伊賀守叙任

「義父上、お久しゅうございます」


 稍の穏やかな声が自然と響く。朝廷との繋ぎを稍に頼み、かつて稍の養父であった三条公頼と顔を合わせた。稍の顔に緊張の様子は無い。


「稍、息災であったか。少し背が伸びたな。香子にますます似てきたようだ」


 公頼の顔にも強張りも一切見えない。三条家の都合で六角家の猶子となったのだから、多少関係の解れがあってもおかしく無いと思い込んでいたのだが、どうやら円満な親子関係ではあったらしい。


「亜相様、お初にお目にかかります。冨樫靖十郎嗣延と申しまする」

「ふむ、お主が稍の婿となったという男か。六角から話は聞いておる。『加賀の皇甫嵩』と渾名された、有智高才の勇将だと」

「光栄に存じまする。此度はお時間をいただき忝く」

「いや、礼を申すのは此方の方だ。冨樫家の献金には助けられておる」


 朝廷は即位の礼ができないほど困窮していたが、冨樫家の献金によってそれがようやくできたということで、感謝の意はひしひしと感じられる。実際のところ朝廷は日々の生活を送るのが厳しいほど困窮していたわけではなく、数多の行事を取り行うための費用や御所を修繕する費用が常に枯渇していたというのが実情であった。まあその行事や修繕を行えないこと自体が死活問題で、朝廷の品位を著しく傷つけていると感じているのだろうが。


「帝を支えるのは武家の役目にございますれば、当然のことにございます」

「麿もお主のように帝を支えることができればどれほど良かったかのぅ」


 しんみりとした空気が流れる。公家でも高位に位置する左大臣である公頼さえも養女にした姪を猶子に出すほどなのだ。悔しさは当然ある。稍も視線を落としている。俺は空気が落ち着くのを待った。


「本日伺ったのは官位の件でございました。偶々京を訪れる機会がありましてな。以前勅使殿がいらっしゃった際にご辞退したところ、その勅使が叱責されたと聞き申した。流石に某も決まりが悪く、参上した次第にございます」

「おお、そうであったか。確かに多大な貢献を受けて、官位すら授けぬというのは恩知らずと誹りを受けかねぬであろう。好きな官位を授ける故、希望をお聞かせ願おう」


 公頼は打って変わって得意げな表情になる。一方的に施しを受けた恩と後ろめたさを、官位を叙任することで返せるならば安いものだと思ったのだろう。


「伊賀守にございまする」

「伊賀守とな? 冨樫は上国である加賀を治めておるのであろう。左様な下国の官位ではなく、従四位でも余の推薦があれば問題はなかろう。最低でも従五位下の加賀守は授けたいと思っておった。それ以下であると昇殿が叶わぬ故な」


 公頼は目を見開いて驚きを露わにした。確かに従五位下未満だと殿上人にはなれない。後奈良天皇も俺と一度話したいと望んでおられるようだった。


「ここだけの話でございますが、某は伊賀の攻略を目しておりまする。しかし伊賀を治める大義名分すらない今のままでは、伊賀の勢力は某を伊賀国主と認めることは叶いませぬ。故に伊賀守を欲しているのでございまする」


 後奈良天皇と会うことに不満があるわけでは決して無いが、今回の目的はあくまで伊賀統治の大義名分を得るためなのだ。俺は続ける。


「ほう。伊賀を治める、とな。即ち武力ではなく、名を以て支配すると?」

「正しくは『武でなく名を以て語りかけ、誠意と善政を以て支配する』にございましょう」

「ふむ。気高き心意気よの。しかし、困ったのぅ。加賀守では『名』にはならぬか?」

「なりましょうが、大義とはなり得ませぬ。加賀守では結局侵略者と変わりませぬ。それに父上を始め冨樫家は、代々従五位上の加賀介を継承しておりますれば、嫡男ですらない庶子の某がそれより上の加賀守に任ぜられてしまうと長幼の序を外れ、何かと不都合と存じまする」

「だがのぅ、ここで従六位下の伊賀守を授けるとなれば、それこそ朝廷の面目が立たぬ」


 能弁にも思えた公頼が押し黙った。堅く圧縮された沈黙は、公頼の苦悩を映し出すようである。高い官位を叙任されるのは本来名誉なことだが、これまでの問答で俺が官位にさほど執着していないことが分かったのだろう。


「伊賀守というのはどうしても外せぬのだな?」

「左様にございます」

「ならば従五位下・伊賀守としよう。あまり好ましくはないのだがな、位階と官職の不一致は前例が無いことでもない。それと冨樫家が加賀介を代々継いでいるのは聞いたが、お主の父御にはそれより上の従五位下・加賀守に任じたい。お主は長幼の序と申したが、位階が同等ならば構わぬであろう。一度権威を失った冨樫家が復興した、それを示す意味でも悪くない提案だと思うが」


 伝統や通例にかなりの執着がある人間が多いこの時代だが、父も兄も『新しい事』を拒絶する事なく取り入れている。位階は同じでも官職が上がることは名誉なことだし、喜ぶだろう。


「承知致しました。それならば謹んでお受け致しまする」

「まあ長幼の序、などと申したが、腹の内ではそんなことは気にしていないはずだ。全て方便であろう?」

「はは……。それはどうでしょうな」


 鋭いな。権謀術数渦巻くイメージの公家社会を生き抜き、武家との交流を経て将来は左大臣にまで上り詰める三条家だ。腹の底を窺うのはお手のものなのだろう。歯切れ悪くはぐらかしたが、実際その通りだ。

 

「さて、この話はここで終わりだ。ここからは親族として話そうではないか」


 俺は六角家の娘婿であり、公頼とは親族ではないのだが、もし俺と稍の間に子を授かれば、その子は三条家の血を受け継ぐ子になるわけだ。それに稍は長い期間公頼の娘として過ごしてきた。先程の良好そうな掛け合いを見ても、公頼にとって愛娘と言って差し支えないだろうな。


「稍は妹に似て麗しく繊細で、心優しき子だ。だがな、内気に見えて意外と活発なのだ。幼い頃は目を離すとすぐどこかに行ってしまってな。乳母を狼狽させるのも日常茶飯事だった。実際麿も幼い頃の稍は危なっかしくてハラハラすることが多かった」

「ち、義父上、私のことはいいのです」


 稍の子供の頃を懐かしそうに語る公頼に対し、稍は顔を赤らめて距離を詰めて止めようとしている。うん、なんだか微笑ましいな。結婚の挨拶で娘の話をする父親のようだ。乱世の事情に振り回されたと思っていたが、誰よりも稍のことを思っていたのはこの公頼なのかもしれない。六角家に入った方が不自由はしないという思いがあったのだろう。公家は格式高く礼儀を重んじる息苦しい環境だ。一方で武家は公家社会に比べて完璧な振る舞いを求められることは相対的に少ない。京に一緒に行こうと提案した時、子供のように目を輝かせていたことから、稍が活発だというのは薄々勘づいていた。


「どうか稍に広い世界を見せてやって欲しい。幼くして両親を亡くし、苦労をかけてしまったからな。養父としての願いだ。よろしく頼む」

「はい、必ずや稍を幸せにいたしまする」


 公頼は瞑目して僅かに前傾姿勢になった。心から稍の幸せを願っているのだろう。これまで感じていなかったわけではないが、あらためて責任感が一気に圧し掛かってきたように感じた。


 積もる話も程々に辞去した俺は、数日後には従五位下・伊賀守に叙任された。夕刻には束帯を身にまとい、御所に参内して後奈良天皇に拝謁した。驚いたことに御簾越しではなく、献金や献上品に対して心の籠った感謝の御言葉を直々に賜り、清廉潔白と評される御人柄の所以が随所に感じられて尊崇の念を強く抱いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る