藤林長門守の調略

「藤林長門守と申しまする」


 目の前で仏頂面を浮かべる男は、感情の籠っていない平坦な口調で名乗った。


「冨樫伊賀守と申す。加賀守護の子ではあるが、この度帝より正式に伊賀守を賜った」

「……よもや伊賀守を得るとは思いませなんだ。伊賀を治めんとするご意志、それは本気だと認めましょう」


 俺のことを認めながらも、どこか逡巡するようにして瞑目する。


「ただそれだけで長きにわたって独自の体制を維持してきた伊賀を崩すわけには参りませぬ。我らは他国の侵略を恐れ、これまでどこの大名にも属してはこなかった。冨樫様がそうでないという保証はどこにもございませぬ」


 長門守の言葉は尤もだ。いくら伊賀守を叙任されたからといって、それは大義名分になっても、在地衆が信用する理由にはなり得ない。しかし、この反応は当然予想の範囲内だった。


「相変わらず頑固な男だ。意志が固いのはお主の取柄だが、融通が効かぬのは良くない所であるぞ」


 半蔵が呆れたように目を覆うが、長門守は僅かに眉を動かすのみである。


「半蔵よ、お主も大概だ。故郷を捨てたと思えば将軍さえも見限った。そして今度は六角ときた。状況を日和見して簡単に主を鞍替えするお主の言を信用するなど笑止よ」


 長門守も間違ったことは言っていない。半蔵が俺に臣従を決めたのは、運が良かったと言っていい。一方、長門守の方は頑固というより、簡単に言えば俺のことを信用していないのだ。だから一度目の要請は断った。今回も話だけは聞いてやる、そんな心持ちなのだろう。


「だが長門守よ。故郷を捨てたと言うがな、捨てざるを得ないほどに貧しく廃れた伊賀の現状を見てどう思う?」


 俺は険悪になりかけた空気を締めにかかる。伊賀の現状についてどう思っているのか、本心を引き出したかった。


「勿論このままでよいなどと思うはずはありませぬ。何かを変えるべきとは思っておりまする。されどただ変えるべきでない部分も多い、そう考えておりまする」


 統治体制を変えて中央勢力の介入を許したくはないが、この現状をどうにかして変えたいとは思っている。長門守は感情が高ぶったのか微かに冷静さを失い、震えを含んだ口調で口惜しげにそう答えた。


「私は帝に拝謁し伊賀守を授かり、『伊賀の民を安んじ、伊賀の地を豊かにせよ』との御言葉を直々に賜った」

「……!」


 長門守は言葉は発さないが、帝の御言葉に明らかに心が揺さぶられたように見えた。俺は畳み掛けるように告げる。


「このまま伊賀を貧しいまま治め続けて何の意味がある。仮にも伊賀を治める上忍として自覚があるのならば、民を蔑ろにすべきではなかろう。お主が選ぼうとしている道は民に貧しさを強いるだけの非道だ。帝から伊賀を託された私には到底認めるわけにはいかぬ!」

「……ッ」


 言葉にもならない呻くような声を発する。何を分かったように、という苛立ち、怒りを感じる。その気持ちを決意に昇華させるのだ。


「さ、されど、伊賀は米もロクに取れぬ痩せた土地にございます! 食う物にも恵まれぬ我らには息を潜め、貧しく生きる他ありませなんだ」

「国が貧しいからと言ってハナから豊かにする気もなく諦めるなど怠慢だと申しておるのだ。私は伊賀を治めるからには豊かにすることを諦めるつもりはない!」


 ようやく感情が表に出た長門守に対して、俺は冷静な思考はそのままに声を荒げた。


「だがな。私は外敵から身を守り、銭を稼ぐ、そのために培ったお主らの忍びの技をこのまま埋もれさせたいとは思わぬ。単刀直入に言おう。お主らの力が必要なのだ」

「わかりませぬ。我らは例えどのような汚れ仕事でも、生きるため断らずこなしてまいりました。その度に我らは卑しい素破と蔑まれ……」


 長門守は積もりに積もった悔しさに歯を食いしばっている。それ故に特定の大名家に属すことなく、伊賀衆は独力のみでどうにかしようと必死に生きてきた。俺は近寄って行き、それを包み込むように肩を叩く。


「お主らの力は本来ならば万の兵にも値すると褒め称えられるべきものだ。世が世ならばむしろ尊敬や憧れの的となっていたであろうよ」


 忍者という存在はクールジャパンの象徴だ。前世において忍者は日本のみならず世界中から認知される存在となっていた。


「……そのように仰ってくださった方は伊賀守様の他にはおりませぬ」

「これまで肩身の狭く辛い思いをしてきたのは想像に難くない。だがこれからは冨樫家が武士として召し抱える故、胸を張ってこの冨樫靖十郎に仕えてもらいたい」

「……承知致しました。この藤林長門守保豊、伊賀守様を信用し、伊賀の地をお任せ致しまする。必ずや、伊賀を豊かに導いてくだされ」

「うむ、承った。決して落胆させるような景色は見せぬと神明に誓おう」


 長門守の瞳は希望に満ちている。寡黙で頑固、人を簡単に懐へ入れようとしない。そんな印象が随分と変わったものだ。


 藤林長門守の調略が首尾よく終わったことで、本格的に伊賀攻略へ乗り出す準備が整った。俺はこの動きを定頼を始め六角家の人間には誰にも話していない。客将という実質的に切り離された存在だからこそ、こうして自由に行動できる。その分家中での信用もそこまで得られていないのが実情だが、そこは実績で塗り替えて行くしかない。

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