公家衆の退避

天文5年(1536年)7月 伊賀国壬生野城


「ここが壬生野城か。思うた以上だ。伊賀国司の居城としては申し分なかろう。いや、むしろ天下に並ぶものなしの巨城だ」


 京から避難してきた三条公頼が壬生野城を目の前にして手放しで褒め称える。


「まだ建築途中にございますが、畿内随一の城であると自負しております」

「ほう、これでまだ建築途中とな」

「あの上に天守という巨大な物見櫓を整備する腹積りでおります」

「なるほど、天守とな。それにしても壬生、水の辺か。そのようだな」


 当初は整備されていなかった畦道同然の道は整備され、人が難なく通行できるようになっている。ただ少しでも道を外れると泥田となっているため、壬生野という由来に納得したように頷いていた。


 壬生野城の大部分は完成したが、予想よりも早く秋には完成が見込めそうだ。他の公家の面々もその威容を目の当たりにして感心したように目を瞬かせている。


「山の反対側の麓に町を形成しております。ここを伊賀の中心と据え、商いも活発化させるつもりです」

「伊賀は貧しいと言われてきたが、立地に関しては申し分ない。ここはこれから発展していくのだろうな」

「亜相様に太鼓判を押していただけるとはますます統治に身が入りますな」


 俺は柔和に微笑むと、公頼は小さく首肯した。


「義父上! ご無事でしたか!」


 談笑しつつ屋敷に近づくと、稍が一目散に歩幅狭くトコトコと駆け寄ってくる。憑き物が取れたように屈託のない笑顔を浮かべている。俺も危険が蔓延る京に向かったのだから、稍自身気が気ではなかったのだろう。


「おお、稍か。麿は問題ない」

「無論私も亜相様を心配しておりましたが、何より稍の不安げな顔が目に毒でしてな。居ても立ってもいられず追われるように京に向かい申した」

「ほほほ。麿はこの程度で死なぬ。孫の顔もまだ見ておらぬ故な」


 軽口を叩く公頼を前に稍は少し視線を落として顔を赤らめた。だが、史実の公頼は15年後に下向先の山口で大寧寺の変に遭って殺されてしまう。公家と言えども命の危険から逃れられないのだ。


「しばしゆるりとお過ごしくだされ」


 以前稍と京を訪ねた時も長居はできなかったので、ここで親子として時間を過ごしてもらいたい。定頼も頻繁に文を送ってくれるし、両親と死別しているとはいえ二人の義父がそれを埋めるように気にかけてくれている。


「うむ、そうさせて頂こう。だがタダ飯喰らいになるつもりは毛頭ない。麿もそうだが、他の者にも何かできることはないか?」


 公頼は顔を引き締めながら俺の双眸を見つめる。俺も稍の養父である公頼は別として、公家の面々をタダで滞在させたいとは思っていなかった。いくら冨樫家の財政が裕福であるとしても、百人を超える公家とその関係者を養うのは小さな出費では済まない。公家という身分を考えると、こちらとしても最低限の対応で粗略な扱いをするのも拙い。そうなれば衣食住でそれなりの扱いをする分だけ出費がさらに嵩むことになる。ただそれを到着して早々に言うのも憚られるので折を見てと考えていたが、思わぬ救いの手が差し伸べられたものだ。


「願ってもない話にございますが、よろしいのですか?」

「うむ、なんでも申し付けてもらいたい」

「では書状や文書の代筆を行ったり、軽微な訴訟の裁定、その他庶務の処理等を行って頂きたい。それ以外にも当家の者、特に若い者に礼法や文字を始めとして歌学、茶の湯などの教養、弓術、馬術などの武術の指南役もしていただきたいのですが、如何ですかな?」


 右筆としての仕事に限らず、幅広く文官として役立てたい。文字を書ける人間は貴重だ。公家のほとんどは文字を書けるし、高い教養も身につけているので、教師役としても役立ってくれると思った。身を寄せたのは経済的に困窮している下級の公家ばかりで、冨樫家の世話になって肩身の狭い意識もあるだろうから、見下したり差別意識を露わにすることはまずないだろう。その示威も兼ねて正面から城郭を見せたのだが、天守を見せつけられれば一番だったな。


「その程度ならお安い御用だ」

「それと以前三好から貰い受けた船がありましてな」

「船?」


 唐突に何の話だ、という表情を見せる。そうか、一向一揆との戦いで敗走していた細川軍を助け、壊滅させたという結果こそ知っていても、その上で礼として譲られた物は広く公言しているわけではなかった。


「明の密貿易船にございまする」

「成程、三好は助けた恩に報いたと」


 察しよく公頼は納得顔を浮かべる。


「左様。その密貿易船には様々な宝が眠っており申した。絹織物や生糸など高値で取引される物も多く、個人的な宝はてつはうにございました」

「てつはう、武器のことか」

「その火薬の調合法が記してあると思われる書物もありましてな。ですが何せ漢文ゆえ我々は解読に苦労しており申した。亜相様は漢文が読めるとか」


 学生時代に漢文は習ったし、それなりに得意である自負はあった。だがこの時代の書物は活字ではないうえに、漢字自体も旧字体で読みにくく、内容も学生レベルで解読できるような代物ではないため、辛うじて読み取れたのは火薬の調合法であるということだけだった。


 鉄砲がある時点でもしかしてとは思っていたが、おそらく明の商人は鉄砲に火薬の調合法を抱き合わせて売る魂胆だったのだろう。鉄砲単体だけでは何の意味もないからな。史実で大友宗麟から足利義輝に献上され、その後長尾景虎に下賜された秘伝書である「鉄放薬方并調合次第」と同様に複写されて持ち込まれたものかもしれない。他にも漢方薬の書物なんかもあったので、翻訳すれば役立つかもな。


「読めるとは思うが、もしや鉄砲を作る気か?」

「御明察にございます。鉄砲は今後日ノ本を席巻する強力な武器となりましょう。既に鉄砲の複製を作らせている最中であり、苦戦してはいるようですがじきに完成しましょう。一度完成した後はそれを量産に移していくつもりです」


 鉄砲を量産できるようになれば、まずは自国での配備が優先だが、その後は高値で他国に売りつけて儲けることもできるだろう。火薬に必要な硝石の作り方も知っていたから、既に五箇山で作らせ始めている。とはいえ次郎兄上の話には肝を冷やした。よもや五箇山での採掘が長尾に漏れているとは思わなかった。


 その弱みにつけ込んで、長尾為景は冨樫家との婚姻同盟にまで漕ぎ着けた。戦国でも指折りの梟雄である以上、油断ならない男だというのは知っている。しかしこの段階で同盟を持ちかけてくるのは想定外であった。これは為景の焦りを表しているのかもしれない。


 ただ、内容を相互不可侵、相互防衛のみにできたのは次郎兄上の手腕のおかげだろう。俺も先制的に現状の一向一揆を刺激するのはあまり良くないと思っている。


「となればまだまだ戦は終わらず、これからも続くのであろうな」


 その未来を空想するように、公頼は虚空を見つめている。史実どおりに鉄砲が広まり始める前に鉄砲の量産体制を整えられたならば、戦を優位に進められるようになるのは間違いない。俺は同意を示すように首肯した。

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