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    第1話への応援コメント

     売り上げとは欲望への奉仕なのですよ。すなわち、何らかの抑圧された願望を虚構世界という自由な世界という空間で満たす者を見て世界の在り方を『自分は常に正しかった』のだと確認する作業なのです。

     自然主義とはそもそもゾラとかその辺の小説家が自然科学の手法。つまり現実を写実するいうモノを文学の世界に持ち込もうとしたリアリズム文学なのですが。面白いことにゾラは自らが発表した自然主義文学の綱領を守ってない小説ばかりなんですよね。これはつまり小説は自然ではなく精神の領域であると証なのだと思います。

     知性の1形態としての想像力をなろう系はまさにそのまま。つまり素人であるがゆえに見たもの(ここでは想像力を差す)をそのまま描いたのです。想像力の世界を描くのはロマン派ですが彼らはあくまでも意識的にやっています。

     つまり、なろう系とは自然主義とロマン派の融合でありロマン派の自然を描くから新自然主義であるという、理解であってますか?

     そのため西欧科学主義と封建的ロマン派の間で悩みロシアという精神を構築しようとしたロシア文学は我々にはそのままでは理解不能ですし、様々な前提知識を要求します。なろう系も前提知識を要求する点では同じてす。ステータスオープンなんて、何も知らない人が見たら理解できないでしょうしね。

     これは単なる感覚で言語化出来てないのですが、なろう系は近代的精神を良く思ってないのだと思いますよ。啓蒙派がよみがえって呼んだら激怒するよう内容だと思います。

     その意味でなろう系は近代的精神のアンチテーゼとして捉えれば高尚でしょうね。

     

    作者からの返信

     自然主義を、まず『蒲団』のイメージで考えていましたところで僕の無知がまず露呈しましたね。
     しかも、「かつての日本型自然主義は、美術の発露、人間の研究を目的に意図的に行われたものである」
    とすると、芸術の作成という学問的な属性を破棄した形での欲望の発露、または営利目的の活動となる場合であれば、なろう系は根本的に自然主義から乖離してるな、と今考えました。
     ロマン派は、全くの想定外でした。自分のイメージとしては、「人間の欲望をありのままに、赤裸々に、容赦なく表現する作品の分類」を自然主義ととらえました。この属性が下卑たりとの非難は多いですが、まあ、そこは主観的判断なので一旦削ぎ落としました。でも自分も、その露骨な態度は苦手です。その面で、ギャルゲー、アイドルへの嫌悪が強いです。

     努力は勝つ、姑息な戦術が最終的に勝つことはありえない。それとも、単純に圧倒的な力を求める。このような思想は、安直なタイプの反知性主義でもありますね。安直じゃない、正統な反知性主義は僕は伺い知れないのですが、この側面では知性主義である近代精神と真っ向から対立するでしょうね。
     知性主義がそろそろ自己矛盾を生み出したのかもしれませんね。いや、もっと前からですかね。『こころ』で十分煩悶されていましたね。果たして文化は時代によって分割できるか分かりませんが、歴史修正主義が流行していることからも、近代精神は今重要な局面にありそうです。


     ちょっとこの僕の返信コピーして次のページにペーストしますね。まずかったら僕の近況ノートの方にご一報下さい。

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