プロローグ 押し付けられた聖女/1章 醜い神様①
……どうして私が、こんな目に
その神殿内にある一室で、私は一人
真昼にもかかわらず、室内は
風が吹くたび、部屋を
そんなゴミの間で
大きさは人の
色は黒く、部屋に落ちる
そのうえ、それは絶えず蠢き、ねちゃりと
部屋の入り口に立つ私のところまで届く、鼻の曲がりそうな悪臭に、私はたまらず足を引いた。
──う……っ。
あまりの不気味さに、うめき声が出そうになる。今すぐにでも、背中を向けて
だけど私は、
『彼』を前に、私が逃げるわけにはいかなかった。
なぜならば、目の前で
どれほど醜くても、人の姿ですらなくても、神々の中でも最弱の『無能神』と呼ばれていても、彼は神殿に住む偉大なる神々のうちの一柱であり──。
不本意ながらも、この私──エレノア・クラディールが、聖女アマルダ様に代わってこれからお世話させていただく相手なのだ。
〇 〇 〇
そもそもの
聖女とは、神々のお
神を
当然、そんな聖女になりたい人間は多い。神殿には聖女志願者が大勢集まり、日々
神々の目に留まるため、生活を正し、
そんな人々を横目に、ほんの数日神殿に通っただけで神託が下り、聖女に選ばれたのがアマルダなのである。
もっとも、この話には落ちがある。
アマルダを選んだのは、神々の中でも最弱と名高い『無能神』。
選ばれてはかえって
はずなのに。
「アマルダが
そう
父の
いったいどういうことかと
「どうして聖女でもない私が、無能神なんかの世話をしないといけないの! しかも、よりによってアマルダの代わりになんて!」
「『無能神なんか』……なんて、ひどいわ、エレノアちゃん」
私の言葉に
声に
ふわりとした
そんな
「いくらなんの能力もなくても、あんなお姿でも、相手は……クレイル様は、神様なのよ。お仕えできることを喜ばなくっちゃ」
たとえ無能神であろうと、神への
しかし、私の顔は苦いままだ。当たり前である。
──よく言うわよ! 自分は他の神に選ばれておいて!
それも、異例中の異例。神託が下った翌日に、新たな神が彼女を
その相手こそは、神々を束ねる大いなる神の王。
二柱の神に選ばれたアマルダは、
最弱の神とはいえ、無能神も神は神。神託が下ってしまったからには無視するわけにもいかない。こうなったら代わりの聖女を立ててしまえ──ということで、目を付けられたのが私なのである。
もちろん、私にとっては
「急にごめんね、エレノア──ノアちゃん」
しかし続く言葉は、ごめんねなんて言いながら、私の気持ちなんてお構いなしだ。
「でも、ノアちゃんのためなのよ。だってノアちゃん、小さいころからずっと聖女を目指していたでしょう? なのに、五年も神殿で修行したのに神様に選んでいただけなくて……それで、諦めちゃったでしょう?」
アマルダの言葉を聞いた
知らずこめかみがひきつるが、彼女の
「ノアちゃん、
聖女に必要な素質は、心の清さや
だけど、これもアマルダの言う通り、私の魔力は
聖女を目指し、十二歳で神殿に通い始めてから五年間。
そんな私に、生まれつき豊富な魔力を持ち、わずか数日で聖女になったアマルダが
「だからこそ、クレイル様はノアちゃんにぴったりだと思うの。クレイル様、無能神と呼ばれるほどお力が弱いでしょう? あれくらいなら、ノアちゃんの魔力とも釣り合いが取れるわ」
それにね、と言うと、アマルダはゆっくりと歩き出した。
凍り付いたままの私に向けて、一歩、二歩。たしかめるように歩み寄ると、彼女はそこで立ち止まる。
ちょうど、手を
「ノアちゃんは、私の親友だから」
その手が、私の両手を固く
応接室に、手を取り合う二人の
「他の
窓から差す日が、迷いのないアマルダの顔を照らす。
一見すると、まるで
深い
「なんと美しい友情でしょうか」「さすがアマルダ様の選んだお方」「これはエレノア
口々の
「クレイル様の聖女、引き受けてくれるでしょう、ノアちゃん」
まるで劇の一幕である。
そんな感動の光景を前に、私は大きく息を吸いこんだ。
「お断りだわ!!」
一見どころか、どこからどう考えても余った無能神を押し付ける行為。自分は最高神の聖女の座を選んでおきながら、勝手に断らないと確信され、勝手に友情に感動されても知ったことではない。
そもそも私は、アマルダの親友になった覚えはない!!
その結果が現在である。
──勝手に引き受けてんじゃないわよ、お父様!
国の権力者たる
家主のくせに部屋の
『娘は急のことで混乱しているだけですので』
怯えた顔で神官たちに
挙げ句に父は、断固として断ろうとする私に向けて、か細い声でこう言ったのだ。
『わかってくれ、エレノア。これはもう、決定
断じて、親友などではない。
だけど父の言葉から、もう断れないことだけはよくわかってしまった。
──……別に、単純に無能神のお世話をするだけなら、ここまで文句はなかったわよ。
嫌な記憶を
見たくなくとも、目に入るのは無能神だ。
──『聖女になれ』なんて、簡単に言ってくれるわ。どういう意味かわかっているくせに。
聖女として神に仕える、とは言葉通りの意味ではない。
無能神とはいえ、相手は神。敬うべき存在であることは、私もちゃんと理解している。
それをわかっていても
──私には
聖女とは、ただ神に仕えればいいという存在ではない。
聖女は神が選ぶ、たった一人の相手。ただ一人きりの、特別な存在。
それはつまり──神の
──聖女になったら、もう結婚はできないのよ? 婚約の話はどうするのよ。
たしかに、私がかつて聖女を目指していたのは事実。だけど魔力不足を思い知ってからは、きっぱりと聖女の道を
今の私は
婚約者とは
それを今さら、破談になんてできるわけがない。それも無能神が原因だなんて、たとえ神が許しても、婚約者とその家が許すはずがなかった。
──お父様は、『なんとかしてみせる』なんておっしゃっていたけど。
どうにか神殿に
──婚約の話もあるし、さすがにずっと代役をするわけじゃないとは思うけど……。
そうは思っても、代役を下りる
先の見えない不安感に、私は何度目かわからないため息をつく。
──いったい、いつまで代役をすればいいのよ。どうして私が……。
「……あの」
「……本当に、どうして私がこんな目に」
「…………あの?」
「全部アマルダが悪いんだわ。昔から、いつもそう! 悪い子じゃないんだけど……!」
悪い子じゃないけれど、だからと言って
アマルダは父の親友の娘だ。家ぐるみの付き合いがある彼女は、私の物心が付く前から伯爵家に遊びに来ていて、物心が付いたころには伯爵家の中心にいた。
『エレノア。アマルダには気を付けなさいよ。特に、好きな男は絶対に近づけちゃだめだからね』
とは、結婚をして家を出て行った姉の言葉である。
『なにをしても、結局こっちが悪役にされるんだから。できるだけ関わらないのが正解よ。悪い子じゃないのかもしれないけど、いい性格だわ、あの子』
アマルダを好きになってしまったから──と言われ、婚約が破談になった姉の言うことは重みが違う。
その後、もっといい相手を見つけて結婚した姉は強い。
『アマルダのことは、天災かなにかと思うことね。考えるだけ
「……そうね」
アマルダの味方ばかりする父に
こういうとき、姉は絶対にめげなかった。どんな悪い
だからこそ、姉は幸せを得た──というより、
「お姉様を見習わなくっちゃ! 今さらうじうじ言っても仕方ないんだから、こうなった以上、やることはやるわよ!」
私は大きく息を吸い、気持ちを奮い立たせるように声を張り上げた。
さらにはこぶしを
「とりあえず、今日は神様に
「……私に挨拶、ですか?」
「はい!!」
と力いっぱい返事をしてから、ふと気付く。
──…………はい?
今の声、どこから聞こえた?
──……ええと。
まさか、ね。
「……神様?」
「はい、はじめまして。あなたの言う神様です……たぶん」
私の言葉に、泥の山が大きく体を
まるで
挨拶のように、
わずかな
「しゃべった!?」
「はい。言葉は一通り話せるつもりですよ」
私の
見た目にそぐわず
──き、聞いていないわよ、しゃべるなんて……!?
しかも意外すぎるほど声も良い。男性にしては少し高く、女性にしては低い。中性的なその声の
──
無能神の『無能』とは、神の力に限ったことではない。
その
無能神をどんなに
それもこれも、すべては自分の
おかげで、人々から尊敬されるはずの聖女も、無能神の聖女だけは例外だ。
最弱の神から力を借りられるはずもなく、知恵がないため、聞くべき神の言葉もない。
無能神の聖女は仕える神ともども役立たずと
「私になにかご用でしょうか?」
落ち着きのある
「よ、用ですか、ええと……!」
対する私は、すっかり動揺していた。どうにか気持ちを落ち着かせようと息を吸い、
──そ、そうだわ。今日は挨拶に来たのよ!
私としては心底不本意だけど、これからアマルダに代わって仕える相手。無礼な
「す、すみません、先ほどから失礼しました! 私、今日から神様にお仕えする、エレノア・クラディールと申します。聖女アマルダ様の代わりに、一時的にお世話をさせていただく身ですが、よろしくお願いします!」
一時的に、という言葉を気持ち強調しつつ、私は神様に一礼した。
そんな私を、神様がじっとりと見ている──気がする。神様には目がないから、実際のところはわからないけども。
「……代わり?」
短い沈黙のあと、彼は静かな声で言った。
私の言葉を
──……当然だわ。
神様が不信感を
神殿も、神様へ事前に報告をしていたとは思えない。私に代理を押し付けたあとは、『勝手に
もっとも、ひとつだけ厳重に言いつけられたことがある。
いかに相手が無能神であろうと、言葉を理解しなかろうと、これだけはきっちり言っておくように──と
「……代わり、です。神様が聖女アマルダ様をご
言いながら、私は無意識に両手を握りしめる。口から出る言葉は、一言だって私が考えたものではない。
──どうしてこんな、心にもないことを……!
だけど神殿から、『姉の
「アマルダ様は、あなたと最高神グランヴェリテ様のお二方に選ばれて、最後まで悩んでいました。でも、どうしても聖女になりたかった私がアマルダ様に頼み込んで、
そこで言葉を切ると、一度大きく息を吸う。
「問題があるようでしたら、どうぞ私を罰してください。ええ、ええ、
そのまましばらく。無言で重たげな体を揺らしたあとで、彼はため息でも
「嘘ですね」
告げられた言葉に心臓が
穏やかな口調は変わらないのに、
「どうせあなたも、どなたかに聖女の役目を押し付けられたのでしょう?」
よくあることです、と言って神様は
ねとりと
「私は自分の姿も、あなた方の好みも
こちらを見上げるように体を伸ばし、彼は私に問いかけた。
「私は
いいえ──と答えられたなら、本当の聖女になれたのかもしれない。
だけど私は、神様の問いに返事をすることができなかった。
おそるおそる顔を上げ、
黒く盛り上がった体は粘り気があり、見るからに不気味だ。身じろぎするように体を揺らせば、その不気味な体がねちょねちょと音を立てる。
たとえその姿から目を
頭では、彼が神であることをわかっている。
それでも、彼に生理的な
「罪悪感ならば抱く必要はありません。高潔と評判の聖女たちも、誰もが言葉を
だけど、静かに語る神様の言葉に、私は引きかけの足を止める。
──……誰もが?
そんなはずはない。だって醜く
歴代の聖女の記録には、無能神の聖女の名前も刻まれている。記録の中では、逃げ出さずに務め上げた聖女の方が多かったはずだ。
なのに──。
──……あれは、嘘だったの?
「あなたも、
低い神様の声を聞きながら、私は改めて部屋を見回した。
うずたかく積もった
窓は
──前に無能神……神様の聖女が選ばれたのは、三年くらい前だったわ。
私が聖女
その後、彼女は無能神よりはるかに格上の神の聖女となり、今も神殿で暮らしている。
彼女が他の神に
──……一度でも、
よどんだ空気の満ちる部屋で、埃にまみれた神様が重たげに
「さあ、もう行きなさい。ここは暗く、見苦しい場所です。若いご
「そう……ですね……」
外へと
「埃っぽくて、
ここは若いご令嬢どころか、まっとうな人の住む場所ではない。
こんなひどい場所、もう一秒だっていたくなかった。
「すみません。神様の言う通り、私、退室させていただきますね」
それだけ言うと、私は神様に一礼だけして、そのままくるりと背を向けた。
あとはもう、
その──背後。
「……もう、二度と彼女はここに来ないでしょうね」
神様がどこか
──掃除用具っ!!
掃除用具を探して、
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