劉潔1  慕容部の家人

劉潔りゅうけつ長樂郡ちょうらくぐん信都県しんとけんの人だ。祖父は劉生りゅうせい。腕利きの占術者だった。拓跋たくばつ什翼犍じゅうよくけんの時代に慕容氏ぼようしから妃を迎え入れらたとき、劉生がその部下としてともにだい入り、そのまま代に仕えるようになった。このため妻が与えられ、子を産んだ。それが劉提りゅうてい、劉潔の父である。拓跋珪たくばつけいの時代にいたり、劉提は樂陵がくりょう太守たいしゅに任じられ、信都男しんとだんに封じられ、死亡した。


劉潔は力強くも知略も備え、多くの拓跋珪の征討に従軍しては功を挙げた。このため會稽公かいけいこうに封じられた。


河西胡かさいこ張外ちょうがいや、建興人けんこうじん王紹おうしょうらが徒党を組み、反逆を試みる。劉潔は魏勤ぎきんとともに三千の兵を率い、西河さいがに駐屯、周辺民たちの慰撫にあたった。


また、魏勤や拓跋屈たくばつくつらとともに吐京ときょうで暴れまわる胡族の平定に当たった。


このとき、離石りせきに蟠踞する胡族が、赫連勃勃かくれんぼつぼつの騎兵を引き入れ、山々を利用して劉潔を他軍と引き離した上襲撃しようと目論んだ。この襲撃を受け、劉潔は馬を失う。山にのぼり力戰するも、矢をはじめとした武器をすべて失い、ついには捕らえられ、赫連勃勃のもとに引っ立てられた。


赫連勃勃の前に引っ立てられた劉潔は、しかしその声色にまるで怖気づいたところもない。あまつさえ、赫連勃勃に対し、平然とあざな呼びをする。「お前と俺は対等だ」と言うに等しい振る舞いである。その顔色は泰然自若。これを見れば、赫連勃勃も劉潔を認めるしかない。劉潔を釈放した。


北魏に戻ると、劉潔には東部とうぶ大人たいじんまわりの祭礼を司るべく命が下された。




劉潔,長樂信都人也。祖父生,頗解卜筮。昭成時,慕容氏來獻女,為公主家臣,仍隨入朝。賜以妻,生子。父提,太祖時,官至樂陵太守,賜爵信都男。卒。

潔性強力多智,數從征討有功,進爵會稽公。河西胡張外、建興王紹等聚黨為逆,潔與永安侯魏勤率眾三千人,屯于西河以鎮撫之。又與勤及功勞將軍元屈等擊吐京叛胡。時離石胡出以眷引屈丐騎,斷截山嶺邀潔,潔失馬,登山力戰,矢刃俱盡,為胡所執,送詣屈丐。潔聲氣不撓,呼其字而與之言,神色自若。屈丐壯而釋之。後得還國,典東部事。


(魏書28-11)

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