北伊勢平定

天文六年(一五三七年) 8月 伊賀国壬生野城


 俺が壬生野城へ帰還した数日後には、定頼率いる六角軍が観音寺城を出陣し、それから半月ほどが経過した。


「北勢四十八家はすべて降伏、あるいは滅亡したか」

「思うたよりも呆気なかったですな。もはや北畠からの援軍が期待できないと悟り、六角の大軍を見るや否や、多くが態度を一変させ申した」


 服部半蔵の報告を受けた俺は驚くことはなく、納得するように頷きながら返答する。


「外敵には協力して対抗すると聞いていたが、所詮は烏合の衆に過ぎなかった、それだけのことだな」


 北勢四十八家の筆頭格であった千種は北畠の客将という立場に依存する形で権威を保持していたものの、北畠晴具の戦死により後ろ盾を失い、窮地に立たされることとなった。そして北畠派に与していた勢力の大半が戦うことなく開城すると、身の危険を察知した千種治清は家族と僅かな郎党を引き連れて桑名から海を渡り、北畠領へと落ち延びたそうだ。降伏臣従が嫌ならば先祖代々の領地を守るために最後まで戦うのが常識だと思っていたが、どうやら千種治清は自分の命を最優先に考える男だったらしい。

 

 千種に味方する姿勢を見せていた恩顧の国人もいたが、最終的には梯子を外されて見捨てられる恰好となったため、激怒しつつも結局は降伏臣従を決断した。定頼も流石に哀れに思ったのだろう。北畠派だった諸将の領地は完全に召し上げられたものの、全員が助命されて俸禄で仕えることになった。おそらく旧領地から切り離して直轄地の代官などをさせるのだろう。


 関も臣従したらしい。かなり厳しい条件だったそうだ。所領は東海道沿いの半分ほどを召し上げで済んだようだが、その代わり人質として嫡男を六角家に預ける形になった。六角が粘り強く交渉を重ねながらも、日和見を続けて最後まで首を縦に振らなかったのだから、自業自得と言わざるを得ない。


 これで残る敵対勢力は河曲郡の神戸や川俣(楠木)くらいだ。北畠と縁が深く、六角の侵攻に断固として抵抗する姿勢を露わにしている。ここを降すことができれば一向衆が支配する桑名郡を除いて北伊勢の制圧はほぼ完遂される。員弁郡や朝明郡、三重郡に加えて鈴鹿郡をほぼ無血で制圧できたことで、六角の兵の損耗はごく軽微なものだったので、楽に制圧できるだろうと見ている。


 それと関は降伏臣従した他の国人と一緒に、神戸と川俣攻めの先鋒を任されるらしい。降伏したばかりの外様が忠誠の証として兵の損害を大きく被る先鋒を命じられるのはこの時代の常識だからな。いずれにせよ、六角定頼が自ら率いる軍勢であれば、苦戦することなく北伊勢を手中に収めるはずだ。










「川俣兵部少輔、自刃して果てたとの由にございまする。女と子供は城から脱して落ち延びようと試みたようですが、全員捕縛しておりまする」

「左様か」


 六角定頼は伝令兵の報告を聞くと、ホッと息を吐いた。後藤但馬守に川俣攻めを任せ、定頼自身は神戸攻めの本陣に身を構えており、逐一報告を求めていたのである。川俣と神戸、このどちらかが崩れた瞬間、戦況は決すると見ていた。そしてこの戦はいかに損耗少なく勝利するかが追求されることとなる。


 定頼の読み通り、川俣が降伏したことで六角の全力に対応する必要に迫られた神戸は、六角勢の勢いに耐えかねて、川俣の降伏から数日ののち自ら城に火を放って果てた。


 こうして北伊勢全土の平定が成り、六角は後藤但馬守の兵を丸ごと北伊勢の掌握のために残し、本隊を撤退させることとなった。


 六角軍は梅戸城で一夜を明かした後、翌朝に観音寺城に向けて撤退を始める。八風街道の石榑峠を越えて近江国に入ると、軍全体は微かな安堵感に満ちた。


 八風街道沿いにある永源寺は六角家の先祖が建造した物であり、峠越えを果たした六角軍は愛知川を挟んだ寺の南で野営し、定頼を始めとする重臣は永源寺に宿泊していた。


「……何事だ?」


 寺の一室で就寝していた定頼は、風に乗って微かに流れてきた金属音を察知し瞼を開いた。


「わ、分かりませぬ」


 見張り番に声をかけるも、分かるはずもない。警鐘を鳴らす自らの心の臓を抑えつけながらも、襖を開き縁側から鋭い眼光で周囲を見渡した。しかし暗がりの先の光景を垣間見ることはできず、静かに歯を軋ませる。


「管領代様、ご無事ですか!」


 寺の住職に続くように重臣の面々が現れる。その表情は一様に困惑の色を帯びていた。


「何があったのだ」

「野営している本陣が何者かに襲撃されたと」

「夜襲、か」


 心の中で既に答えは出ていたからか、定頼の中に驚きは無かった。額に滲んだ汗を拭いつつ瞑目する。重臣の面々も定頼の判断を待っていた。


(近江に入った故に自然に心が緩んでおった。まだまだ詰めが甘いわ。こうした不測の事態も想定すべきだった)


 寺の南に流れる川が定頼と本隊を分断しており、即座の合流は不可能だった。寺の敷地は野営できるほど広くはなく、必然的に川を挟んだ向こう岸に陣を敷くことになっており、寺の守備に割く将兵はごく少数に限られていた。


(この隙を狙ったと考えると、かなりの切れ者と見受けるが……。靖十郎殿ということはまずあるまい。そうなると浅井、京極か? いや、今左様なことを考えても詮無きことだな。まずはこの事態を打開せねばならぬ)


「住職、寺の裏に抜け道などはあるか?」

「西と北にいくつか」

「西に落ち延びるのは拙かろう。開けた場所にみすみす姿を現す訳にも行かぬからな。となれば北か」

「北の道は角井峠へと通じておりまするが、とても道と呼べる代物ではなく……」

「ここで敵に葬られるよりは余程良い。案内してくれ」

「しょ、承知いたしました! こちらにございまする」


 定頼は歯噛みしつつも、ここで徒に時間を浪費して留まるのが最も愚かだと考え即座に決断を下す。定頼の判断に異を唱える者はいなかった。


「明かりはつけるでないぞ。敵に察知されては我らの逃げ道が露見してしまう故な。可能な限り足音も殺すのだ。敵がどこに潜んでいるか分からぬからだ」


 定頼は永源寺の住職の先導に従い、険しい山道を進みながら僅かばかりの配下に釘を刺す。一行が進む道はもはや道と表現できるほど整ってはいない獣道であり、小川がすぐ側を流れているためか土壌はやや緩く、足場は非常に不安定なものだった。


 しかしそれもまだ良い方であり、さらに進むと東近江の山々が立ちはだかる。道はいくつもの稜線を伝って細々と繋がっており、あまりの険しさに、厳しい鍛錬を日々積んでいる重臣ですら揃って顔をしかめた。


「住職、ここまでで構わぬ。我らは日頃鍛えておる故問題あるまいが、お主にはちと過酷であろう」

「我が寺は六角家に代々手厚い支援を頂いておりまする。困難の時にこそその御恩に報いずして、どうして御仏の代弁者を名乗れましょうか。こうして身を賭してでも管領代様をお守りせよと、御仏は申しておられるのです」


 定頼は歪みのない真摯なその言葉に目を細める。そして瞑目して静かに二度首肯すると、再び先の読めない深淵に歩みを進めた。

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