李栗 咳唾任情
拓跋珪が王として立つと、その爪牙たる腹心として、拓跋珪の周りのことを多く任された。このとき大体のものが近親や旧来の臣下であったが、李栗ただ一人が元々縁のないものであり、この寵遇は大変な誉れであるとされた。
いくつもの戦いで戰功を挙げ、
李栗はだらしなく、拓跋珪からの寵遇をかさに着、礼法に則った振る舞いを嫌った。拓跋珪の前でも傲慢な態度を崩すことなく、恭しさの欠片もなかった。たんが絡めば、所構わず好きに吐き出す。そうした振る舞いが積み重なりついに拓跋珪は 400 年に李栗を処刑した。
以降拓跋珪は威厳強化に乗り出し、臣下には恭しき態度を貫くよう命じるようになった。そのきっかけが李栗にあったのである。
李栗,雁門人也。昭成時,父祖入國。少辯捷,有才能,兼有將略。初隨太祖幸賀蘭部,在元從二十一人中。太祖愛其藝能。時王業草創,爪牙心腹,多任親近,唯栗一介遠寄,兼非戚舊,當世榮之。數有戰功,拜左軍將軍。太祖征慕容寶,栗督五萬騎為前驅,軍之所至,莫不降下。遷左將軍。慕容寶棄中山東走也,栗以輕騎追之,不及而還。
栗性簡慢,矜寵,不率禮度,每在太祖前舒放倨傲,不自祗肅,咳唾任情。太祖積其宿過,天興三年遂誅之。於是威嚴始厲,制勒羣下盡卑謙之禮,自栗始也。
(魏書28-10)
ここまでは割と臣下たちともフランクな態度での付き合いをしてきた、という認識でいいんでしょうかね。けどそれだと統制も効ききれなくなってきたから、威厳で縛るようにした、と。つまり拓跋珪にとっては、ここから割と不本意な振る舞いを取らざるを得なくなってしまったのかもしれない。そしてここからストレスが強烈な勢いで溜まり、五石散に手を出すようになり、その猜疑心が加速度的に高まっていった。
……本当だったら李栗みたいな好き勝手なやつとわいのわいのしてたかったのかもしれません。王はつらい。
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