プロローグ 押し付けられた聖女/1章 醜い神様①

 ……どうして私が、こんな目にわなきゃいけないのだろう。

 だいなる神々のおわす場所、しん殿でん

 その神殿内にある一室で、私は一人ほうに暮れていた。

 真昼にもかかわらず、室内はうすぐらい。ほとんど日差しの入らない冷たい部屋を、ときおりすきかぜけた。

 風が吹くたび、部屋をおおう分厚いほこりい上がる。埃にむせる私が見たのは、ち果てたテーブルと椅子いすに、カビだらけのソファ。こわれたたなと、原形のわからなくなったベッドと、だれかが投げ込んだらしい石やゴミの数々と──。

 そんなゴミの間でうごめく──なにか。

 れ果てた部屋にあってもひときわ目につく、その『なにか』。それを一言で表すならば、きよだいでいかたまりだ。

 大きさは人のこしほど。半ばけたようにどろどろの体に、形らしい形はない。

 色は黒く、部屋に落ちるかげよりも暗い。だというのに、薄暗い部屋のわずかな日差しを受け、ときおり不気味にぬらりと光る。

 そのうえ、それは絶えず蠢き、ねちゃりとねんちやくしつな音とともにあくしゆうをまき散らす。

 部屋の入り口に立つ私のところまで届く、鼻の曲がりそうな悪臭に、私はたまらず足を引いた。

 ──う……っ。

 あまりの不気味さに、うめき声が出そうになる。今すぐにでも、背中を向けてげ出したかった。

 だけど私は、けんかんをこらえてふるえる体に力を込める。

『彼』を前に、私が逃げるわけにはいかなかった。

 なぜならば、目の前でみにくく蠢く『彼』こそは、この部屋のあるじ

 どれほど醜くても、人の姿ですらなくても、神々の中でも最弱の『無能神』と呼ばれていても、彼は神殿に住む偉大なる神々のうちの一柱であり──。

 不本意ながらも、この私──エレノア・クラディールが、聖女アマルダ様に代わってこれからお世話させていただく相手なのだ。




   〇 〇 〇


 そもそものほつたんは数日前。幼なじみのだんしやくれいじよう、アマルダ・リージュが聖女に選ばれたことだった。

 聖女とは、神々のおそばに仕える者のことである。一柱の神につき、仕えることのできる聖女は一人きり。しんたくによってじきじきに神から選ばれ、神のちようあいと加護を受ける聖女は、この国において特別な存在だ。

 神をまつる神殿やいつぱんの人々はもちろん、国を動かす貴族や王家も、聖女は無視できない。神とともに敬われ、大切にあつかわれる聖女は、多くの人々のあこがれだった。

 当然、そんな聖女になりたい人間は多い。神殿には聖女志願者が大勢集まり、日々しゆぎように明け暮れていた。

 神々の目に留まるため、生活を正し、いのりをささげ、神話を学んではほう活動にはげむ日々。それでも、神に選ばれる人間はほんのわずか。何年も修行しても神託が下ることなく、あきらめて神殿を去る聖女志願者は後を絶たない。

 そんな人々を横目に、ほんの数日神殿に通っただけで神託が下り、聖女に選ばれたのがアマルダなのである。

 もっとも、この話には落ちがある。

 アマルダを選んだのは、神々の中でも最弱と名高い『無能神』。

 選ばれてはかえってめいとさえうわさされる、神殿きってのきらわれ者の神だった──。

 はずなのに。

「アマルダがほかの神に選ばれたから、私に『無能神の世話をしろ』ですって!? どういうことですか、お父様!」

 そうさけんだのは、早朝、クラディールはくしやく家の応接室でのことだ。

 父のとつぜんの呼び出しに来てみれば、そこにいたのは数人の神官とアマルダ。

 いったいどういうことかとまどう私に、父が告げたのが『アマルダの代理をしろ』という命令であった。

「どうして聖女でもない私が、無能神なんかの世話をしないといけないの! しかも、よりによってアマルダの代わりになんて!」

「『無能神なんか』……なんて、ひどいわ、エレノアちゃん」

 私の言葉にこたえたのは、か細く震える声だった。

 声にり向けば、神官たちに囲まれ、青いひとみうるませる少女の姿が目に入る。

 ふわりとしたいろかみ。丸みを帯びた、小動物めいた顔立ち。ものすごい美少女というわけではないけれど、ついかまってあげたくなるような、ぼく可愛かわいらしさ。

 そんなれんな容姿にはり合いの、責めるような目を向ける彼女こそ、すべてのげんきようたるアマルダである。

「いくらなんの能力もなくても、あんなお姿でも、相手は……クレイル様は、神様なのよ。お仕えできることを喜ばなくっちゃ」

 がらな割には豊かな胸に手を当てて髪を振るアマルダは、すでに立派な聖女様だ。

 たとえ無能神であろうと、神へのじよくいかり、勇気を奮って私を𠮟しかるアマルダを見て、神官たちも感心したようにうなずき合っている。

 しかし、私の顔は苦いままだ。当たり前である。

 ──よく言うわよ! 自分は他の神に選ばれておいて!

 それも、異例中の異例。神託が下った翌日に、新たな神が彼女をしよもうしたのだ。

 その相手こそは、神々を束ねる大いなる神の王。きんぱつ金眼の、かがやけるぼうの持ち主。すべてをべるばんのうの神、最高神グランヴェリテ様だというのである。

 二柱の神に選ばれたアマルダは、のうの末にグランヴェリテ様に仕えると決めたらしい。しかし、そうなると余ってしまうのが無能神、もといクレイル様だ。

 最弱の神とはいえ、無能神も神は神。神託が下ってしまったからには無視するわけにもいかない。こうなったら代わりの聖女を立ててしまえ──ということで、目を付けられたのが私なのである。

 もちろん、私にとってはみみに水。今日、この場に呼び出されるまでまったく話を聞かされていなかった。

「急にごめんね、エレノア──ノアちゃん」

 おどろきと怒りに震える私に、当のアマルダは親しげに呼びかける。

 しかし続く言葉は、ごめんねなんて言いながら、私の気持ちなんてお構いなしだ。

「でも、ノアちゃんのためなのよ。だってノアちゃん、小さいころからずっと聖女を目指していたでしょう? なのに、五年も神殿で修行したのに神様に選んでいただけなくて……それで、諦めちゃったでしょう?」

 アマルダの言葉を聞いたたん、私はピシリとこおり付く。

 知らずこめかみがひきつるが、彼女のじやな瞳にそんなものは映らない。

「ノアちゃん、りよくがぜんぜん足りなかったものね。聖女に選ばれるには、神様の持つ神気にえられるだけの魔力が必要だったのに……」

 聖女に必要な素質は、心の清さやしんこうしんの強さだけではない。アマルダの言う通り、魔力があることが絶対の条件だ。

 だけど、これもアマルダの言う通り、私の魔力はあつとう的に足りなかった。どれほど修行を重ねても、神々のお傍にいられるほど魔力が増えることはなかった。

 聖女を目指し、十二歳で神殿に通い始めてから五年間。ばくぜんと聖女を夢見ていた幼少期も含めれば、もう十年以上。ずっと聖女に憧れ続けて来たけれど、結局私の夢はかなわなかったのだ。

 そんな私に、生まれつき豊富な魔力を持ち、わずか数日で聖女になったアマルダがやさしく微笑ほほえみかける。

「だからこそ、クレイル様はノアちゃんにぴったりだと思うの。クレイル様、無能神と呼ばれるほどお力が弱いでしょう? あれくらいなら、ノアちゃんの魔力とも釣り合いが取れるわ」

 それにね、と言うと、アマルダはゆっくりと歩き出した。

 凍り付いたままの私に向けて、一歩、二歩。たしかめるように歩み寄ると、彼女はそこで立ち止まる。

 ちょうど、手をばせば届くきよ。アマルダはその距離を縮めるように、そっと私に両手を伸ばした。

「ノアちゃんは、私の親友だから」

 その手が、私の両手を固くにぎりしめる。

 応接室に、手を取り合う二人のかげ。熱を持ったアマルダの目が、まっすぐに私の顔を映し込む。

「他のだれでもなく、ノアちゃんだから、信じて任せられるのよ。私の親友なら──ノアちゃんなら、きっとげ出さずにやりきってくれるって。……たとえ相手が、誰もがいやがって投げ出すような無能神だとしても」

 窓から差す日が、迷いのないアマルダの顔を照らす。

 一見すると、まるでみ嫌われる無能神を押し付けるこう。しかし、アマルダの目に疑いはない。かつて聖女を目指した親友は、こんなことで断るはずがないと確信しているのだ。

 深いしんらいだけをたたえたその横顔に、神官たちから「おお……」とかんたんの声が上がった。

「なんと美しい友情でしょうか」「さすがアマルダ様の選んだお方」「これはエレノア殿どのに任せる他にありませんな」

 口々のしようさんを背に、アマルダは私をつかむ手に力を込めた。

「クレイル様の聖女、引き受けてくれるでしょう、ノアちゃん」

 りんとした強い声。握りあわされた手。差し込む朝の光に、照らされる少女二人。

 まるで劇の一幕である。かんるいちがいなしの、熱い女同士の友情シーンである。視界のはしで、実際に神官たちがちょっと泣いている。

 そんな感動の光景を前に、私は大きく息を吸いこんだ。

「お断りだわ!!」

 一見どころか、どこからどう考えても余った無能神を押し付ける行為。自分は最高神の聖女の座を選んでおきながら、勝手に断らないと確信され、勝手に友情に感動されても知ったことではない。

 そもそも私は、アマルダの親友になった覚えはない!!


 その結果が現在である。

 うすぐらい部屋であくしゆうほこりにむせながら、私は最悪のおくかたふるわせた。

 ──勝手に引き受けてんじゃないわよ、お父様! むすめの危機に弱気になって!

 国の権力者たるしん殿でんと、その最高神に選ばれた新聖女に、父はすっかりおびえていた。

 家主のくせに部屋のかたすみでガタガタ震え、じんなアマルダたちの言い分におこるどころか、逆に私をなだめる始末だ。

『娘は急のことで混乱しているだけですので』

 怯えた顔で神官たちにみ手をする父を、思い出すにつけ腹が立つ。

 挙げ句に父は、断固として断ろうとする私に向けて、か細い声でこう言ったのだ。

『わかってくれ、エレノア。これはもう、決定こうなんだ。親友のアマルダのためだと思って、無能神の聖女になってくれ……』

 断じて、親友などではない。

 だけど父の言葉から、もう断れないことだけはよくわかってしまった。

 ──……別に、単純に無能神のお世話をするだけなら、ここまで文句はなかったわよ。

 嫌な記憶をはらうように頭を振ると、私は改めて薄暗い部屋に目を向ける。

 見たくなくとも、目に入るのは無能神だ。うごめき続けるどろやまの神に、ゆううつさはどこまでも増していく。

 ──『聖女になれ』なんて、簡単に言ってくれるわ。どういう意味かわかっているくせに。

 聖女として神に仕える、とは言葉通りの意味ではない。

 無能神とはいえ、相手は神。敬うべき存在であることは、私もちゃんと理解している。

 それをわかっていてもきよぜつするのは、それなりの理由があるからだ。

 ──私にはこんやくしやがいるのよ。お父様が決めた相手じゃない。

 聖女とは、ただ神に仕えればいいという存在ではない。

 聖女は神が選ぶ、たった一人の相手。ただ一人きりの、特別な存在。

 それはつまり──神のちようあいを一身に受ける、神のはんりよのことなのである。

 ──聖女になったら、もう結婚はできないのよ? 婚約の話はどうするのよ。

 たしかに、私がかつて聖女を目指していたのは事実。だけど魔力不足を思い知ってからは、きっぱりと聖女の道をあきらめていた。

 今の私ははくしやく家の娘。貴族れいじようとして、家のための婚約をした身だ。

 婚約者とは上手うまくやっている。結婚の話はほとんどまとまっていて、近いうちに式を挙げる予定もある。

 それを今さら、破談になんてできるわけがない。それも無能神が原因だなんて、たとえ神が許しても、婚約者とその家が許すはずがなかった。

 ──お父様は、『なんとかしてみせる』なんておっしゃっていたけど。

 どうにか神殿にこうしようしてみるから、今は一時的にまんしてくれ──となみだで告げてきた父の言葉を、どれほど信用できるだろうか。あの気弱な父が、王家に並ぶほどの権力を持つ神殿を相手に、強気で交渉できるとも思えない。

 ──婚約の話もあるし、さすがにずっと代役をするわけじゃないとは思うけど……。

 そうは思っても、代役を下りるは、今のところまったくない。

 先の見えない不安感に、私は何度目かわからないため息をつく。

 ──いったい、いつまで代役をすればいいのよ。どうして私が……。

「……あの」

「……本当に、どうして私がこんな目に」

「…………あの?」

「全部アマルダが悪いんだわ。昔から、いつもそう! 悪い子じゃないんだけど……!」

 悪い子じゃないけれど、だからと言っていつしよにいてうれしい存在では決してない。それどころか、幼なじみでなければかかわりたくもない相手だった。

 アマルダは父の親友の娘だ。家ぐるみの付き合いがある彼女は、私の物心が付く前から伯爵家に遊びに来ていて、物心が付いたころには伯爵家の中心にいた。

 なおれんなアマルダに、父や使用人たちはいつも夢中だった。アマルダばかりを可愛かわいがる人々──主に男性じんを、私と姉は冷ややかに見ていたものだ。

『エレノア。アマルダには気を付けなさいよ。特に、好きな男は絶対に近づけちゃだめだからね』

 とは、結婚をして家を出て行った姉の言葉である。

『なにをしても、結局こっちが悪役にされるんだから。できるだけ関わらないのが正解よ。悪い子じゃないのかもしれないけど、いい性格だわ、あの子』

 アマルダを好きになってしまったから──と言われ、婚約が破談になった姉の言うことは重みが違う。

 その後、もっといい相手を見つけて結婚した姉は強い。

『アマルダのことは、天災かなにかと思うことね。考えるだけだから、さっさと頭を切りえなさい』

「……そうね」

 アマルダの味方ばかりする父にあいかし、結婚と同時にぜつえんじようたたきつけた姉を思い出し、私は誰にともなくうなずいた。

 こういうとき、姉は絶対にめげなかった。どんな悪いじようきようになっても、諦めることなく前を向き続けた。

 だからこそ、姉は幸せを得た──というより、ちからくでもぎ取ったのだ。

「お姉様を見習わなくっちゃ! 今さらうじうじ言っても仕方ないんだから、こうなった以上、やることはやるわよ!」

 私は大きく息を吸い、気持ちを奮い立たせるように声を張り上げた。

 さらにはこぶしをにぎめ、せがちだった顔をごういんに上に向ける。なやんだところで、今のこの状況は変えられないのだ。

「とりあえず、今日は神様にあいさつをしないと! 話、通じるかわからないけど!!」

「……私に挨拶、ですか?」

「はい!!」

 と力いっぱい返事をしてから、ふと気付く。

 ──…………はい?

 今の声、どこから聞こえた?

 あわてて辺りを見回すけれど、周囲の景色は変わらない。日当たりの悪い部屋にあるのは、分厚い埃とちた家具。それから、蠢くきよだいな泥の山──。

 ──……ええと。

 まさか、ね。

「……神様?」

「はい、はじめまして。あなたの言う神様です……たぶん」

 私の言葉に、泥の山が大きく体をらした。

 まるでしやくでもするかのようなしぐさに、私もうっかり会釈を返す。

 挨拶のように、たがいに頭を下げてから、いつぱく

 わずかなちんもくののち、私は大きく息を吸い込んだ。

「しゃべった!?」

「はい。言葉は一通り話せるつもりですよ」

 私のどうようを意にもかいさず、その泥の山──神様はそう答えた。

 見た目にそぐわずりゆうちように話す彼に、私はしばしぼうぜんとする。

 ──き、聞いていないわよ、しゃべるなんて……!?

 しかも意外すぎるほど声も良い。男性にしては少し高く、女性にしては低い。中性的なその声のひびきは、姿がこうでなければ聞きれてしまったかもしれない。

 ──うそでしょう? だって無能神よ? 言葉すら理解していないってうわさだったじゃない!?

 無能神の『無能』とは、神の力に限ったことではない。

 そののなさもまた、広く人々に知られていた。

 無能神をどんなにとうしても、言い返してくることはない。石をぶつけられても悲鳴を上げず、神殿の片隅に追いやられ、こんな埃くさい部屋に押し込められても文句ひとつ言わない。

 ほかの神々にこんなあつかいをすれば、当然神のばつが下る。だけど無能神に限っては、人間に罰が下されたことは一度もない。

 それもこれも、すべては自分のきようぐうを理解するだけの知能を無能神が持たないからだという。どれほど罵倒されたところで、無能神はなにを言われているかわからないのだ。

 おかげで、人々から尊敬されるはずの聖女も、無能神の聖女だけは例外だ。

 最弱の神から力を借りられるはずもなく、知恵がないため、聞くべき神の言葉もない。

 無能神の聖女は仕える神ともども役立たずと鹿にされ、神をまつしん殿でんからもお荷物扱いである──という、話だったのに。

「私になにかご用でしょうか?」

 ほうける私に、神様はおだやかに呼びかける。

 落ち着きのあるていねいな口調は、知恵がないどころか、深い知性さえ感じさせた。

「よ、用ですか、ええと……!」

 対する私は、すっかり動揺していた。どうにか気持ちを落ち着かせようと息を吸い、き切ったところでようやく本来の目的を思い出す。

 ──そ、そうだわ。今日は挨拶に来たのよ!

 私としては心底不本意だけど、これからアマルダに代わって仕える相手。無礼な真似まねをしてはいけないと、おくれながらも慌てて背筋をばす。

「す、すみません、先ほどから失礼しました! 私、今日から神様にお仕えする、エレノア・クラディールと申します。聖女アマルダ様の代わりに、一時的にお世話をさせていただく身ですが、よろしくお願いします!」

 一時的に、という言葉を気持ち強調しつつ、私は神様に一礼した。

 そんな私を、神様がじっとりと見ている──気がする。神様には目がないから、実際のところはわからないけども。

「……代わり?」

 短い沈黙のあと、彼は静かな声で言った。

 私の言葉をいぶかしんでいることは、顔がなくとも声の響きだけでよくわかる。

 ──……当然だわ。

 神様が不信感をいだくのも無理はない。彼からしてみれば、とつぜん知らない人間が部屋へみ込んできたのだ。おどろくだろうし、不満も抱くだろう。

 神殿も、神様へ事前に報告をしていたとは思えない。私に代理を押し付けたあとは、『勝手に上手うまくやってくれ』と丸投げで、ろくに相談にすら乗ってくれなかった。

 もっとも、ひとつだけ厳重に言いつけられたことがある。

 いかに相手が無能神であろうと、言葉を理解しなかろうと、これだけはきっちり言っておくように──とおどすように命じられた言葉を、私は頭を下げたまましぼり出す。

「……代わり、です。神様が聖女アマルダ様をごしよもうだったことは存じていますが、私が、自分から、どうしても代わってほしいとたのんだのです」

 言いながら、私は無意識に両手を握りしめる。口から出る言葉は、一言だって私が考えたものではない。

 ──どうしてこんな、心にもないことを……!

 だけど神殿から、『姉のとつぎ先にまでめいわくをかけていいのか』と言われてしまえば、従わないわけにはいかなかった。

「アマルダ様は、あなたと最高神グランヴェリテ様のお二方に選ばれて、最後まで悩んでいました。でも、どうしても聖女になりたかった私がアマルダ様に頼み込んで、りよく的にり合いの取れるおんゆずっていただいたのです。ですから──」

 そこで言葉を切ると、一度大きく息を吸う。

 くやしさと腹立たしさとアマルダへのうらみを吐くのをぐっとこらえ、私は吸い込んだ息とともに、神殿が決めた『建前』を、やけっぱちに言い放った。

「問題があるようでしたら、どうぞ私を罰してください。ええ、ええ、らしくおやさしい、聖女の中の聖女たるアマルダ様は、ずーっと御身のことをお考えでしたので!」

 あらい言葉と同時にさらに深く頭を下げれば、神様は再び沈黙する。

 そのまましばらく。無言で重たげな体を揺らしたあとで、彼はため息でもくかのように大きくうごめいた。

「嘘ですね」

 告げられた言葉に心臓がねる。

 穏やかな口調は変わらないのに、き放すようなれいたんな声だった。

「どうせあなたも、どなたかに聖女の役目を押し付けられたのでしょう?」

 よくあることです、と言って神様はふるえる。

 ねとりとねばつきながら揺れる彼は、まるでちようするかのようだ。

「私は自分の姿も、あなた方の好みもあくしているつもりです。聖女に選ばれても、だれも私の相手をしたがらないことも。──どうです?」

 こちらを見上げるように体を伸ばし、彼は私に問いかけた。

「私はみにくいでしょう?」

 いいえ──と答えられたなら、本当の聖女になれたのかもしれない。

 だけど私は、神様の問いに返事をすることができなかった。

 おそるおそる顔を上げ、うかがい見る神様は──ちがいなく、醜い。

 黒く盛り上がった体は粘り気があり、見るからに不気味だ。身じろぎするように体を揺らせば、その不気味な体がねちょねちょと音を立てる。

 たとえその姿から目をらしても、あくしゆうからはのがれられない。はなれていても感じるすような悪臭は、彼の醜い姿よりも、さらに不快感があった。

 頭では、彼が神であることをわかっている。

 それでも、彼に生理的なけんかんを抱くのを止められない。まるで本能がきよぜつしているかのように、今も無意識に足を引きかけていた。

「罪悪感ならば抱く必要はありません。高潔と評判の聖女たちも、誰もが言葉をわすより先にげ出していきました。あなたのように押し付けられた者も、例外なく」

 だけど、静かに語る神様の言葉に、私は引きかけの足を止める。

 ──……誰もが?

 そんなはずはない。だって醜くきらわれる神様とはいえ、彼の聖女になった者は少なからず存在するのだ。

 歴代の聖女の記録には、無能神の聖女の名前も刻まれている。記録の中では、逃げ出さずに務め上げた聖女の方が多かったはずだ。

 なのに──。

 ──……あれは、嘘だったの?

「あなたも、明日あしたからは来なくて結構です。とがめはしませんし、罰をあたえる力も私にはありません。……神殿には、適当な報告をするとよいでしょう。どうせ誰も、ここまでかくにんには来ないのですから」

 低い神様の声を聞きながら、私は改めて部屋を見回した。

 うずたかく積もったほこり。もう何十年──何百年も放置されたような、ちた家具。

 窓はうすよごれ、光は入らず、まどわくの木はくさり落ちている。

 ──前に無能神……神様の聖女が選ばれたのは、三年くらい前だったわ。

 私が聖女しゆぎよう中の話だから、当時のことはよく覚えている。嫌われ者の無能神に選ばれたその聖女は、一年ほどに無能神に仕えたのち、他の神に求められたのだ。

 その後、彼女は無能神よりはるかに格上の神の聖女となり、今も神殿で暮らしている。

 彼女が他の神にめられたのは、醜い無能神にも誠実に仕えるような、心の清らかさがあったからこそだ──と、言われていたけれど。

 ──……一度でも、そうをしたようには見えないわ。

 よどんだ空気の満ちる部屋で、埃にまみれた神様が重たげにれる。

「さあ、もう行きなさい。ここは暗く、見苦しい場所です。若いごれいじようが、いつまでもこんなところにいるべきではありません」

「そう……ですね……」

 外へとうながす神様に、私はなおうなずいた。

「埃っぽくて、きたなくて、薄暗くて……こんなところ、私にはとてもえられません」

 ここは若いご令嬢どころか、まっとうな人の住む場所ではない。

 こんなひどい場所、もう一秒だっていたくなかった。

「すみません。神様の言う通り、私、退室させていただきますね」

 それだけ言うと、私は神様に一礼だけして、そのままくるりと背を向けた。

 あとはもう、り返る気すら起こらない。暗い部屋に神様を残して、私は一人、逃げるように部屋を飛び出した。

 その──背後。

「……もう、二度と彼女はここに来ないでしょうね」

 神様がどこかさびしそうにそうつぶやき、体を震わせていたなど──。

 ──掃除用具っ!! ほうき! はたき! ぞうきん!! あんな部屋、掃除しないと耐えられないわ!!

 掃除用具を探して、おおまたしん殿でんけていた私には、知るよしもなかった。

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