想定外の事態

天文七年(一五三八年) 2月 伊勢国峯治城


「左近衛中将様、亡くなられてございまする」


 木造家家臣・宮田新兵衛家康が目の前で跪く。体の至る所に傷が窺え、火急の事態に見舞われたことは一眼で気づいた。しかし、綜讃もよもや木造具康が殺されるとは思っても見なかった。


 綜讃は靖十郎に上申して木造に調略を仕掛けたわけだが、元々ある程度の反発は避けられないと思っていた。実際、具康は不遜な態度こそ見せなかったが、綜讃に対して下手に出ることを嫌がるような素振りがあった。従四位下・左近衛中将は靖十郎の権中将と全くの同格であり、その家臣に過ぎない綜讃に頭を下げることには相当抵抗を感じていたわけである。


「如何なる仕儀でそのような事態に?」

「前当主である延邑斎様が突然城に乗り込んできたと思うと、『二人にしてもらいたい』と人払いを告げられ申した。ところが、一向に出て来ぬため怪訝に思い部屋に向かうと、既に息絶えていたのでございまする」

「実の父が息子を殺すとな。なんとも悲惨な話だ。仲が悪いとは聞いておったが、六角への臣従がそれほど腹に据えかねたというわけか」


 息子殺しは余程の事情が無い限り起こり得ない出来事だ。しかし、武田信玄や徳川家康といった歴史に名を残す英傑も息子を死に追いやっている。織田信長も弟である信勝を手にかけた。縁者に対しても冷徹になれる者が天下に手を伸ばせる資格を得るのかもしれない。綜讃も自身の息子を手にかける事を想像し、身震いした。自分には到底できぬな、と心中で苦笑を浮かべつつも、話を続ける。


「それで、木造延邑斎は城を占拠しておるのか?」

「いえ、某が居室へ足を踏み入れた時には、既に自死され息絶えておりました」

「左様か」


 綜讃は苦虫を噛み潰したような表情で語尾を沈めた。息子殺しの罪悪感に耐えられなかったのか、と綜讃が解釈すると、同情から視線を虚空にやる。


「我ら家臣は命辛々どうにか逃げ果せたものの、木造城は北畠によって乗っ取られてしまい申した」

「まるで子殺しを悟っていたかの迅速さであるな。宗家に命じられたのやもしれぬ。いずれにせよ、想定外の事態だ。早急に対処せねばならぬな」


 綜讃は目を細めて告げる。北畠に乗っ取られたとはいえ、田丸城が制圧されている以上北畠が北に全軍を差し向けるのは不可能。田丸城が落ちてからまだ10日も経っていない。いくら臨戦体制を整えていたとしても、指揮官が大河内城に詰めていない以上、木造城までまとまった軍を動かすにはある程度の時間を要する。

 

 しかし、北畠は綜讃の想定を上回る策を展開する。北畠は木造城を乗っ取った後、直ちに民を扇動した。朝方未明に木造領の村々を荒らし、大声で六角方の仕業だと知らせ回るという策で六角に敵意を向けるように仕向けた。木造領の民は以前より長野の圧力を受け続けていたこともあり、六角に臣従した長野の仕業であると信じ込む。反六角派で固まった木造領は、六角にとって要塞と化した。


「なるほど、我らが木造領の鎮圧を行う間に、主力を田丸城に送り込み、城を落とす算段か。後顧の憂いを無くし、全軍を以て我らを討ち果たすつもりであろう。さすがは星合中納言と言うべきか。老獪よの」


 しかし、北畠にも誤算があった。田丸城攻めの兵こそ近い有事を見越して集まっていたものの、一部の指揮官が兵に帰還命令を下し、日和見に転じたことである。お陰で5千は下らなかった兵が3500程度にまで落ち込んだ。星合親泰は当初、長男の大河内具良に率いらせ、田丸城の奪還に乗り出す腹積もりであった。だが自身の求心力の低下を見て、生半可な攻勢では木造領が再び制圧されるまでに田丸城を落とすのは難しいと判断する。木造領は元々捨て駒同然であり、木造城に入った将も身分が低い者であった。親泰は具良に大河内城の守備を任せ、3千の兵を以て即座に田丸城の奪還へと動く。


 北畠が動いたのを見て、綜讃はすぐさま行動に出る。綜讃直属の本隊2千と長野の2千を加え、現状の総兵数は4千というところ。とはいえ綜讃は正面から戦うつもりはなかった。


 若い頃、川並衆の傭兵として数々の戦地を転々としてきた綜讃は、戦略面でも豊富な場数を表すかのように視野が広かった。木造領は半月もあれば再制圧は可能だろう。しかし、領民の多くが敵に回ったとなれば、規模は違うものの一向一揆と同然の敵とも捉えられるのだ。一人一人の練度は低くとも、かなりの損害を覚悟する必要がある。北畠の策略に惑わされたとはいえ、一度は六角に下った者たちを大量に手にかけるのは、靖十郎も是としないだろうと考えた。そもそも、綜讃は靖十郎から預かった大切な兵を無駄に浪費するつもりはなかった。


(真正面から槍を交えるのみが戦にあらず。手薄になった部分を突くが戦上手の流儀よ)


 手薄になった部分とは、すなわち大河内城である。大河内城は背を山に囲まれており、外敵には滅法強い立地であった。しかし、それが機能するのは霧山城が健在であればこそである。


 霧山城が既に六角の手に落ちた今、大河内城の後背はがら空きとなっている。親泰がそれを失念しているはずもないが、霧山城から大河内城の山道は行軍に適しておらず、大軍の移動は不可能だった。そのため、背後への警戒は比較的緩いものであった。


 綜讃は霧山城を治める現田屋家当主・田屋掃部介景貞に遣いを送り、大河内城への奇襲を要請した。伊賀三人衆の一角である田屋家は河合衆という豪族衆を従えており、彼らは特に過酷な山道や荒れた道の移動に優れた者達だった。


 手勢は百人に過ぎないものの、手薄となった大河内城の攻略には十分勝算があると綜讃は見込んでいた。

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