鶴来の戦い①

 加賀国鶴来城。銅瓦葺の屋根が漆喰の壁の純白を際立たせ、威厳と格式を重んじた威容を備えている。通常の土瓦だと、雨などを吸収するため冬になると水分が凍結してしまい、それによる体積の増加とともに瓦が割れてしまうので、銅を使用して普請が行われた。


 特に寒さが厳しい加賀であるから、費用が嵩んでも許容範囲だった。それよりも大仰な城を完成させたのは、加賀守護としての示威を見せつける意味合いが強い。加賀にはいくつもの金山が眠っているので、将来的には金も使って力を表したいが、山間部を山師に依頼しながらも未だ発見には至っていない。犀川の上流に金山があるほか、南加賀に多くの鉱山があるはずなので、今後見つかってくるのだと思う。ただ金や銀は枯渇するものなので、それらの鉱物に過度に頼るつもりはない。金が算出されるとなると他の勢力にも狙われるので、見つかったとしても当分は秘匿する考えである。


 その城の完成したばかりの天守から、手取川の扇状地と北方の加賀平野を見つめる。天守閣はこの時代まだ一般的ではないが、その分目にした者は驚くだろうと思った。天然の要害に聳え立つこの城を果たして落とせるのか、と一向一揆が慄いてくれるのを期待している。


「一向一揆三万の軍勢がこちらに向かっておりまする」

「うむ、承知した」


 次郎兄上は緊張で顔を強張らせながらも、努めて冷静に応答する。


「如何致しますか」


 槻橋伯耆守が油汗を滲ませる。天守には他に山川源次郎秀稙、本折筑前守範嵩、本郷修理進親貞、粟田五兵衛吉員、末松信濃守靱嘉、植田順蔵綱光、沓澤玄蕃助恒長のほか、享禄の錯乱で国外に追放されていたが冨樫家の名声を聞いて帰参した鏑木右衛門尉繁時、安吉源左衛門家長といった者の姿があった。


 中でも安吉源左衛門家長は異色の経歴の持ち主で、かつては一向一揆・河原組の部将として石川郡において強い影響力を持っていた。また源次郎の縁戚であるものの、一向一揆に従っている為に両者の間柄は芳しくなかった。


 しかし俺の説教じみた説得が功を奏したのか、源次郎は新参者や一向一揆に従っていた者たちに寛容になった。特に源左衛門は一向一揆衆の中でも抜きん出た指揮能力を保持しており、戦においても下間一党の腰刀とも呼べる活躍を見せている。


 その存在が冨樫家にとって脅威であることは源次郎も認識していたのだろう。反一向一揆の姿勢をおくびにも出さず、理性的に臣従を促した。


 その中途で、俺のことを実績を誇張しながら褒めちぎったことで、仕えるに足る主君だと信じきってしまったのだという。今では一向一揆から乗り換えて曹洞宗冨樫派に心酔しているらしい。豪儀な容姿を携えて、瞳には赤い炎が燃え上がっている。


 その他にも冨樫家の有言実行を見て、再び参じた北加賀の諸将が居並んでいた。山川と本折の溝が浅くなってから、団結力が格段に増したと思う。兄上も満足げな笑みで諸将の顔を見回していた。


 この世界に来てから、初めての本格的な戦に臨むことになる。勿論小競り合いは幾度もあったが、そのどれもは俺が指揮したわけではない。手の平が微かに冷たく感じる。武者震いというよりは、緊張や不安で震えが止まらない感じだ。


 一向一揆とはいえ、敵は百姓が大部分である。徴兵されたりしたわけではなく、言うなれば市民の弾圧と変わらない。抵抗がないわけではない。無論武家の正規軍が相手だったとしても、心情はあまり変わっていなかったとは思うが。


 加賀守護の三男として曲がりなりにも二年近く生きてきた。次郎兄上を支え、責任と自負を持って領内を豊かにすることに腐心した。しかし乱世であるこの時代、戦無しに領内を豊かにすることは不可能なのだ。必ず豊かになった土地は周囲に狙われ、強い勢力の食い物にされる。


 平和な世界からやってきた俺個人としては、平和な世界の構築を目指したい。だが民を皆戦のない平穏な世に連れていくなど、夢物語で、都合の良い空想の話なのだ。犠牲はつきものだと心を鬼にして受け入れなければならない。じっとして国を守るだけに徹していても、劇的に状況が改善し、降ってきたように平和な世が訪れるわけでもない。


 かつて織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった英傑は、多大な犠牲の上に世の中を治めた。しかしその英傑がこの世に台頭するまでにはまだ二十年以上ある。それまで亀のようにこもっていても、徒に時間を浪費するだけなのだ。


 何の神の悪戯かは知らないが、こうして生まれ変わった。ならば俺が、冨樫家がこの世を治めなければならない。やらなければ飲み込まれるだけ。この乱世は非情な世界なのだ。


 だからこの一向一揆との戦は、なんとしても勝たなければならない。


「一向一揆の大将は名目上は超勝寺実顕にございますが、軍を率いるのは洲崎兵庫景勝と黒瀬掃部允基弘かと思われます」

「ふむ、洲崎と黒瀬か」


 安吉源左衛門家長は頷く。元一向一揆衆ということもあり、事情には詳しいらしい。超勝寺実顕は大小一揆の際本願寺から派兵された下間一党の指揮に頼りきりで、戦の経験がほぼ皆無であった。そこで洲崎と黒瀬という有力な家から指揮官を選び、自分は後方でふんぞり返っているのが実情だという。


 洲崎家の先代は時の将軍・足利義材が挙兵した際、一向一揆勢として味方だったものの、裏切りによってかつて敵であった朝倉を破ることが叶わなかった。若いとはいえ指揮官として参加しているのだから、信用できる相手と思ってはいけない。もし和平を申し込んできても、細心の注意を払う必要がある。そもそも、一向一揆相手にもはや和平を結ぶつもりはない。ここでその根を断ち切るのだ。


「一向一揆はご存知の通り、多くの指揮官が畿内に出向いております。下間は一向一揆を率いる大将も軒並み連れていき申した。それゆえに加賀に残った者は若い者ばかり。洲崎と黒瀬はいずれも若年で経験も浅くございます」


 油断する理由にはならないが、未熟な身で三万の兵を統制できるのか、甚だ疑問だ。その言葉は自分にも跳ね返ってくることを自覚しておかねばならない。


「我らには朝倉の援軍もついておる。油断せず戦えば勝機を見いだせよう。だが朝倉の援軍を頼りすぎるな。冨樫単独で討ち果たすつもりで事に当たると心得よ」

「油断など欠片もございませぬ。我らは一向一揆の恐ろしさを誰よりも知る者にございます」

「要らぬ心配であったな」


 微かに弛緩しかけていた空気が締まる。諸将の目に油断という二文字は孕んでいなかった。

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