたされるのか……!)

 もしそうなら、今日で軍人生命は終わりだ。ショックのあまりぼうぜんとしていたが、迎えが待っていると母に言われて、すぐに自室にもどる。

 いつでも任務に戻れるよう、軍服は準備してあった。

 こんいろの軍服を着られるのは、今日で最後かもしれない。国王を殴ったのだから処刑されないだけましだとどうりようには言われた。しかし軍人としてやり残した事はたくさんある。

 このまま退役になったら、くやしくてたまらない。

 いろんな思いが心にうずいているが、軍服にそでを通して、深呼吸した。

 何を言われても、最後まで軍人らしくあろう。ユリアはそう心に決めた。


    ● ● ●


 近衛隊のとんしよに連れて行かれると思っていたが、予想が外れた。

 ユリアが連れて行かれたのは、きらびやかなそうしよくほどこされた、城の応接間だ。目を丸くしているとドアが開いて誰かが入ってくる。そちらを見て、思わず目を見開いた。

「お待たせしてごめんなさい、ユリア」

 微笑ほほえんだのは、ヨルン国の第二王女ローラだ。

 確か同じ年だったはずだが、自分とは中身も外見もまったくちがう。大陸のかがやく宝石のごとき姫君だと評判のローラはがらきやしやだった。豊かな金色の巻き毛はこしまであり、んだすみれ色のひとみは、じっと見つめられると吸い込まれそうになるほど美しい。

 とうのような真っ白なはだと赤いくちびる。天使の微笑みは周りにいるどんな人達もりようした。

「話をするのは初めてね」

「はい。ローラひめ

 ひざまずこうとすると、ローラが手で制した。

「かしこまらないで。椅子いすこしけてちょうだい。お茶を用意させるわ」

 思わず目をまたたかせた。ローラを見かけた事はあるが、話した事はない。

 順調にいけば彼女の護衛になるはずだったが、蔵書室の一件でその未来は絶たれた。

 ローラにうながされて椅子に座る。彼女が目の前に座った。

 じよがお茶を用意して、心得たように外に出る。ローラと二人きりになってきんちようした。

(てっきり隊長に強制退役を命じられると思ってたけど、何でローラ姫が……?)

とつぜん呼び出して申し訳ないわ」

 微笑むローラは同い年とは思えないほど愛らしい。守ってあげたくなるふんかもし出している。彼女は心やさしくてたみ思いだと評判で、王族で最も民からの人気が高かった。

「いいえ。……何かご用ですか?」

 まどっていると、ローラがふいに顔を俯けた。そしてかたふるわせる。

「うっ……ううっ」

(な、泣いている……? どうして?)

「ローラ姫、どうなさいました?」

「ごめんなさい。急に泣き出してしまって。実は、けつこんする事になったの……」

 おめでたい話だと思ったが、ローラは悲しそうに泣き続けている。

 どうしていいかわからず、無礼だと思いつつ彼女のとなりに座り、背中を優しくさすった。

 しばらくそうしていると、ローラがハンカチでなみだぬぐう。

「ごめんなさい。おどろいたわよね。突然泣いたりして。あなたには事情をちゃんと知ってもらいたいから、もう少し落ち着くまで待ってね」

 ローラはしばらくしゃくり上げていたが、やがて泣きはらした目をこちらに向けた。

「ホラクス国が、ヨルン国をしんりやくしようとあんやくしているのは知っているかしら?」

 その話はよく知っていた。思わず目をせる。

「はい。軍事国家ホラクス国は、他国を侵略する事で国を大きくしてきました。数年前から、彼らが次に狙っているのはヨルン国だといううわさが広がり始めました」

「噂ではないの。彼らはヨルン国で採れる宝石の利益を狙って、この国を侵略しようとしているわ。確かな情報では、一年以内に侵略が始まる可能性が高いの」

 ショックのあまり、息をんだ。噂がいつか現実になると予想はしていたが、侵略のの手がすぐそこまでせまっているとは思っていなかった。

 ローラが落ち着こうとしたのか、息をつく。

「ヨルン国には質のいい宝石が採れる鉱山がいくつもあるでしょう。その宝石の利益で国も民もうるおっているわ。だけど人口も少ないし領土もせまい。ホラクス国のような大国にめ入られたらひとたまりもないわ。それで……お父様はファーストデンテ国に後ろだてになってもらおうと考えたの」

 大陸に八つある国のうち、軍事国家ホラクス国と経済大国ファーストデンテ国は並び立つほどの大国だ。確かにファーストデンテ国に後ろ盾になってもらえれば、ホラクス国はそうやすやすとヨルン国を侵略できなくなるだろう。

 頭の中で、いままでの話と二ヶ月前の出来事が、一つにつながったような気がした。

「さきほどご結婚なさるとおつしやってましたが、もしかしてお相手は……」

 ローラが小さくうなずいた。

「ファーストデンテ国のレオン王よ。結婚する事で彼らはヨルン国の宝石の流通を一手に引き受け、ばくだいな利益を得る。ヨルン国はファーストデンテ国に後ろ盾になってもらい、戦いを防げる。お父様とレオン王とで二ヶ月前に密談が行われて決定したの……」

 なるほど、と心の中でなつとくがいった。蔵書室での事件の時、レオンは結婚について話し合うためにヨルン国に来ていたのだろう。

「ローラ姫はレオン王がお好きなのですか?」

 レオンの印象は自分にとっては最悪だが、ローラが彼を好きならば、良いえんだんだと思った。しかしローラは首を横にる。

「レオン王とは、一度パーティーでごあいさつして、ダンスしただけ。それで好きになれと言われても無理があるわ。それにレオン王はとても女性に人気があるみたい。いろんな女性とうきを流しているって聞いたわ。そういう方と結婚するのは……」

「気が進みませんか?」

 ローラがだまり込んだ。本音が聞きたくてしばらく待つと、意を決したように口を開く。

「女性関係が派手なのは仕方ないと思うの。あれだけうるわしくて、国王という高い地位もある。お父様だって、お母様以外の女性と交際されている時もあるのよ。王族とはそういうものだと思っているわ。だけど三年前の事を聞いてから、レオン王がこわくて……」

「三年前の……ファーストデンテ国の内乱の事ですね」

 ローラが目に涙をためて頷いた。

「前王がおくなりになった三年前、レオン王がそくすると決まっていたのに、であるラインハルトこうしやくが、王位を狙って反乱を起こしたと聞いたわ。即位したばかりのレオン王は十六歳だったけど、叔父の反乱をたった三日で終息させた。そしてらえた叔父を目の前でしよけいさせたんでしょう」

 叔父に加担した貴族や軍人も、厳しいしよばつを受けたという。内乱を三日で制圧したレオンには、ファーストデンテ国だけではなく他国からも賞賛とが集まった。

「……いろいろ噂されていますが、レオン王は国王として本当にゆうしゆうな方です。レオン王が即位されてから、ファーストデンテ国は経済大国としてさらなる発展をげています」

 少しでもローラの不安をやわらげたくて、レオンの国王としての良い面を口にした。

「でも血の繋がった叔父を目の前で処刑するような方よ。そんな方にとつぐなんて怖くて。でも結婚は決定していて、一ヶ月後には結婚式の為に出発しないといけないわ」

「そんな……。それでは政略結婚ではないですか」

 あんなしようわるな男と結婚だなんてと、他人の事ながらいかりがわいた。

 ローラが泣きそうな顔で微笑む。

「国を守る為だもの。私が嫁ぐ事でみんなを守れるなら、行くつもり。だけど、あの方が怖い。何か失敗したら、私も処刑されそうで……」

 うるうるしたすみれ色の瞳で見つめられると、胸がぎゅっとめ付けられた。

「ローラ姫。わたしでお力になれる事があれば……」

 思わず声を上げると、ローラは両手を胸の前で組んだ。

「本当に? 実はあなたにお願いがあって呼んだの。突然だけど、私といつしよにファーストデンテ国に行ってもらえないかしら」

 その提案は予想外で、理解するのにしばらくかかった。

「わたしが……ですか。わたしはきんしん中で」

「知っているわ。でもぜひあなたにお願いしたくて。レオン王はものごしやわらかいけど、とてもしんの強い人のようよ。三年前の反乱の事もあって、ファーストデンテ国ではだれも逆らえないんですって。そんな方のもとに嫁ぐなんて、怖くて……」

 すみれ色の瞳にじわりと涙がにじんだ。それでもローラは泣くのをこらえて話を続けた。

「でもあなたは、レオン王に堂々と意見したと聞いたわ。彼をなぐったって。とても強いのね。あなたみたいに強い人に一緒に来てもらえたら、私のような怖がりでもがんれると思うの。この隊の隊長には、あなたを復帰させてとお願いするわ」

 ローラがこんがんするように、さっとユリアの両手をにぎった。

「結婚式まででいいの。結婚式が終われば私はおうになる。あとの護衛はファーストデンテ国がするわ。結婚式が終わればかくも決まると思う。だからそれまで支えてほしいの」

 ローラが両手を額に押し当てる。手も額もすべすべで柔らかい。

「ローラ姫のお力になりたいのは山々ですが、わたしがレオン王を殴ったのは事実です。わたしが一緒に行けば、レオン王の怒りをかうのではないでしょうか?」

 一番心配な事を口にすると、ローラは顔を上げた。

「レオン王には、あなたを同行させたいと手紙でお願いして、許可をもらったわ」

「えっ!? 本当ですか?」

 意外すぎて目を見張った。

(何で許可されたんだ? 一兵士が国王を殴ったんだから、処刑されたっておかしくないのに。まさか、わたしを呼び寄せてばつするつもりで許可したんじゃ……)

 ヨルン国にいては手が出せないからではないかと青ざめると、ローラが微笑ほほえむ。

「心配ないわ。レオン王は殴った事は罪には問わない、あなたともう一度話をしたいから連れてきていいとお返事をくださったの」

 じゆんすいなローラはそれを信じているようだが、告げ口するような性格のレオンが、本当にそう思っているかは疑問だった。

(罪には問わないけど、近くに来させていやがらせをしてやろうってつもりじゃないのか)

 レオンにされた事を思うと、そんな考えが頭にかぶ。ローラが握った手に力を込めた。

「だからお願い。一緒に来て。国の為にどうしてもけつこんを成立させなくては。失敗はできないの。国を守る為にはあなたの力が必要よ」

 ファーストデンテ国に行ったら、レオンに何をされるかわからない。

 しかし目の前の弱々しいローラを放ってはおけなかった。何よりヨルン国の平和を守る手助けができるのなら、たとえレオンにどんな嫌がらせをされてもまんができる。

「わたしでよろしいのですか?」

 まどいがちに聞くと、ローラは頷いた。

「あなたじゃないとなの。あなたみたいな強い女性にあこがれているわ。私は昔から体も心も弱くて泣き虫で、そんな自分が嫌になるの。あなたと一緒にいて、あなたを見習ったら、きっと私も強くなれると思う」

 必死の願いが心を打った。国の平和の為に、きようを堪えて政略結婚を受け入れたローラ。

 そんな彼女の力に少しでもなりたい。

「わかりました。わたしでお力になれるのなら」

 覚悟を決めて頷くと、ローラのほおがバラ色に染まった。

うれしい……。ありがとう。あなたと一緒なら乗りえられると思うわ。……あなたの事を少し近衛隊の隊長から教えてもらったんだけど、知ってた? 私達同じ年の同じ月、同じ日に生まれたのよ。何だか運命を感じない?」

 そうだったのかと目を見開く。同い年だとは知っていたが、生まれた日まで同じとは知らなかった。ローラがずかしそうに目をせる。

「私はうらないが得意なの。政略結婚の事でなやんで、どうしたらいいか占ったら、同じ日に生まれた友に助けを求めるようにとの結果が出たわ。もちろん占いをすべて信じているわけではないけど、レオン王に意見したあなたに憧れて隊長から話を聞いたら、私達は同じ日に生まれていたとわかったの。きっと占いが示したのは、あなたの事だと思ったわ」

 ローラの占い好きは有名だ。あまりに当たるので、彼女はじよの血を引いているなんて鹿げたうわさもあるくらいだ。

 正直、占いには興味はないが、ローラの夢を見ているようなきらきらとしたひとみで見つめられると、微笑ましい気持ちになった。

「確かに運命かもしれないですね。結婚式までの間、護衛はお任せください。せんえつながら、何かお困りの事があればいくらでもわたしがうかがいます。少しでもローラひめの不安が解消されるよう努めますので」

 椅子いすから立ち上がり、改めてひざをつく。そして頭を下げた。

「ありがとう、ユリア。とても心強いわ」

 なみだぐんだローラを見て、心から彼女の助けになりたいと、ユリアは思った。


    ● ● ●


 ユリアは、馬車の窓から辺りをうかがっていた。

 輿こしれのためにヨルン国を出発したのは昨日だ。窓の外では護衛とじよ達、あわせて百人ほどが馬や馬車に乗って山道を移動していた。

「ローラ姫。そろそろ国境です。国境を越えたら、ファーストデンテ国の城まで、半日ほどでとうちやくします」

 向かいに座るローラに向き直る。赤いビロードの座席に座るローラは、不安げだ。

「いよいよね。ドキドキするわ。レオン王とは一度ごあいさつをしただけ。ファーストデンテ国に行って、親しくなれればいいのだけど」

 レオンの顔を思い出して、はらわたがえくり返りそうになった。あの男のせいで謹慎処分になったのだと思うと、うらめしい。しかしそれを顔には出さなかった。

「レオン王は三年前、十六歳で国王にそくしてから、ファーストデンテ国を経済大国としてさらに発展させたそうです。いまではファーストデンテ国は経済的にも軍事的にも大陸一だと言われています。たみも豊かで貧富の差が広がらないよう税の調整もされているとか」

 きらいな相手だが、国王としてはゆうしゆうだと認めざるを得ない。

(いくら事実とはいえ、レオン王をめるなんて口がくさりそうだ。だけどいまはローラ姫の不安をやわらげる事が第一だ。あんな男と結婚して幸せになれるか心配だけど……)

 心の底では、結婚を喜べない自分がいた。ちょっとれただけでもたおれてしまいそうな弱々しいローラが、他国で王妃として暮らせるのだろうか。

「……立派なお相手ですが、よく知りもしない方と結婚なんて不安ですよね」

 目を落とすと、ローラはうなずいた。

こわくて仕方ないわ。だけど、私はヨルン国の王女。国の平和の為にこの結婚が必要な事はわかっているの。だから、あの方のもとに嫁ぐと決めたの」

 ふるえる声だが、りんとしたひびきがふくまれていた。

 じようおうとするローラを見て、涙が出そうになる。

「ローラ姫のお気持ちに、民を代表して心からの感謝をささげます。わたしにできる事でしたら、何でもいたしますので」

 胸に手を当てると、ローラが泣き笑いの表情になった。

「ありがとう。……ああ、話をしているうちに国境についたわね」

 ローラが涙をぬぐって、窓から外を見る。国境の検問所で、侍従達が検査を受けていた。

「ここを過ぎたら、ファーストデンテ国の領土ね」

「はい。まだしばらく山道が続きますが」

 辺りはうっそうとした森だ。この山を下りると、ファーストデンテ国の町並みが見えてくるらしい。

 検問所での手続きが終わり、再び動き出した馬車にしばらくられていると、窓から外をながめていたローラが大きく深呼吸した。

「駄目ね、やっぱり不安が大きくて息が苦しくなってしまう。こんな時は……」

 ローラが荷物から取り出したのは、口がコルクでふさがれたとうめいびんだ。

「私がせんじたお茶を持ってきたの。気持ちを落ち着ける効果があるわ」

「ローラ姫自ら煎じられたのですか?」

 おどろいているとローラがいたずらっぽく微笑んだ。

「お茶も煎じるし、おも作るしパンだって焼くわ。お料理が大好きなの。おさいほうも好きよ。ドレスを自分でった事もあるわ」

「すごいですね。わたしなんて卵を焼けばがすし、料理といえるほどのものは作れないし、縫い物も苦手です」

「でも、ユリアはとっても強いと聞いたわ。軍学校のけんじゆつ大会で優勝したんでしょう。すごく頭もいいってこの隊の隊長が褒めていたもの。あなたの方がずっとすごいわ」

 ローラにきらきらした目で見つめられて、恥ずかしい気持ちになる。

 自分とはまったく正反対のローラ。やさしくて愛らしくて、いつしよにいるとこちらまで幸せな気持ちにしてくれる。しかも彼女は周りへのはいりよも忘れない。

 出発前、ファーストデンテ国に同行する百人ほどの護衛や侍女、侍従達一人一人に言葉をかけて回っていたのを見た時は、何とすばらしい王女だろうと感動した。

 ヨルン国の王族は民とはきよを置いていて、ローラの兄や姉は家来や民に言葉をかけているのを見た事がない。

 だがローラは、以前から分けへだてなくいろんな人と話していると聞いていた。

(ローラ姫は、きっといいおうになられる。国の事情があるとはいえ、あんなきような男の妻になるなんて、もったいなさすぎる……!)

 そうは思うが、結婚に反対するわけにはいかない。この結婚に国の未来がかかっている。

 ローラが嫌がっているならともかく、彼女もかくを決めているのだ。

 自分が何か言う筋合いはない。それでも気持ちをおさえられなくてこぶしにぎりしめていると、ローラがグラスについだお茶を差し出した。

「よかったら、あなたもどうぞ。気持ちが落ち着くわ。温めて飲んだ方がおいしいけれど、馬車の中では無理だし。ごめんなさいね」

「いえ、わたしごときが姫が煎じてくださったお茶を頂くなんておそれ多いです」

「何を言っているの。私が無理を言ってついてきてもらったのよ。このぐらいさせて」

 首をかしげる仕草がとてつもなく可愛かわいらしくて、同じ女性なのにドキドキしてしまった。

 せっかくここまで言ってもらっているのに、断るのも失礼かとグラスを受け取る。

「では、お言葉に甘えて」

 ローラが自分のグラスを目の高さに持ち上げた。

「ヨルン国の平和を願って」

 微笑ほほえむローラに、大きく頷く。グラスに口をつけると、ほのかな甘みがあるお茶は冷えているが、おいしかった。のどかわいていたのか、ローラと一緒に一気に飲み干す。

「すごくおいし……うっ」

 とつぜん馬車が大きく揺れた。何が起こったのかわからなかったが、立ち上がろうとして体がぐらりと揺れる。ガラガラガラッと外から大きな音がした。

 何事かと窓を見ようとした時、声が聞こえた。

がけくずれだっ。げろ!」

 言葉を理解したしゆんかん立ち上がり、ローラを守る為に彼女におおかぶさった。


    ● ● ●


 鏡に映ったローラの顔を見つめて、ユリアはいままでの事を思い出していた。

「そうだ。ファーストデンテ国に行くちゆう、崖崩れの事故にあったんだ。すごく馬車が揺れて……あれからどうなったんだろう?」

 鏡の中のローラがこんわくしたようにまゆを寄せた。何とか気持ちを落ち着けて、ベッドから下りる。ゆかに足をつくと何だかおかしな感じがした。

「何か変だな。いつもはドアノブはこしぐらいの高さなのに、いまは胸の下ぐらいだし、テーブルとか椅子とかやけに大きく感じる。これって部屋が大きいのかな」

 そうつぶやいてはっとした。

「いや、ちがう。ローラひめはかなりがらだ。わたしは女性にしては長身だから、目線の高さが違うのか……? っていう事はつまり……」

 かべには大きな姿見があった。おそるおそるその前に立つ。

 シルクのネグリジェに金色の巻き毛。すみれ色のひとみ

 小柄で、大陸のかがやく宝石のごとき姫君と名高いローラの全身がそこに映っていた。

「いや、あり得ない……。鏡にけがあるんじゃないかな」

 鏡をじっくり観察するが、特に異変はなかった。

「そうか、わかった! これは夢だ。お料理上手で裁縫上手で天使の微笑みを持つれんなローラ姫に心のどこかであこがれていたのは事実。だけど、軍人として生きると決めた時から、そういうのはえんがないものだとわかっていたはずだ。こんな夢を見るなんて……!」

 一気に気持ちをき出して、ようやく息をついた。

「すぐに目が覚めるはず。……それにしても細部までっている夢だな」

 部屋のごうさからして、いつぱんしきではないようだ。

 そうしよく品に使われている金も宝石も、どう見ても本物だった。

「想像力はとぼしい方だと思っていたけど、そうでもないのかも。──そうだ、夢では痛みを感じないって聞いた事がある。きっとほおをつねっても痛くないはず……いった!」

 頬を思い切りつねると、痛みで顔をしかめた。鏡に映るローラが青ざめる。

「どうして痛いんだ。痛いって事は夢ではないという事。つまり……」

 夢でもなければ、鏡に仕掛けもない。だったら、いま見ているのは現実だ。

「何で、わたしがローラ姫になってるんだ────────!!」

 どんなに訓練を積んでいても、この予想もしなかった非常事態の前では、さすがにうろたえる事しかできなかった。

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