工藤兄弟の仕官

「こちらにございまする」


 菅助に案内されたのは、駿府の中心からやや外れた場所にある貧乏長屋が立ち並ぶ一角であった。不穏さが見え隠れする場の雰囲気に少し身構えながらも、臆すことなく歩みを進める菅助を見て堂々と背を伸ばした。


「菅助殿、如何なされたのですかな? 今川に仕官の願いに向かったと聞きましたが」

「いや、そちらは門前払いでな。徒労に終わった。しかし偶然こちらの御方に出会ってな」

「そちらの御方は?」

「伊賀の冨樫左近衛権中将様だ。幸運にも某の才を買ってくださり、仕えさせていただけることになった」

「おお、めでたくございますな。ではわざわざ別れの挨拶に?」

「いや、左近衛権中将様にお主らを紹介しようと思うてな。左近衛権中将様、彼らは工藤兄弟にございまする」


 工藤? 朧げに聞いたことがあるが、若いな。二人とも十代半ばくらいの年齢だろうか。


「甲斐工藤家の者か」

「さ、左様にございまする。某は工藤源九郎昌祐、こちらが弟の工藤源左衛門祐長にございます」


 工藤兄弟は平身低頭といった様子で脂汗を滲ませてこちらへ目を合わせようともしない。工藤兄弟が住んでいるらしき家からは、少しやつれた表情の母や郎党らしき者が顔を覗かせて、固唾を飲んでこちらの様子を見守っているのが見える。


「甲斐から一族郎党を連れて流浪しておったか」

「はい。領地を召し上げられては食うてはいけないのは必定でござれば……」

「……甲斐工藤家は取り潰しとなったのか。さぞや苦労したであろうな」


 しんみりとした空気が流れる。それが原因で貧しい生活を余儀なくされていたのか。食い扶持が多いにも関わらず、働き口も得られていないようだから、こうした環境に収まってしまうのも無理はない。

 

「武田家に仕えていたそうだが、なにゆえ今川家に仕官できずに燻っておるのだ?」

「はっ、武功を示すような感状も持ちませぬゆえ、武田家に仕えていたという話も怪しまれ、素性の定かでない者は名門の今川家には相応しくないと断られましてございまする」


 菅助と似た感じだな。今川家は素性をかなり重視している。


「なるほど、確かに牢人者には他国の間者も紛れておるやもしれぬゆえ、そう易々と召し抱える訳にもいかぬであろうな。されど、そもそもお主らは何故仕えていた武田家を辞したのだ?」

「はっ、実は今川家の花倉の乱で敗れた玄広恵探方の者が武田家を頼って甲斐に逃れてまいりました。ですが、今川との関係を危惧された主君の陸奥守様が全員に切腹を命じられたため、我らの父・下総守虎豊が陸奥守様を諌めましたところ、勘気に触れて処刑され申しました。うっ、ううっ……」

「我ら兄弟は連座を恐れて家族郎党と共に武田家から出奔し、敵対する北条に仕官できるはずもなく、駿河に流れてきた次第にございまする」


 嗚咽に言葉が詰まる兄の言葉に続けて、祐長が冷静な様子で告げる。確か史実では工藤兄弟は後に武田晴信に帰参を許され、確か弟の方は内藤家を継いで『武田四名臣』の内藤昌豊となったのではないだろうか? もしそうであれば、山本菅助といい工藤兄弟といい、これほどの名将に続けて出会えるとは又とない僥倖としか言い様がない。信虎は諫言が度を過ぎたとはいえ自ら偏諱を授けた家臣でさえも処刑するとは相当に苛烈な性格だ。甲斐で会話をした時はそれほど苛烈には思えなかったが、あれは外向きの姿だったのかもしれない。


「そうであったか。……よかろう。お主ら兄弟を冨樫家に召し抱えよう。必要ならば郎党の者も小者や人足として召し抱えよう」


 断る理由もないし、まだ青いとはいえ今後の著しい成長が見込める兄弟をみすみす見逃すわけにもいかない。


「あ、ありがたき幸せにございまする!」

「身命を賭してお仕えいたしまする!」


 余程困窮に喘いでいたのか、背後にいた工藤家の郎党は感極まって叫ぶように泣き出してしまう。工藤兄弟はそれを宥めるようにあたふたしていた。







 駿河で家臣となった三人と三井虎高にそれぞれ山本菅助延幸、工藤源九郎昌嗣、工藤源左衛門延長、三井与左衛門延高と偏諱を与えた後、一行は帰路に就いた。


 俺はその中途で遠江国の相良という地で臭水、即ち石油の買付けを行った。目的としては鉄砲に先んじて強力な武器を手に入れることである。石油(ナフサ)には増粘剤を加えることで焼夷弾を作ることができるのだ。本来、石油は油田から産出する原油を精製する必要があるが、その工程を経ずにナフサを手に入れられる相良油田は世界でも稀な存在である。


 ナパームは親油性が高く水では消えることがないため、第二次世界大戦の空襲では猛威を振るった。ただ作ったとしても威力が非常に強くあまりに殺傷性が高いため、対人の兵器として使うのは正直気が進まない。


 そのため使用する場合は味方の不利が明確な場合か、城攻めに苦戦した場合などと定め、可能な限り使わない方針で考えている。言うなれば万が一にも負けないための最終手段だ。


 しかしそもそもナパームが作れるかは不明瞭であるため、相良の石油もとりあえずは小さな壺で少量だけ購入し、作れる確証を得られた時に改めて伊賀衆を派遣して継続的に取引を行う契約を結んだ。その際、加賀の菊酒を交換条件として提示し、伊賀の葡萄酒が完成した場合にも優先的に送る口約束を取り付けることで、臭水の譲渡を認めさせた。理由を問われたものの、正直に答えるわけにもいかないので、「灯火用に使えないか試してみたい」と適当に返したら納得したようだった。


 壺も重かったので、三河からは船を使うことにした。三河は森山崩れによる混乱が収まりきっておらず、清康の跡を継いだ松平三郎広忠も岡崎城には復帰できたものの今川や吉良の支援を受けざるを得ず、今川に半ば臣従する形となった。ただ今川も磐石ではなく、花倉の乱だけでなく義元の弟である今川氏豊が尾張の那古野城を失陥している。そのため反今川派で、広忠の岡崎入城に大きく貢献した叔父・松平蔵人佐信孝が織田方に付く形で松平家は分裂し、信孝は三木松平家を興すことによって溝は深まっているのが現状だった。


 衣ヶ浦から船に乗り、大湊へと辿り着いたのち、伊賀街道を通じて壬生野城へ向かう。その道中、長野領に差し掛かったところで俺は工藤兄弟に告げる。


「あの山の向こうは伊賀だが、手前にあるこの長野の地を治める国人領主の長野工藤家は伊東氏の出自だという。工藤という名字、伊東家の通字である『祐』の字を二人が名乗っていたことから鑑みるに、お主たちも同じ伊東氏の一族なのであろう?」


 近江の近藤や加賀の加藤など「藤」の字がつく姓は藤原氏の傍流を意味するが、工藤氏は始祖の官職が木工助であったことからついた姓だ。伊東氏は工藤氏の支流の伊豆工藤氏が源流で本貫地は伊豆にあり、その庶流が甲斐に流れたと見るのが普通だろう。


「はっ、御明察にございまする。我らの甲斐工藤家の先祖は伊東氏の庶流にあたりまする」

「やはりそうか。長野領は伊賀と隣接しているが、長野工藤家とは今のところ敵対もしていないとはいえ、友好関係でもない。しかし長野家は北畠から圧迫を受けており、このままではいずれ滅ぼされると見ている」


 北畠との戦況は膠着状態ではあるものの、徐々に押されつつあるのは明らかだ。史実でも長野工藤家は北畠に乗っ取られ、現当主の稙藤と次期当主の藤定は暗殺されて名実ともに滅ぼされる憂き目を見る。


「……」


 二人は複雑な面持ちだ。達観したように瞳が据わっており、長野工藤家がその滅びを甘受するしかないと思っている。友好的な関係でない以上、自分に出来ることが少ないことを自覚している。


「だが、遠縁とは言え、同族が滅びるのを黙って見ているのは忍びないであろう?」

「「無論にございまする」」


 俺の言葉に一縷の望みを感じたのか、やや明るい調子で口を揃えて唱えた。


「そこで二人には初めての役目を命じるとしよう。長野工藤家の長野宮内大輔を訪ね、同族であるお主たちが冨樫家に仕えることになったことを伝えよ。今後は困ったことがあれば、いつでも相談に乗ると伝えて誼を通じるのだ」

「我々が冨樫家と長野工藤家との橋渡し役となり、長野工藤家をお味方に引き入れるのでございますな?」

「そうだ。重要な役目ゆえ頼んだぞ」

「「はっ、承知いたしました」」


 北畠との対立関係が深まっている以上、長野工藤家にとって隣国の冨樫家をわざわざ敵に回すメリットは何一つないから、無下にはしないはずだ。長野工藤家を味方にする意味は大きい。六角が北畠との融和的関係をこのまま維持し続けるとも思えない。必ず北伊勢を攻める決意をする筈だ。この長野工藤家調略はその一手になるだろう。

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