崔徽崔剖 弟と親族

崔宏さいこうの弟、崔徽さいき。字は玄猷げんぶう。幼いころより文才を示し、勃海ぼっかい人の高演こうえんとともにその名を知られていた。はじめに相州しょうしゅう別駕、中書侍郎に抜擢され、間もなくして祕書監に移り、貝丘かいきゅう侯に封じられ、龍驤將軍を加えられた。

443 年に死亡し、元公げんこうと諡された。



崔宏とは遠縁に当たる崔氏も北魏ほくぎ入りしている。例えば拓跋燾たくばつとうの時代に北魏入りした崔寛さいかんは祖父や父が北涼ほくりょう西涼せいりょうに仕えていた。


祖父は崔彤さいたん永嘉えいかの乱が起こったときに西晋の司馬保しばほ司馬越しばえつの甥)とともに隴右ろううに亡命し、のちに北涼ほくりょうを興すことになる沮渠そきょの一族や李暠りこうに仕えた。


その息子、すなわち崔寛の父である崔剖さいぼうは東方に向いて慨嘆、詩経風雨を歌いながら「風雨の詩に出てくる鶏は、まるで私のようではないか」と呟いていた。「王の威風が届かぬ地に逼塞していても、王化を決して諦めない」と語ったのである。




玄伯弟徽,字玄猷。少有文才,與勃海高演俱知名。初徵相州別駕、中書侍郎,稍遷祕書監,賜爵貝丘侯,加龍驤將軍。真君四年卒,諡曰元公。

清河崔剖,字伯宗。父彤,隨晉南陽王保避地隴右,遂仕於沮渠、李暠。剖每慷慨有懷東土,常歎曰:「風雨如晦,鷄鳴不已,吾所庶幾。」


(魏書24-20)




「風雨如晦,鷄鳴不已,吾所庶幾。」

詩経鄭風 風雨https://kakuyomu.jp/works/1177354054918856069/episodes/1177354054935596159

からの引用。「風や雨で空が真っ暗になっていても、鶏は決まった時間に鳴くことをやめない。こうした志を貫くようなひとでありたい」がより崔剖の発言に近い表現です。

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