父の説得
思わぬ出会いに縁談の話とあって驚いたのも束の間、五百の兵を一旦加賀へ戻すため、俺自身も一度加賀への帰国の途に就いた。
流石に無断で縁談の承諾をしてしまったので、そのことに対する父の追認を得るため、まずは越前金津城に入城する。
「もう帰ったか、靖十郎。公方様にはお会いできたのか?」
俺自身京にはしばらく滞在するつもりで、その旨も上洛の中途で父にも告げていたため、怪訝そうな表情で俺の瞳を見つめた。
「はい、父上。上様はご壮健な様子でございました」
「だがここまで早く帰ってきたということは、何か重大なことがあったのであろう?」
父上は表情を緩めず、本題に入ろうとする。
「はい、お察しの通り、大切な話がございます。単刀直入に申しまする。父上には加賀に戻っていただきたい」
真っ直ぐな一言は、柔らかい雰囲気を一瞬で沈黙に変えた。
「……話が読めぬ。儂は何度も言っておる通り、しばらくは加賀に戻るつもりはない」
靖十郎は儂を加賀に戻したいらしい。会うたびに同じようなことを言われたらため息も出るわ。
「そうも言うておられぬ事情ができ申した。公方様は近年の冨樫家の復権による統治を称賛され、同時に冨樫家を幕府の中枢へ据えるおつもりだとはっきり申されました」
なんと! つまりは靖十郎の働きが高く評価されたということか。喜ばぬわけにはいかぬ。頬がほころぶのを自分でも感じる。
「ふむ、それは喜ばしいことじゃな」
「公方様は京に戻ったばかりで、不安定な立場に置かれております。冨樫の家督を告げない私を、遠い加賀ではなくなるべく近くに置きたいと申され、御供衆にも任じられました」
靖十郎は表情を変えない。険しい表情は、意思の強さを表しているようだ。御供衆、名誉な事だ。上様は相当靖十郎に期待をかけているらしい。
「なるほど。靖十郎は京に滞在するのだな」
「いえ、私が滞在するのは京ではなく、近江にございます」
「近江?」
「京には応仁の乱から未だ立ち直っておらず、公方様が住まわれる御所も仮の物にございました」
しばらく京には行っていないが、靖十郎の話の通りなら、当時の惨状から好転はしていないらしい。
「そこで六角弾正少弼様が客将として来ないかと」
「六角? なぜそこで六角が出てくる」
唐突に名の挙がった六角の名前に、儂は首を傾げる。
「公方様が私に弾正少弼様を紹介されましてな。冨樫と六角を結びつけ、幕府の中枢に置いて細川や一向一揆に対抗したいとの思し召しにございました」
「細川とは和睦したと聞いたが」
「表向きはそうですが、細川六郎は昨日の敵とも誼を通じ、油断ならぬ男です。そんな細川を信用しろと申す方が難しいでしょう」
靖十郎の端然とした語りに、儂は瞑目する。
「弾正少弼様は私に娘を貰って欲しいとのことで、婚姻同盟を打診され申した」
「ほう、六角がの」
儂は小さく息を吐く。靖十郎の活躍は近江でも知られていたとはな。嬉しくもあり、自らの不甲斐なさに悔しさも感じる。複雑だった。それにしても、六角が婚姻を持ちかけてくるとは思わなんだ。此奴の人徳が気に入られたのか? ようやく話が見えてきたわ。
「それには当主である父上の許しを得なければならないと思い、こうして帰って参った次第にございます。既に承諾してしまったゆえ、父上のご意思に沿うかは分かりませぬが」
そういう事であったか。目まぐるしく変わる畿内情勢を鑑みると、冨樫家の幕府参画はかなり重要な意味を帯びるやもしれぬ。かつての勢威を取り戻すことは叶ったが、靖十郎は未来を見据えている。まるで天下を狙わんばかりの意欲だ。
「話は分かった。六角との婚姻は儂も異存はない。だが儂が加賀に戻る必要もなかろう」
「父上は未だ次郎兄上に家督を譲っておりませぬ。加賀守護である御身がいつまでも越前に留まるわけにはいかぬでしょう。なにも政治や軍事に介入する必要も無いのです。これからの加賀の行く末を、加賀守護として責任を持って見届けていだだきたい。次郎兄上も以前とは見違えるほどに逞しくなり申した」
自らの兄を弟が如く案じる靖十郎に微かな違和感を覚えるが、被りを振って考え込む。近い将来、加賀守護という座を息子に渡すつもりでいた。ゆえに今その意思を表明すれば、加賀に戻らなくても済むのだろう。しかし儂の本心は、靖十郎の言葉で徐々に揺れ動き始めていた。
「……だが儂が戻るとして、民がどう思うか」
「父上を責める者などおりませぬ。戦多きこの世の中にございます。民に労苦を強いたのは、本願寺が国の平穏を乱していたからです。その本願寺も今はおりませぬ。国も他に比べ裕福になり、多くの移民も加賀の地に腰を据えておりまする」
靖十郎は儂の呵責の念を巧みに突いてくる。仕方のない部分もあった。元々儂が家督を継いだ時には、冨樫家は傀儡で実権をほぼ失っていたのだ。それを奪回するため本願寺の内訌に参戦し、民に戦費を負担させた……。
靖十郎は分かっていたのだ。儂が過去に未練を抱いていることを。息子たちがそれを立て直し、復権を果たしたことに対する妬心のようなものが儂の心中を渦巻いていることを。そしてそしてあるべき加賀の姿を、この先も見届けていきたいと感じていることを。
「……靖十郎の申す通りだな。このまま越前に留まっていても、それは逃げているだけだ。自分がいては統治が滞る、そんなのは言い訳に過ぎぬ。靖十郎が取り戻した加賀の隆盛を二度と失わせるわけにはいかぬ」
頃合いをみて家督を譲ろうと思っていた。しかしそれもある意味で『逃げ』なのだろう。責務を放棄して息子に全てを任せているのは無責任というものだ。今この国をまとめ上げられなければ、儂が歩んできた六十年の生にはなんの意味もないことになる。
「父上、もう一度お頼みいたします。加賀に戻ってくだされ」
儂の目の色が変わったのを察したのか、靖十郎は口角を上げて尋ねてきた。
「承知した。加賀に戻り、我が責務を全う致そう」
靖十郎は大器を秘めておった。それを存分に発揮し、その手に加賀を取り戻して見せた。しかしその靖十郎がいなくなるのは大きな穴だろう。儂ももう還暦じゃ。儂が晩節の全てを賭してでも、次郎と小次郎が加賀一国を治めうる大将になるのを見守る責任がある。父として助言できることは沢山あるであろう。
「父上、ご英断感謝致しまする。私も数日こちらに滞在いたしまする故、出立の準備をお進めくだされ」
「うむ、承知した」
息子のおかげで有意義な老後を過ごせそうじゃ。年甲斐もなく胸が躍っているのを感じた。
父上を説得するのは難儀したが、納得した後の表情は清々しいまでに晴れやかだった。父上の判断を仰がずに独断で婚姻を承諾してしまったので、一先ず安心した。
三日後の朝には金津城を出立し、その日のうちに本拠・鶴来城へと帰還した。鶴来の町の繁栄ぶりを見た父上は驚きを隠せない様子だった。この街並みを見せられたというのは、この世界にやってきて初めてできた親孝行だと思う。形容し難い充足感に浸りつつ、領国統治の引継ぎを速やかに推し進めていった。
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