甲斐訪問③ 三井虎高の仕官
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会談はその後も和やかな空気で話が展開され、公頼が信虎に向かって俺の伊賀統治や摂津と京での戦功をまるで自分の功績のように語っていた。甲斐には法華宗の総本山である身延山久遠寺があり、武田家が庇護していたことから信虎も法華宗の敵である比叡山の焼き討ちに興味を示し、その後は俺そっちのけで二人で盛り上がっていた。
そうして二人の盛り上がる会話を傍目に小さく息を吐くと、会談が始まってから微動だにしていない男の姿が視界の隅にあることに気づく。
ただ静かに腰を据えているというよりかは、肩身が狭そうな様子である。年もさほど離れていないように感じ、妙に気になってしまった俺は思わず腰を上げた。
「如何されましたかな?」
「これはこれは左近衛権中将様。某のような末端の一家臣にお声を掛けてくださり、誠に嬉しゅう存じまする。しかしご心配には及びませぬゆえ、某のことはお気になさらず」
一瞬目を見開いて驚きを露わにした男だったが、すぐに背筋を張って謙る。
「左近衛権中将様、そのような者ではなく、我らと酒を酌み交わしませぬかな?」
そうしていると、先ほどからこちらを窺うような素振りを見せていた数人の武田家臣が声を掛けてきた。
言葉の節々に、この男を卑下するような色を読み取った俺は、努めて表情を維持しつつ、丁重な口調で応える。
「若輩者ゆえ、あまり酒が得意ではないのだ。それに少々この者と話したくてな。申し訳ない」
「そやつと話しても何も益はございませぬぞ」
「ご忠告痛み入る。ただ益があるかないか、そのような尺度で今私は物事を考えてはおらぬゆえな。少し、付き合ってはくれぬかな?」
「は、はあ」
あからさまに困惑した表情ながら、俺の誘いに男は重い腰を上げた。
屋敷の外に出て、しばらく風に当たりながら無言を貫いていたが、程なくして俺は開口する。
「そういえば名前を聞いておらなんだな。聞かせてもらえるか?」
「三井与左衛門虎高と申しまする」
虎という字の偏諱を信虎から受けているということは、かなりの信頼を受けているのだろう。それに、虎高という名前にも聞き覚えがあった。武田家に仕えていることからしても、あの藤堂虎高だろう。
「武田家は甲斐源氏の名門ゆえ余程血筋でも良くない限り、余所者には大変厳しくございましてな。某は近江の出身ゆえ、家中では疎まれており申した」
近江出身、というところも一致している。今は三井を名乗っているが、近江に帰国した際に藤堂家に婿入りして家督を継ぎ、浅井配下の土豪として定住することになるのだろう。
「ですが彼らの感情も理解はしており申す。某のような若輩の余所者が陸奥守様の側に据えられるなど、我慢ならないのも分かるのです。そろそろ潮時とも感じており申した」
「潮時、とは?」
「御恩を頂いた武田家にこれ以上迷惑を掛けるのも心苦しいゆえ、越後の長尾家あたりに仕官しようかと思うており申したところでございまする」
「越後は内乱で乱れておるゆえ武田に仕えておった者が仕官しても間者と疑われるだけであろう。……三井殿、お主さえよければだが、当家に仕える気はないかな? 伊賀は故郷の近江も近かろう」
その才を流浪の身や小さな土豪で留めておくには勿体無さすぎる。気づくと俺はそう勧誘していた。
「……某のような若輩者を、ですかな?」
「なぜ己を卑下する。陸奥守殿が認めた才覚を、どうして疑おう。それに長尾に仕官しようと思うておったのだろう。それが冨樫になったとして何を気にすることがある?」
確かな実力があるのは、疎んでいる武田家臣も認めるところだろう。若さゆえに周囲の言葉を真に受けた部分があったのだろう。
だが長尾に仕官しようと考えたのは、きっと心のどこかで自分はやれるのだという自信があるからだ。実力主義で下剋上を成し遂げた長尾ならば、己の才を発揮できるのではないかと思ったのだろう。
ただ、史実ですぐに長尾も出奔することになったのは、長尾為景の隠居で明らかに勢威を失していくのを目の当たりにしたからかもしれない。
「自信がない、などというわけでは決してないのです。されど冨樫家は名家と伺っております。この身がその末席を汚すのを、どこかで躊躇っている自分がおり申す。……ですがこのようなお誘い、二度と受ける機会は巡っては来ないでしょう。本心を申せば、すぐにお受けしたい」
どこか落ち着かない様子なのが、虎高の逡巡の程度を感じさせる。
「名家、などと大層な家柄のように聞こえるが、元を辿れば当家もただの武家だ。足利尊氏公によって加賀一国を守る守護となり、お主らが口を揃えて申す『尊い血筋』になったのだろう。だがつい最近まで、冨樫は加賀を治めるどころか加賀に居られないほどだった。領国を追われた守護であっても尊い血筋と言えるのか?」
「……尊い血筋は、一度尊くなった時点で血筋が途絶えるまで続いていくものかと存じます」
「私はそうは思わぬ。尊い血筋など、人が勝手に作った愚かな幻想、共通認識に過ぎぬ。少なくとも当家は分家であるし、血筋など一切関係ない実力優先主義の家だ。その証拠に、私は世間で蔑まれる伊賀の素破を重用している。ゆえにお主も余所者であろうと例外ではないぞ」
「……」
「もう一度問おう。当家に仕える気はないか?」
俺の真剣な眼差しに、虎高はジッと見つめ返したまま長考に耽る。
「……伊賀守様がこの身を欲すると仰るならば、某はお仕えしたく存じまする」
「その決断、後悔させぬと誓おう」
俺はフッと柔らかく微笑んで答えた。
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