<古龍と稲荷>(1)

 北の地の山奥。その地下深い真っ暗な洞窟で、深い深い眠りについていたはずの古龍の耳に、精霊たちの楽し気な声が届くようになった。

 本来なら、精霊たちが多少騒いだとしても、古龍の眠りを妨げるようなものではなかっただろう。


『……うるさい』


 古龍が身じろぎした。

 眠りについてから動きもしなかったのに、この時が初めての身じろぎだった。

 その身じろぎを、魔物たちは敏感に察知した。


 ――古龍が目覚める。


 北の地の山の冷気が一気に駆け下り、周囲は吹雪に見舞われ、それはどんどん南下していく。また、近くにいた小さな魔物は、その身じろぎで溢れた魔力で一瞬で消え去り、それより大きな魔物はその場から逃げ出した。北の地にいた魔物たちが徐々に南下していく。

 人の町へと襲い掛かるのも、時間の問題だった。


「おやまぁ……」


 いつものキャンプ場の管理人の格好ではなく、スーツ姿の稲荷は上空から見下ろしていた。魔物たちの流れは、五月の住む山に至るまでは、まだまだ時間がかかるだろう。

 途中にある国々によって、削られていくかもしれないが、これ以上魔物が増えたら、いつかは彼女の元までやってくるかもしれない。


 ――あのブラックヴァイパーのように。


 ブラックヴァイパーの多くは、元来、古龍の眠る山奥の中でも、一番南側に生息している魔物だった。それがあの山までやってきたのは、あの個体が敏感だったせいなのか、たまたまだったのかは、わからない。

 このままではマズイ、ということだけは、稲荷にもわかっていた。

 イグノスですら眠らせることを選んだ相手を、自分が消滅させられるかわからない。しかし、元は聖女の親友であった存在であれば、説得できるのではないか、と思った。


 目を閉じている古龍の前に現れた稲荷。


「おはようございます~」

『……』

「もう、起きてますよねぇ?」

『……』

「もしもーし」

『……うるさい』

「起きてるじゃないですかぁ」


 稲荷が古龍の目の前にまで近寄ると、古龍もさすがに片眼を開ける。


「どうも。稲荷と申します」

『……』

「……起きてるんだったら、魔力、抑えてもらえませんかねぇ」

『……』

「できるんでしょう?」

『……』

「もう、いつまでも拗ねるの、やめましょうよー」

『拗ねてなど、おらん』

「えー。だって、かなり強引に眠らせたって、イグノス様、言ってましたけど」

『……』

「もう~。拗ねてないんだったら、余計に止めて下さーい」

『……』

「できるのにそのままにしてるのなんて、もう、嫌がらせしかないじゃないですかー」


 その言葉に古龍は、忌々しそうに大きく鼻息を吐き出した。

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