尾張訪問①

翌日、大湊から船に乗り込み、熱田湊に向けて出港した。


「ゆ、揺れが酷いですね」


 程なくして稍は初めて乗る船で見事に船酔いしてしまったようで、ぐったりとして俺に寄りかかってきていた。普段経験しない揺れに慣れていないのだから当然だ。かくいう俺も船に強いわけではない。船酔いは三半規管や前庭を刺激することで起こる自律神経の乱れによって引き起こされるが、俺自身これほどまでの揺れは初めてだった。稍と同様に船酔いして格好悪いところを見せるわけにはいかないので、空の雲を無心で眺めることに徹した。船酔いには下を向いたりするのが一番良くない。揺れているのに目線が一定に留まっていることで、二つの相反する状況が自律神経の乱れを促進させるのだ。稍は乗り込んでから波を眺めていたから、すぐ酔ってしまったようだった。


「海は怖いだろう?」

「……怖いです」


 稍は捻り出すように答える。船酔いで海の怖さを知るとは、少し笑えてしまうな。


「ほら、熱田が見えてきたぞ」


 答える余裕はないらしく、苦笑いを浮かべるのが精一杯らしい。


 上陸し一刻ほど休み稍が快復した後、一行は熱田神社を参拝した。熱田は熱田神社の門前町として発展しているが、織田弾正忠家の支配下にはない。愛知郡では那古野今川家が健在であり、熱田を勢力基盤として力を持っていた。だが数年のうちに信秀が謀略によって那古野城を落とすのだろう。


 その那古野城を遠目に東に見ながら北上し、一行は清洲に向かった。尾張守護の斯波家を表敬訪問するためだ。斯波家は元々は越前守護で加賀守護の冨樫家とは懇意な間柄だったこともあり、人材探しの伝手を頼るために立ち寄ることにしたのだ。


 しかし、尾張守護である斯波家は先代の失態により力を失っており、下四郡守護代の清洲織田家に傀儡として担ぎ上げられるまでに没落している。現状の尾張国は清洲織田家、上四郡守護代の岩倉織田家、そして清洲織田家の奉行として海東郡・中島郡を差配する織田弾正忠家の三勢力によって覇が競われている。あの織田信長を輩出するのは織田弾正忠家だ。


 清洲城でその斯波家の現当主・斯波左兵衛佐義統に会ったが、なんとも特徴のない凡庸な人物だった。目の隈が印象に残ったな。話を聞くと僅か三歳で国主となったらしい。史実では清洲織田家の織田信友に暗殺されそうになり信長に密告するも、それに激怒した信友によって自害に追い込まれるなど散々な一生を過ごすことになる。義統は地位と実力のギャップに日々思い悩んでいるらしい。


 斯波家に土産として酒、石鹸、炬燵などを持参したが、これが喜ばれた。特に酒は驚くほど好評を博し、義統は日々のストレス発散に酒を好むらしい。呷るように飲み、しまいには泣き出してしまった。情緒が不安定らしい。俺よりも歳下だというのにこれでは先が思いやられるな。斯波家が独力で尾張を支配する未来は金輪際やってこないだろう。


 ただ元々傀儡にされていた加賀を取り戻した手腕から助言を求められたので、辛抱強く待ち、己を気丈に保つこと、一時の感情に流されないこと、現状の弱さを自覚すること。義統には危うさを感じるので、対面して思ったことから助言を捻り出した。尤も肝心な戦略や立ち回りについては尾張には詳しくないこともあり茶を濁したが、酒が入って情緒不安定だった義統には俺の言葉が刺さったようだった。


 何か礼がしたいというので、伊賀統治にあたって人材面で窮乏していると実情を説明し、斯波家に仕えている佐々家の有望な者を家臣として欲しいとダメ元で頼むと、あっさり了承してくれた。佐々家は斯波家の重臣だが、元々佐々木六角家の庶流であり、その当主・佐々成宗は長男の佐々千吉を本家筋の家臣として送り出したいとの回答だった。


 佐々家といえば織田家の武将として仕えた佐々成政を排出した武家だ。柴田勝家の与力として主に北陸方面で活躍しており、最盛期には越中国の守護として富山城に入り、洪水を防ぐために自ら陣頭で指揮を取り大規模な堤防を一年で完成させるなど内政面にも優れている。


 成政は本能寺の変後の賤ヶ岳の戦いや小牧・長久手の戦い、末森城の戦いなど、豊臣秀吉との対立で常に劣勢を強いられ、結局は秀吉に降伏して越中を召し上げられている。頑なに反秀吉の姿勢を崩すことがなかったことから、恐らくは秀吉に嫌われていたのだろう。国人勢力の反発が激しい肥後を任された。秀吉はわざと成政に肥後を押し付け、一揆の発生を理由に切腹を命じたのだ。そもそも一貫して秀吉に敵対した成政が許されたのは、武勇に優れた武将ゆえに利用価値があると判断し、適当なところで難癖をつけて潰そうと考えていたからだろう。たとえ成政が肥後を平穏に治めていたとしても、どこかで言いがかりをつけて処刑していたのではないだろうか。


 しかし、その成政はまだ生まれておらず、今の佐々家には二人の男子がいる。本来ならば次男を送り出すのが普通だろうが、千吉は活躍の場を欲していたのだという。しかし凋落の一途を辿る斯波家よりも、畿内の趨勢を握る六角家の婿である俺に仕えたいと本人が要望したらしい。


 当主の成宗としても嫡男を送り出すのは惜しいだろうが、このまま斯波家に仕えていても武勇で頭角を表す機会もないだろうし、次男も九歳ながら槍の才覚を表しつつあるようだし、千吉の希望を認めたのだろう。


 千吉も成政に劣らず槍を得手とし、史実では小豆坂七本槍として織田家で活躍している。桶狭間の戦いで命を落とさなければ、織田家の中枢を担う勇士となっていたはずだ。


 清洲城からそう遠くはないので、翌朝には佐々家の本拠である比良城に向かった。比良城は数年前に建ったばかりの新しい城だという。元々は北西に一里行った場所にある井関城を居城としていたようだが、この城は家臣に譲っていたらしい。

 

「佐々千吉と申しまする。伊賀守様、この身をご所望とお聞き致しました」


 まだ若いにも関わらず野太い声だ。体型も太く、いかにも武勇で名を馳せんと志す人間だ。


「うむ。お主には我が冨樫家の一翼を担ってもらいたい。槍が得意と聞いたが、真か?」

「はっ、左様にございます。槍は佐々代々の得手とする技。必ずやお役に立てると存じまする」

「頼もしいな。ぜひともその武勇を発揮してもらいたい。いずれは沓澤玄蕃助と共に侍大将として冨樫軍の指揮を任せたいと考えておる」

「新参者で若輩の某にそのようなことを簡単に申してよろしいのですか?」


 千吉の表情が驚きに染まっている。まだなんの実績も挙げていない自分になぜ、といった様子だ。無論、十四歳で元服していない千吉を軍の中枢に置くつもりはない。あくまで長い目で見ていずれは、ということだ。


「それに新参も古参も関係はない。実力があれば重用する、それだけだ」

「ありがたき幸せにございます。粉骨砕身お仕えいたしまする」


 元々冨樫家には武闘派の家臣がほとんどいない。千吉には一翼を担ってもらわなければならない。

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