尾張訪問③

 豊臣秀吉が川並衆の棟梁である蜂須賀小六を口説き落としたのはあまりにも有名な逸話である。


 普段は水運や治水を生業としつつも、相応の武力を抱えているため、時には国内外の戦で傭兵として活躍することもある。それが川並衆だった。


 美濃と尾張の国境では紛争が頻発し、安定した支配がほとんどなされなかったことや、日本三大急流と後世で呼ばれる木曽川は時折氾濫するために、木曽川沿岸部は本来人が住めるような土地ではない。


 しかし、世間からのあぶれ者は治外法権の中洲に吸い寄せられた。そしてそれはやがて集団を形成し、川並衆の土台となっていく。そのあぶれ者の集団が、河原を根拠地として住み着いていた。そうした経緯であるため、『川賊』と蔑まれることも少なくない。そしてその見方は決して間違ってもおらず、往来する川舟に対して通行料の徴収や海賊的な略奪行為も当然行っていた。


 無論、木曽川や長良川の水運を握った川並衆を取り込もう、などと考えているわけではない。そもそも現時点では川並衆も然程強大化しておらず、小規模な徒党に留まっている。


 葉栗郡の木曽川沿岸に位置する松倉城は、然程規模の大きい城ではないが、木曽川の洪水によって頻繁に所属する国が変わるほど不安定な立場にある城だった。


 なぜ俺がここを訪ねたかというと、松倉城の城主で坪内家当主・坪内対馬守友定は、俺にとって縁戚に当たるからだ。史実における坪内家には、友定の孫娘に婿入りした坪内光景がおり、これはかの前野長康である。坪内家は蜂須賀家や前野家の影に隠れがちだが、木下藤吉郎の墨俣築城に際していの一番に相談を受け、前野一族の協力取り付けや蜂須賀の説得に尽力するなど、大きな役割を担った一族だ。特に坪内為定、勝定兄弟は兵法者としても名を挙げており、木下藤吉郎からも多大な信頼を受けその出世に貢献した。


 松倉城では還暦前後という容姿の男に出迎えられた。その男はバツの悪そうな顔で視線を逸らしている。


 元の名を冨樫頼定と言い、加賀から尾張まで赴き、尾張冨樫家の末裔である坪内家に婿入りしたのは、この男・坪内頼定だった。今は隠居して綜讃と名乗り、現当主・友定と共に共同経営をしているという。覇気に欠けながらも、その瞳には理知的な輝きを灯している。


「冨樫伊賀守と申します。会えて嬉しく存じます」

「伊賀守様、噂はかねがね聞いておりまする。長きに渡る加賀の騒乱を鎮めた稀代の英傑だと」

「はは。過分な評価、痛み入ります。こうして冨樫家の血を引く者として綜讃殿と顔をあわせたこと、これも天命ですな」

「儂は加賀の騒乱に嫌気が差し、こうして遠く尾張にまで逃げた身。今更どのような口を以て冨樫の末裔だと胸を張って申せましょうか」


 尾張まで赴いたという過去に相応の理由はあると思っていたが、やはり想像の通りだった。だが加賀から逃げたことを責める気にはなれない。むしろ、後年での知名度で言えば墨俣一夜城を演出し、多大な貢献を果たした前野長康を輩出した点で坪内家の方が上だろう。それを考えると、尾張に逃げたのは正しい判断だったとさえ思える。


「負い目はそう簡単に拭えるものではないでしょう。それでも人は前を向かねばなりませぬ。綜讃殿はまだ成し遂げたいことがあるのではないですかな? 再び冨樫家の一門として励みたいと思うてはおりませぬか?」

「それは……」

「もし綜讃殿さえ良ければ、某の譜代として側で支えてはもらえまいか。今は六角家の客将ですが、曲がりなりにも冨樫本家の男です。綜讃殿が今もなお過去の負い目に苦しんでいるならば、それを晴らす良い機会だとは思いませぬか?」


 長い沈黙が流れる。綜讃はただじっと、俺の双眸を見つめるばかりだった。


「……仰る通りですな。決して晴れぬ濃霧に包まれた葛藤と長い間不毛な戦いを繰り広げていたことにようやく気づき申した。老い先短い命ですが、最後は冨樫家に少しでも御恩を返そうと存じまする。この身がどうなろうと構いませぬ。如何様にでも使ってくだされ」

「うむ、頼りにさせてもらおう」

「ふふ……。伊賀守殿は短い時間でこの老骨の心を掴んで見せた。加賀から逃げた自分にこのような出会いが巡ってくるとは、夢にも思いませなんだ」


 虚空を見つめながら穏やかに微笑んで見せた綜讃は、緩やかに視線を戻す。


「もし良ければ儂の孫、藤七郎も共に仕えさせていただきたい。次男で家督を継げぬゆえ、婿にでも出すべきかと思うておったのです。贔屓目抜きにしても兵法に長けた優秀な孫ゆえ、どうか儂の代わりに扱き使って頂きたい」

「それは嬉しい提案ですな。恥ずかしながら当家は伊賀一国を治めうる人材が不足しておりましてな。冨樫一門であればなお心強い。是非よろしく頼みたい」


 俺は心の中で充足感を感じながら、柔らかく笑みを浮かべた。









 新たな家臣を多くを加え、一行は坪内家の川舟で木曽川を下り、織田弾正忠家が領有する津島を訪れた。日ノ本有数の商圏を形成しており、津島の町衆の財力が織田弾正忠家の財政を支えている。


 津島は木曽川の分流である天王川に沿った湊町で、堺や博多にも匹敵する規模の商圏を有している。尾張、美濃、伊勢、三河から多くの特産物が集積され、地方に運搬されていた。その価値を十二分に理解していた信秀の父・信定は武力で屈服させるのではなく、津島南朝十五党の棟梁である大橋家に織田信秀の娘を嫁がせることで、支配体制を確固なものとした。


 そうした経緯で、織田弾正忠家が伸し上がる強固な経済基盤は既に整っているわけだ。肝心の信長は未だ生まれたばかりの赤ん坊で頭角を表すまでは二十年以上ある。信長が台頭してくれば冨樫も六角も恭順しなくてはならないかもしれない。だからそれまでに尾張は何としても武力で押さえ込み併合するか、同盟を結び味方につけるか、いずれかが必須になる。幸い時間はあるので、焦る必要はないだろう。


 尾張には見所が多かった。尾張の現状も把握することができ、有望な家臣も予想外に多く獲得できた。今回の尾張訪問は百点満点の出来で終わったと言えるだろう。


 その後は津島から桑名に船で渡り、定頼の弟が養子として入っている北伊勢の梅戸家を訪ねた。八風街道の要所であり、定頼もかなり重視していることが分かる。


 稍にとっては叔父に当たる梅戸高実は、三十代半ばの実直そうな人物だった。


「兄の葬儀で一度だけ会ったことがあるが、覚えておらぬだろう。あの時はまだ一歳の幼子だったからな」


 高実は姪の稍を前にして昔を懐かしんでいた。北伊勢の現状を聞いたが、やはり北勢四十八家も一筋縄ではないらしい。互いに相手の隙を窺い抗争を重ねており、必ずしも協力関係というわけではないようだ。


 そもそも六角家が北伊勢攻めを足踏みしているのは、烏合の衆でしかない北勢四十八家が外敵には連合して当たるために攻略に時間を要することや、一度伊勢に出れば峠越えが必要なため、畿内の情勢に対応しづらいことがある。しかしそれよりも北勢四十八家の筆頭格である千種家が、伊勢国司の北畠家と同系の血筋であることから支援を受けており、手を出しづらい状況になっていたことも理由にあるはずだ。六角が梅戸家に養子を送り込んだのは、要所である八風街道を押さえて北伊勢への影響力を維持したかった思惑があると思う。


 六角が北伊勢を重視するのはやはり伊勢湾に面した湊の存在だろう。近江には海がなく、陸路や川など他勢力の領地を通じての商売を行う必要があった。北伊勢を直接支配下に置くことで海路から全国の商圏へのアクセスが可能になる。


 ただ史実では定頼は娘である北の方を北畠具教に嫁がせており、六角は基本的に北畠に対して融和的な姿勢を取っている。北畠との敵対はなるべく避けたいわけだ。だが婚姻関係を結ぶ前の現状では、北畠の息がかかっている千種を滅ぼせば北畠と敵対する恐れがある。そのために梅戸家に養子を送り込むことで、北伊勢の橋頭保として一定以上の影響力を確保しようとしたのではないかと見ている。


 その結果かどうかは定かではないが、北勢四十八家は梅戸派と千種派に分かれており、その間で頻繁に小競り合いが起こっているのだという。だがこの対立に六角も北畠も介入していない。北畠としても六角との関係悪化は出来るだけ避けたいということなのだろう。


 梅戸家は八風街道を押さえており、関所の収入で財政は潤っているらしい。六角家一門の客人ということもあるだろうが、歓待の宴はかなり豪華なものだった。


 今回の伊勢・尾張訪問は多くの収穫があり、非常に有益なものとなった。稍も見知らぬ土地とあって楽しんでいた。新婚旅行としては本質的にかけ離れていたが、稍の弾けるような笑顔が見られたのが、一番の収穫かもしれない。

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