因果応報の謝罪

「弾正少弼様、伊賀を平定致しましてございまする」


 目の前の男はそれを誇らしげにすることもなく、淡々と成果を報せて見せる。私も最初に報せを耳にした時、自らの耳を疑った。勿論靖十郎殿の手腕を信じ、伊賀平定を本当に成し遂げるのではないかと期待していた。だが伊賀はこれまで大名権力が一切定着せず、半ば未開の地となっていた国だ。制圧するのに少なくとも半年は要すると見ていた。しかしその予想を裏切って、僅か一ヶ月で伊賀をその手に収めて見せたのだから、驚かぬ方が不思議だ。


「うむ、対馬守から聞いた。正直に申せば大言壮語だと思うておったが、予想を遥かに超えてきた。よもやひと月で伊賀を手にするとは思わなんだ」

「お褒めにあずかり光栄にございます」

「当初の約束通り、平定した伊賀の地は靖十郎殿に一任する。他の者も異存はないな?」


 私が宿老の面々を見渡すと、不満げな者は一人もいなかった。むしろ靖十郎殿の出した眩しいまでの戦果に感服し、ぐうの音も出ないといった様子である。


 その中で四郎は不満げに俯いていた。面白くないのだろう。


「では伊賀の地は靖十郎殿にお任せしよう」

「はい。伊賀国司として心血を注いで治めて参りまする」


 平坦な口調だが、その瞳には確かな決意が窺える。私は満足げに頷いた。


「さて、それはそうと四郎様。けじめはつけていただかなければいけませぬ」


 話が一段落したのを見てか、靖十郎殿は隣にいる四郎に向き合った。


「……何のけじめだ。話が全く見えぬ」


 始まってしまった。危惧してたことだ。私とて靖十郎殿が息子の不義理を水に流してくれるのを微かに期待してはいた。


 難儀なものよ。私は靖十郎殿に四郎の手本となって欲しかった。だがそれは裏目に出た。四郎が何かにつけて文句を宣い、見習おうとは一切しなかった。親の仇が如く敵視すれば、靖十郎殿も良くは思うまい。こうなったのは全て四郎の責任だ。父親として、ここで口を出すわけにもいくまい。四郎には誤ちに自分で気づかねばならぬ。


「惚けるのも大概にしてくだされ。この場にいた全員が四郎様の宣言を覚えておりまするぞ。私が伊賀を手に入れたら、『城下で裸になって逆立ちしながら歩く』と」

「ふん、耳に悪いものでも詰まっているのであろう」

「私の耳は地獄耳でしてな。真に困っておりまする」


 わざとらしく苦笑する靖十郎殿に、短気な四郎は眉間の皺を更に寄せた。微妙に話が噛み合っていない。四郎は頭に血が上っておる。険悪な空気だ。宿老の面々も居心地が悪そうである。感情は豊かだが、決して冷静さは欠かさぬ靖十郎殿のことだ。滅多なことにはならぬだろうが、四郎の父としては十二分に冷や汗が止まらぬ光景になっている。四郎も面倒事を引き寄せてきたものだ。


「さて、自分で申した事です。責任を持って果たして頂きましょう」


 六角家の嫡男である矜持から、四郎は決して城下で裸になって逆立ちして歩くことなどせぬし、ましてや自分から謝罪などするはずもない。それを分かっての挑発だ。靖十郎殿はどこか楽しんでいるようにも見える。


「するわけがなかろう。あれは冗談で申したことだ。戯言と現実も区別できぬとは、呆れたものよ」


 自らの立場を分かっていないのか、四郎は饒舌に蔑みの言葉を告げる。


「ほう、四郎様。たとえ冗談としても御自分から申した事は認めるのですな?」

「……」


 四郎は歯軋りしつつ黙り込む。墓穴を掘ったな。これではもはや擁護もできぬ。


「まあ元服しているとはいえ、齢十五に過ぎぬ義弟相手に大人げない真似をするつもりは更々ございませぬ。ですが私は四郎様の義兄である前に、加賀守護・冨樫家の三男であり、さらに今は畏れ多くも帝から直々に従五位下・伊賀守にも任じられた身。故にその無礼を見逃せば、冨樫家の名誉だけでなく、帝の信頼をも傷つけることになるゆえ笑って許す訳には参りませぬ」


 無礼とはこれまで四郎が靖十郎殿に向けてきた謂れのない敵意、そして義兄に対して一切の敬意がない応対。これは私もこの目で見てきた。言い逃れはできぬ。


「弾正少弼様、六角家として此度のご嫡男の不始末をいかが処するおつもりですかな?」


 やはり笑って水に流してはくれぬか。靖十郎殿はそれ相応の誠意を求めている。客将という立場は本質的には六角家に属しておらず、切り離された存在だ。つまりこれは冨樫家として対等な目線からの問いかけである。これは四郎にとっても必要な経験になる。家督を継ぐ前で良かったと思うべきか。


「……さすがに此度ばかりは童の軽はずみな口喧嘩と言うて笑って済ます訳にも参らぬな。とはいえ、嫡男である四郎に城下で裸で逆立ち歩きさせる訳にも参らぬ。この場には六宿老しかおらぬゆえ、まずは四郎に土下座して詫びさせよう。そのうえで六角家に代々伝わる名刀『綱切筑紫正恒』を譲ろう。どうか此度はこれで収めてもらえぬだろうか」

「父上! 何ゆえさようなことを!」


 四郎は血相を変えて異を唱える。ここまで来ても分からぬか。四郎、お前は許されぬことをしたのだ。それを未だ自覚しておらぬとは、この大莫迦者が。一度私の口から怒鳴りつけるしかあるまい。


「黙らぬか! 元はと言えば此度はお主のつまらぬ嫉妬からの暴言が原因じゃ! お主の浅慮のおかげで儂や六角家は大恥を掻いたのだぞ! 己のしでかした事の重大さが分かっておるのか! 靖十郎殿、いかがですかな?」


 私が怒鳴ることなど滅多にない。家臣からは冷静沈着な主君に見えていることだろう。宿老の面々も目を見開いておる。主君が感情を表に出すことも時には必要だが、それは必要な時だからこそ機能する。嫉妬や焦燥、不安、憎悪。そういった負の感情を主君が表に出すのはあまりにも愚かだ。四郎は負の感情を表に出し過ぎる。此度の事が良い薬になれば、傷を負った甲斐もあるというものだ。


「はい。弾正少弼様の誠意ある対応に免じて、此度は矛を収めようかと存じます」

「誠にかたじけない。四郎、さっさと手をついて靖十郎殿に謝らぬか! もし謝らぬと申すならば……、廃嫡もあり得ると思え」


 四郎は底冷えするような低い声と、廃嫡という文言に震え上がった。脅しとしては効果的だろう。四郎が最も恐れているものだ。これで落ち着いてくれれば良いのだがな。


「……此度は申し訳ござらぬ」


 簡素な謝罪の言葉だったが、十分屈辱的なはずだ。四郎は俯いて表情は窺えぬが、悔しいだろう。その悔しさを踏み台にするのだ。それがお前の六角家当主としての雄飛の第一歩となる。


殿。謝罪の言葉、確かに承りました。今後は六角家嫡男として浅慮な言動は慎みなさるがよろしかろう。それと私は六角家の客将ですが、家臣ではありません。これまで貴殿を四郎様と呼んできたのは、義父である弾正少弼様への敬意からです。しかし今後は貴殿は四郎殿と呼ばせていただきまする。ご承知おきくだされ」


 靖十郎殿は元来心優しき人物だ。流石に今回は腹に据えかねたのだろう。最後に告げた言葉も、追撃というよりは四郎に対等であると示し、今後一切の無礼な態度を封じるためであると感じた。


「四郎よ、二度はないぞ。私をこれ以上失望させてくれるな。赦しがあるまでしばらくは部屋にて蟄居しておれ」


 靖十郎殿が釘を刺し、儂が蟄居を命じると、四郎は居た堪れなかったのであろう。黙って部屋を出ていった。再三釘を刺したゆえ、四郎もこれで反省してくれると思いたい。ため息しか出ぬな。伊賀平定はめでたいが、四郎のことを考えると頭が痛いわ。考える時間を与えたゆえ、これで心を入れ替えてくれると良いのだがな。

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