宝石の誘惑

レイ&オディン

宝石の誘惑

「由美さん、私、悔しいです。彼氏を寝取った挙句、わざわざ、私の職場近くのスタバに二人でお茶してるんです。窓際のど真ん中の席ですよ。」

真弓は、真っ赤になって、由美が椅子に座るのを促しても、耳に届いていない様子だ。

「まあ、まあ、ここは仕事場で、旅行会社の窓口だし・・・」

由美は、真弓を何とか、なだめて、席に着かせるのがやっとだった。控室の陰から、支店長が嫌味な様に咳ばらいを、もう、10回もしている。

「はあ~。」由美がため息をつくと、「由美さん、ちゃんと聞いてます?」真弓はますますヒートアップした。



なんとか、閉店には、真弓を帰すことが出来たが、支店長のお小言が1時間も続いた。事務処理が残っていたが、トムとの待ち合わせ時間が迫っていたので、早々に会社を後にした。


新宿にも、まだ、こんな建物が残っているのかってぐらい年季物のコンクリート製の建物の中に、由美は入っていった。

看板もなく、照明もない、女性が1人で入って行くのには、不似合いな場所だった。ギ~ッ、バタン。

扉の閉まる音を合図に、カウンターの奥のバーテンがチラッと、こちらを確認したが作業を続けていた。由美が、自然にカウンターに座ると当たり前の様に、ブラッディーマリの入ったグラスがセットされた。

由美は、隣の席にハンドバックを置いて、中からスマホを取り出し、一人の女性を映し出した。

「ボス、女性に見えますが、女装趣味の男ですか?」バーテンのトムが口を開いた。端正な顔立ちは、お金持ちのおぼっちゃんの様にも見えたが、目の奥に感情が見えず、裏社会の人間と感じられた。

「麻生 薫(アソウ カオル)29歳。官僚一族の一人娘で、好き放題してるの。発端は、私の後輩の彼氏を寝取ったんだけど、クラブで薬の売をやってるんだと。」

由美がそこまで言っても、トムは、黙ったまま由美を見ていた。いつもの由美なら放置案件になるはずだからだ。

「トルコでさ、渡しの用事が出来たのよ。2週間以内。悪いんだけど、あんた、この娘を連れて、エスケープゴートにしてくれない?で、いつもの様に、胃の中に入れて持って帰って来てよ。ギャラは、2本と経費。」

「へ~、ボスって、優しいんですね。いつもの2倍じゃないですか。」トムは、ニヤッと表情だけ動かした。由美は応じず、ブラッディーマリを一気に飲み干して、スマホをバックに片づけた。

由美がビルを出ると、そのビルの明かりが消えた。夜のとばりの中には、何もなかったようにしか見えなかった。



2日後、トムは、麻生薫と2人で、由美の旅行社に来た。由美は、支店長に耳打ちした。

「支店長、2か月前に、退社した田中さん、うつ状態だったのに、妊娠してたんですよねえ!・・」

「いきなりなんだね、君は・・」支店長は、驚きのあまり、椅子が後ろの壁にぶつかる音が社内に響き渡った。

「支店長~、座られてください。・・・・・実は、今、贔屓のお客様がいらしてて、禁止されてるんですけど、社割を使わせて欲しいんですよ。見逃してくれません?」由美は意地の悪い笑みを浮かべた。

「まあ、しょうがないな~。社の利益になるなら、目をつぶろう。」支店長は、頬を引きつらせて、汗を一筋垂らしていた。

「支店長、ありがとうございます。」


「ああ、橋本さん、ごめんね~、ちょっと、代わってもらっていいかな?支店長指示なの。」

由美は、トムと薫が座っている窓口に割って入った。

「えっ、由美さん、そんな、いきなり。えっ、支店長?なんで?」海外旅行のチケットを横取りされる事をギリギリまで抵抗しようとしたが、由美の鋭い睨みに橋本は負けてしまった。


「すみませんね、担当させて頂く井上由美と申します。宜しくお願い致しますね。」由美は、席に座りながら、一礼した。

「ちょうど良かったわ!さっきの人さ、輝君がイスタンブールに行きたいっていうのに、パリからロンドンの旅を強引に勧めよとするのよ!失礼じゃない?」薫が、いきなり口を開いた。

「それは、申し訳ありませんでした。では、奥の手を使って、最高級のホテルを割り引かせて頂きましょうか?・・」由美が言い終わる前に、薫が身を乗り出した。

「いいわね、それ。」

「良いわよね、輝君、最高級ホテル!」言いながら、輝君と呼ばれるナイスガイの男性の右腕に抱き着いた。

「有難うございます。では、最高級ホテル特別割引で1週間の滞在で、宜しいですか?」

由美は、言葉巧みに20分余りで、契約を済ませてしまった。

「お客様、良いご旅行を。」由美は、旅行社の玄関まで2人を見送った。

5日後、輝と薫はイスタンブールの国際空港に降り立っていた。

乾燥した埃っぽい風、暑いのだけど、さらっとした感覚、これがトルコだよな!

輝君は、2年ぶりのトルコを無表情で感じていた。

運び屋は、身バレしないように、2~3年の充電期間を課せられている。

由美がボスになってから、ルールが変えられた。

だが、組織からの摘発者は未だ1人だけだ。

そいつは、組織に逆らって、小遣い稼ぎをした理由で、ボスの抹殺指令で行方不明になった。

実質は「ゼロ」だった。

だから、暴力団や某国の裏組織の信用は絶大だった。何せ、相場の5割増しの価格を

みんな喜んで払っている。

だから、俺らは、充電期間をバーテンなんかに成りすまして、情報の中継係とかの仕事まで準備してもらえる。

輝君は、深呼吸をするように、大きく伸びをした。

ここの空気は、俺に合ってる。

「ねえ、輝君、どうする?このままホテルに行くの?」薫は、輝をとても気に入っていた。

気に入るというより、これまで、こんなに自分が振り回されることが無かった。

この10日間、1度も抱かれずにお預けをされるなんて、初めての経験だった。

今までで一番自分好みの甘いマスクの男は、自分をどんな風に辱めてくれるのか、薫の頭の中は、その事しか入ってこなかった。

「薫さん、ホテルに行きませんか?」輝は、我に戻り、任務に戻ることにした。

「そうよね、そうしましょう♡」薫の声は浮かれていた。

空港のタクシー乗り場に立つと輝は薫の動きを静止して、右奥からゆっくり左奥まで顔を動かした。

馴染みの(ボス指定の)タクシーを探したのだ。

ここからは、全ての証言者がボスの管理下になければならない。

輝が左奥を見終わる前に、「だんな、安くしとくぜ!」と地場の男が声をかけてきた。

その男に目を移すと腕の見やすい位置に星の刺青があった。

「そう、じゃあ、頼むよ。」あまりのさりげない会話に薫は気づかなかったが、地場の男はトルコ語で語りかけ、輝は英語で答えたのだ。

「薫さん、乗りましょう。荷物は、男が載せてくれるようですよ。」薫の中で、輝の好感度だけが上がっていく。

「もう、私、どうなってもいい。」薫の独り言を輝は聞き流した。



ホテルに着くと、輝は、シャワーを浴びた。薫に促されたのだ。輝も、ちょうど、シャワーを浴びたいと思っていたところだった。

「あ~、さっぱりした。薫さんも、どうぞ。」頭をバスタオルで拭きながら出てくると、薫はスーツケースを広げて、どの下着に着替えるか思案の途中のようだった。

輝を見つけて、真っ赤になった薫は、慌ててスーツケースを輝の視線の外に押しやり、一番上に置いてあった淡いピンクのセットとポーチを持って、シャワールームに消えた。

時間は、やっと朝の9時になるとこだった。

約束の夕方まで、これからの残酷な体験に報いるような良い思い出を作ってやるか。

輝は、丁寧に時間をかけて薫を愛撫した。薫も何度も絶頂し、幸せを感じていた。

こんな男が欲しかった。

みんな、どこか私を見てなかった。

オドオドしたり、雑だったり、お金のことばかり言う男だったり、私を見ていなかった。こんなに私好みの男が、私をお姫様扱いしてくれるなんて・・。

私絶対、この人を離さない。

そう思っていたが、いつの間にか、寝ていたようだった。目が覚めた薫は、すぐに輝を探した。

輝は、奥の冷蔵庫から、ミネラルウォーターを2本取り出してきた。左手にミネラルウォーターのペットボトルとグラスを、右手は開封したペットボトルを口に運びながら、ベットルームに入ってきた。

「おはよう、ちょっと喉が渇いてさ~、飲んでる時に、物音がしたから、ミネラル

ウォーター、持ってきたよ。」

輝は、ベットサイドのテーブルに、自分のペットボトルを置き、グラスに薫の分の水を注いで、寝ぼけている薫にグラスを差し出した。

「ありがとう。」薫はグラスを受け取ると有無を言わさずに、キスをしてきた。唇にどぎついものを。

心のどこかに、輝が去っていく恐怖のような感覚があって、それを拭い去る様にキスをしたのだ。

「薫さん、これから、夕食もかねて市場に行かない?」こっちに来る前に、トルコブルーに興味があって、色々調べてたんだ。ダメかな?」輝は、媚びるように薫にささやいた。

「ううん、輝君の好きなもの、私も見たい。でも、少し支度の時間を頂戴。」そう言うと薫は、輝に嫌われないように、普段は、3時間かける身支度を、1時間弱で仕上げた。

「うん、薫さんは、いつもステキだね。さあ、行こうか。」

輝は、ホテルの玄関で、ボーイがタクシーを呼ぶのを静止して、薫と腕を組みながら、町中に消えていった。

薫は不思議だったが、何も言えなかった。

輝は、過去にここに来てる。土地勘があるのだと思った。でも、ポーカーフェースの輝を見ていると薫は飽きなかった。

市場を入って行くとジュエリー商っぽい店の人間が声をかけてきた。

「薫さん、良い宝石があるから、奥さんに買ってやらないか?って言ってるんだけど、見ていかない?」輝が薫を誘った。

薫は、「奥さん」のフレーズに舞い上がった。この店が高そうで、ふんだくられるかも?なんて事は、少しも思わなかった。

「うん、うん、見る。」薫が、輝の腕を引いて中に入った。ジュエリー商の男は、テーブルに2つの石を置いた。

輝が何か話して、紙にサインをした。

「明日、ネックレスにしてホテルに届けてくれるんだって、デザインは、僕に任せてもらえないかな?」輝が薫に囁いた。

「えっ、輝君、大丈夫、高くないの?」さすがに、薫も心配になった。

「それがね、掘り出もんなんだよ。これ、5万円だよ。未来の奥様に、プレゼントだよ。」輝は間髪入れずに、そう言った。

薫は、有頂天になり、不安な気持ちは、もうどこにもなかった。

「未来の奥様・・私、輝君と結婚できるの?私、幸せ。」薫は、そう呟いて、頷いた。

ジュエリー商の男は、輝に何か紙袋を渡した。小さなジュエリーが入りそうな紙袋だった。薫は気になったが、何も言えなかった。

薫は、その後のトルコ料理も何を食べたか、ほとんど覚えていなかった。早く、ホテルに戻って輝と2人きりになりたい!それだけだった。

輝と薫は、ホテルに戻ると、また、シャワーを浴びた。薫は、時差と夕食時のお酒も手伝って、軽い眠気に襲われていた。

ベッドで、輝の胸に顔を当て、そのまま眠りについてしまった。


翌朝、けたたましい怒声で目が覚めた。輝は大柄な男数人に連れていかれようとしていた。「なんなの、これ。」薫が大声を上げた。

他の男が、薫の髪を掴み、ベッドに押し付けられた。

「薫さん、抵抗しないで、彼らは警察です。」それが、輝の最後の言葉になった。

携帯も、財布も、荷物の全てを警察に持っていかれ、ネグリジェ姿のままで、警察署のソファーに座らせられた薫は、呆然としていた。すると、大使館員と名乗る男が、隣に座ってきた。

「あなたは、麻生薫さんで間違いないですか?」久々に聞く、日本語に、感情が戻ってきた。

怒りと悲しみが、一緒になったからか、涙を流しながら、大使館員に叫んだ。

「いったい、どうなってるの?輝君は?パパに連絡して!」

そう、言い終わると大使館員の声が頭に届いてきた。

「輝君は、現地男性ですか?あなたは、お一人で、トルコに来られて、ホテルにも、お一人で滞在されてるようです。」大使館員は、続けた。

「あなたの荷物から、国宝級の宝石が発見されたそうです。先月、盗難にあった物です。あなたは、窃盗団の一味と思われています。更に、麻薬の陽性反応が出ています。残念ですが、あなたは、有罪で、国外逃亡の恐れから、2時間後に拘束が始まります。まあ、羽目を外しすぎたんだから仕方ありませんよね。」大使館員は、やれやれといった感じで、薫の現状を説明した。

「そう、パパは?パパに連絡しなきゃ!あなた、携帯貸しなさいよ。公務員でしょ、これぐらい役に立ちなさい。」やっと薫本来の姿に戻ったが、もう遅かった。

輝に扮したトムは、渡されたブツを胃の中に入れ、空港に逃された。

警察の中の構成員が手配したのだ。

薫のパパの携帯は、由美の組織の人間がアプリをダウンロードし、海外の電波を全てシャットアウトされていた。

「何、この携帯、壊れてんじゃないの?通じないじゃない?」薫がキレていると、向こうからいかつい現地男が来た。

「ねえちゃん、タイムアップだ。取り調べだ。宝石は2つあるはずなんだよ。もう1つの方が重要なんだ。どこに隠したんだ。あ~、日本語しゃべってんじゃね~よ、トルコ語をしゃべれ!」そう言われながら、薫は奥へと連れて行かれた。

薫を見送ったこの大使館員も、組織の人間だ。

「ああ、ボス。任務完了です。完全に罠にはまりました。じゃあ、これで戻ります。」

「ありがとう。お疲れ様。」そう答えると由美は、電話を切った。

こうやって、トムの痕跡を全て消し去って、薫の一人旅行として片づけてしまった。「悪いけど、トルコの刑務所で10年ほど楽しんでてね!」由美は、そう、通話の終わったスマホに呟いた。


2年後、薫のパパが、外務省から1本の電話を受けた。

「すみません。麻生管理官。2年前、トルコに行かれた麻生薫という名の女性がいるんですが、お知合いですか?」

「どういうことかね」薫のパパが聞いた。

「旅行ビザで出国しているんですが、国内に戻った形跡がないのです。ビザが切れると厄介なので、確認です。」薫パパは、慌てて薫ママに連絡を取った。

「ちょっと、イスタンブールまで行ってくる。急用だ。予定は全てキャンセルだ。」誰に怒るではないが、怒鳴り散らしながら、イスタンブールへ急いで薫を探しに行った。薫パパが、薫を見つけた時は、刑務所内での暴行や現実逃避が重なって、廃人と化していた。

日本に帰国した薫は病院で一生を過ごすことになった。

娘の無実を晴らそうと薫パパは、色々と探ったが、どこの会社で旅券の手配をしたのかも痕跡が残っておらず、パパは、定年を迎えた。

ただ、薫はふっと、「輝君、大好き」とだけ、たまに呟くのであった。

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宝石の誘惑 レイ&オディン @reikurosaki

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